黒髪の少年が東南棟の上をぶらぶらと歩いている。
落ちたら大ケガがまぬがれない高所であることを少しも気にしていない。
遠くの景色をながめたり、だんだんと明るくなっていく空を見上げて、景色を楽しんでいた。
「竜は高いところと朝日を浴びることが大好きですからね。
あの竜も例外ではないのでしょう」
とりあえず破壊活動に勤しんでいないことを確認して、ユディは安心した。
勧められるまま、窓際の小卓につく。
カラハ先生はユディのためにもコーヒーを淹れてくれた。
「良かったです。朝、目が覚めたらいなかったので、どこにいったかと」
「昨晩はあなたのところに居たのですか?」
「さんざん学内を探し回って帰ったら、部屋に居て。びっくりしました」
「幻獣向けに結界を強めたので、出られなくなったのでしょう。間に合ってよかった」
カラハ先生は表情をやわらげたが、ユディは気が抜けなかった。
「先生、あの竜――」
「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ、ミス=ハートマン」
竜を恐れているユディに、カラハ先生は気楽にいった。
「あなたは自分の失敗をとても気に病んでいるようですが。
召喚士が自分の力量に見合わない幻獣を召喚してしまうことは、往々にあることです。
学園では過去に、初級召喚士が上位幻獣のグリフォンやケルベロスを呼んでしまった例がありました。
ですが、どの場合も大した被害にはなっていません。
学園側も不測の事態に備えて守りを固めてあります。
この学園の結界がどのくらい丈夫かは習いましたか?」
「いざというときは市民の避難所になり、砦にもなると聞きました」
「その通り。
中級魔導士が十人がかりでも、この結界を力尽くで破ることは不可能です。
最新式の火炎魔砲弾にも理論上、三発までは耐えます。
火炎魔砲弾は炎竜の全力の攻撃魔法と同等といわれています。
火炎魔砲弾が連射できないように、フルパワーを三度も続けて打てる竜もいません。
たとえ竜が結界の破壊を試みても途中で力尽きる。
もし結界を壊しにかかってきたらそれこそ好都合、楽に幻界に送り返せます。
何も心配ありませんよ」
カラハ先生はコーヒーを片手に、小塔の周りを歩き回っている竜を悠然とながめる。
説明は理路整然としていて、態度は冷静沈着だ。
ユディの不安がやわらいだ。
「それより、ミス=ハートマン。あの竜に心当たりは?」
「心当たり?」
「竜は気位の高い幻獣です。自分を使う召喚相手にもそれなりの格を求めます。
あなたもご両親やご兄弟のように、ゆくゆくは一流の召喚士になることでしょうが、今はまだ修行の身。
普通であれば竜は召喚に応えないはずです。
考えられるケースは、あなたがあの竜となにかしら縁がある場合。
どこかで会ったことは?」
ユディは激しく左右に首を振った。
「全然ありません。初対面です」
「わたくしとしては、あの竜がずっとヒト型を取っているのが気になって。
あなたも知っていると思いますが、幻獣が相手に合わせて姿を変えるのは友好の証です。
最初からヒトの姿を、しかもあなたの年に合わせた姿を取っているというのは珍しい。
それが竜となれば、なおさら。
気位の高い竜はありのままの姿を好みますし、普通は姿を変えるとしても、居場所に応じてサイズを変える程度ですからね。
過去にどなたかご親戚が召喚して出会っている、ということもありませんか?」
「先生、幻獣がヒトの姿を取るのは油断させるため、ということもありますよね」
ユディはひざに置いた手を握った。
「実は私、あの竜と契約したんです」
「なんて無謀な!」
「分かっています。でも、契約しないなら幻界で悪評を広めるって脅されて……。
召喚するときに私、何でもするって約束をしてしまったんです。
なので、契約しないなら約束を守らない召喚士だって言いふらすっていわれました」
カラハ先生は手で額を抑えた。
「竜はあなたと契約して何をしたいのです?」
「具体的なことはありません。
しばらく現界を楽しみたいというのが契約の理由でした。
他を紹介するといったんですけど、聞いてもらえなくて。
契約しないなら――食い殺すって」
「そういう理由なら、未熟な召喚士の方が都合がいいですからね。
あの竜は最初からあなたを利用するつもりで召喚に応じたというわけですか。
初めての召喚でとんでもない性悪な幻獣に当たりましたね。気の毒に」
カラハ先生はお茶請けのクッキーをユディの方へ押しやった。薄い唇を引き結ぶ。
「そんな危険な幻獣だったとは。
即刻、幻界へ送り返さなければなりませんね」
「帰還の魔法も効かなかったのに、どうやって?」
「倒すのですよ。
幻獣は現界で死ぬと、幻界に強制送還されるでしょう?
倒せば契約も自動的に破棄されます」
カラハ先生は席を立ち、杖を手に取った。
竜の姿は窓から見えなくなっていた。
二人が話し込んでいる間にどこかへ移動してしまったらしい。
「あの竜の名前は? 召喚士協会にも危険な個体として報告しておかないと」
「それが大変で! オ――」
ズン、と学園全体が揺れた。
地震ではない。大きな力の出どころは下でなく、もっと上の方だ。
結界の要所を担う小塔がスパークする。
「何!?」
カラハ先生が窓を開くと、他でもバタンバタンと窓を開く音がした。
他の教師たちも起き出したのだ。中央塔がざわめきだす。
「うちの結界が攻撃されてる!?」
「どこのどいつだ、こんなバカやるのは!」
ユディは青ざめた。
たぶんきっとオセロだと。