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9.夢であって欲しかった

 まぶたを開けると、ユディの目に見慣れたひび割れ天井が映った。


(あれ……?)


 朝陽が窓から差しこみ、ところどころ漆喰のはげ落ちた壁を明るく照らしている。

 机とイス、ベッドとクローゼットを置けばそれだけでいっぱいの部屋。

 元は物置として使われていたというこの小さな部屋は、ユディの寮部屋に間違いなかった。


 ないよりマシという程度の固いマットレスから身を起こし、自分の状態を確認する。


 着ている物は寝間着だ。

 昨晩着ていた制服は壁に掛かっている。

 立ち上がっても足は痛まなかった。


(夢?)


 どこにも昨晩の災難の跡がない。


 ユディはしばらく呆けていたが、隣室で明るい声がし出すと、着替えをはじめた。

 そろそろ起床の時間だ。壁越しにルームメイト同士の楽しげな会話を聞きながら、一人身支度をする。


 寮は二人で一部屋が基本だが、ユディにルームメイトはいない。

 最初はいたのだが、ある日突然、ミゼルカがルームメイトのいない子がかわいそうだと言い出した。

 寮生が奇数だったので、入学当時から一人部屋の生徒がいたのだ。


「くじ引きで決めましょ?」


 一人部屋の生徒は一人の方が落ち着くとかなんとか言っていた気がするが、ミゼルカの強い博愛精神の下、くじ引きは強行された。

 そして公正で厳正なるくじの結果、今度はユディが一人になったというわけだ。


 ついでに部屋も狭くなった。

 ルームメイトのいなかった生徒は二人部屋を一人で使っていたのだが、


「一人なのにこんな広い部屋いらないわよね?」


 というミゼルカの発言で変わった。

 ユディは生徒が多かった年に急遽用意された元物置部屋に移動にさせられた。


 普通、ルームメイトの変更も部屋替えも一生徒の一存でできることではない。

 しかし、ミゼルカがスペイド家に並ぶ魔法使いの名家、ダイア家の娘であることを笠に着るので、寮長も寮監も見て見ぬふりをするばかりだ。


 ユディは部屋が狭いことはそれほど苦にしていないが、雨漏りやすきま風は辛い。

 寮の管理人に修理をお願いしたが、はいはい、といい加減な返事をされたきり放置である。

 四十過ぎの小太りな女性管理人は、暇を作ってはゴシップ誌を読んでいるような怠け者だった。


(まあ、代わりに好き勝手できると思えば)


 ユディはぐるりと部屋を見回した。

 すき間風対策やひび割れ隠しのため、部屋にはたくさんの幻獣のポスターやスケッチが貼ってある。

 窓辺や机には幻獣のぬいぐるみやフィギュアがたくさん並べてあり、ユディの趣味全開の空間だ。


(ある意味幸せ幸せ)


 前向きに自分に言い聞かせ、ユディは学園の夏用制服にそでを通した。

 白いシャツに黒の袖なしワンピース、襟元にはリボン。

 リボンは入学年度によって違い、赤、黄、青の三色が使い回されており、ユディの学年は赤色だ。


 胸には校章と取得している資格のバッチ。

 現界を表す赤い円と、幻界を表す青の円が∞型に配置され、中央に1の文字があるバッチ――初級召喚士のバッチを指先でいじる。


(この数字が中級の2になれるといいんだけど)


 部屋を出て、ユディはすぐにミゼルカたちに出くわした。

 一人が驚きの声をもらす。


「無事だ……」


 ユディは昨晩のことが夢でなかったのだと知った。


「ねえ、昨日って」

「だれか言ったらもっと酷い目に遭わせてやるから!」


 踏み出した足を、すかさずミゼルカに踏まれる。


「行こ!」


 ミゼルカは友人の腕を取り、足早に去って行った。

 他の友人たちも驚きと戸惑い、一抹の罪悪感をユディに見せながら去って行く。


「やっぱり私、山に行ったんだよね……?」


 つぶやきに答えてくれる人はだれもいない。

 ユディは首をひねりながら食堂に移動し、いつも通りに隅で朝食を取った。

 周囲の生徒たちの会話が聞くともなしに耳に入ってくる。


「昨日の夜さ、なんか凄い咆え声しなかった?」


「したした! すっごいの。

 あれ何? 俺の契約獣、超ビビって幻界に帰ってたんだけど」


「竜じゃねえ? だれか召喚したんじゃねえの?」


「まさかぁ。竜は気位高いから、俺らみたいな召喚士の卵のとこなんて呼んでも来ないよ」


「学園の人間じゃなくてさ。腕利きの召喚士が来てたとか。

 俺らが呼ぶなんて無理だし、ムボーもいいとこ」


 どこでも竜の咆哮が話のタネになっている。


 ユディは戦々恐々だった。

 他の生徒の言う通り、初級召喚士が竜を召喚なんて無謀もいいところだ。

 制御できないので危なすぎる。

 昨晩のことは夢であって欲しいと願った。


 いつもより素早く朝食を終えて、北東棟前の校庭に向かう。

 一限目は今日もカラハ先生の召喚実習だ。

 手持無沙汰に授業が始まるのを待っていると、裏門から教師たちが入ってくるのが見えた。


「山に魔獣が?」

「どうもいるようです。この山に魔力溜まりはないはずなんですが」


 夢でない証拠が続々と出てくる。

 ユディが昨晩のことを教師に報告しに行くべきか迷っているうちに、実習が始まった。


「授業を始める前に一つ注意です。

 裏山は今、安全とは言い切れない状態です。絶対に入らないように。いいですね!」


 カラハ先生の言葉にざわめきが起きた。生徒が挙手する。


「先生、それって昨晩のものすごい咆え声と関係あるんですか?」


「現在調査中です。

 今朝、先生方が山を見回ったところ、魔獣の死骸らしきものを発見したということです。

 だれか学園の周辺で魔獣を見たという人はいますか?」


 ユディは手を挙げかけたが、ミゼルカに睨まれた。口をつぐむ。


「だれか何か知っていることがあったら、私たちに報告してください。

 それでは実習を始めましょう」


 今日の課題はカラハ先生の作り出した土人形ゴーレムを倒す、というものだった。

 三人ずつに組み分けされる。ユディもだ。

 一緒になった男子生徒も女子生徒も、すでに契約獣を連れているので気まずい。


「け、見学させてもらうね」

「召喚の練習してれば? どうせ今日も無理だろうけど」

「そんなふうに言うことないでしょ!」


 ユディを邪魔そうにする男子生徒を、女子生徒が叱りつける。

 女子生徒は「見て、アドバイスちょうだいね」と優しくいってくれたが、ユディは男子生徒のいう通り召喚に励むことにした。

 初めから召喚をあきらめて傍観しているのも悪い。


 いつも通り木陰に寄って、魔法陣を描く。


「開け、幻界の扉――」


 ピクシーを思い浮かべて呪文を唱える。

 魔法陣がいつもより強い光を放った。


 ユディは目を丸くする。

 こんなに強く光ったということは成功だ。


 嬉しさに口元がほろこんだが、喜びは一瞬だった。

 ピクシーは半身出てきたところで、すぐに幻界へ引き返して行ってしまった。

 何かに怯えた様子で。


「俺というものがありながら、他に浮気とはいいご身分だな?」


 背後から声を呼びかけられて、ユディは飛び上がった。

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