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第5話 出会い・4

 結局、十和は一睡もできずに初夜を過ごした。


 月白が寝間を去った後に布団を出る。ほの白く光る障子を開けると、縁側を経て中庭があった。屋敷のだいたいの間取りを見て取る。


 屋敷は東側が開いたコの字型だった。建屋の北棟が今、十和のいるところだ。納戸や寝間や居間、湯殿などが並んでいる。

 西棟には婚儀をした上座敷に玄関、それに台所。炊事の煙が上がっている。

 南棟は中庭からでは壁になっていて見えないが、おそらく接客用の部屋だ。家来たちの生活場所は西側の長屋門だろう。


 庭に下り、全身に朝陽を浴びる。


 生きのびたという実感が湧いた。湧いたが、喜びは薄かった。

 月白に妻として受け入れられなかったという事実が、十和の心にぽっかりと穴を開けていた。

 中庭の隅に井戸を見つけ、顔を洗う。桶の水面に映った自分の顔を、十和はぼんやり見つめた。


(……どうして? 私が半妖だから……?)


 水滴が頬を伝って桶に落ちる。水面の像がたよりなく揺れた。


「十和ちゃん、大丈夫? 気分悪い?」


 赤城の心配そうな声に、十和はすぐに立ち上がった。長いこと桶を前に座りこんでいたので誤解されてしまった。


「大丈夫です。ちょっとぼんやりしていて」

「昨夜は大丈夫だった? 怪我はなさそうだけど……噛みつかれたりとかしなかった?」

「はい」

「命の危険を感じるようなことはなかった?」

「何もありませんでした。……本当に、何も」


 十和はか細い声で付け足す。

 いわんとすることを察し、赤城が目を丸くした。


「何もって、まさか。ひょっとして指一本すら触れなかったってこと?」


 十和はかすかにうなずいた。羞恥で頬が赤くなる。


「ただ、妻として大事にはするとお約束下さいました。

 私達は形だけの夫婦だからと仰って、そのままお休みに」

「えええ? 何考えてんの、あいつ」


 赤城は怒っていたが、当人は怒るより恐縮していた。肩を縮める。


「半妖はお気に召さなかったのかもしれません。私は狐の姿にもなれない半端者ですから」


 十和は両の手指をこね回した。閨のことを話題にする恥ずかしさをこらえて質問する。


「赤城さん、やはり夫婦になろうと思うと、狐の姿になれなければ難しいでしょうか?

 私は妖狐の父と人間の母の間に生まれたものですから、種族の差というものを気にしたことがなかったのです。

 でも、よく考えてみますと、普通の狐は人間を嫁にしようなんて思いませんよね?」


 赤城は質問を痛そうにした。


「まあ……そうね。いくら人間に化けられるからといって、人間を伴侶には考えられないってやつもいるわね」


 赤城は頭を掻いた。高いところで一つ結びにされている赤髪が尻尾のように揺れる。

 婚儀が終わったので、今日は気楽な格好だ。着流しにしている着物は女物と思しき派手な色柄だったが、大柄な体躯に似合っていた。


「月白はそういうタチだったのかしら? あいつ、十和ちゃんが半人半妖って聞いてもべつに驚きも嫌がりもしなかったから、何も問題にしていないと思っていたんだけど」


 赤城は頬に手を当てて、うーん、と悩む。


「今度、人間の色町に連れていってそれとなく探り入れてみようかしら」

「そこまでして下さらなくても大丈夫です」


 もし遊女を相手にされたら、それはそれで切ない。十和の容姿が気にいらなかったことになってしまう。

 第一、月白が他の女性と仲良くすること自体が嫌だ。想像するだけでもやもやした。


「赤城さん、今お話ししたことは忘れてください。

 私、形だけでもいいのです。半端者とバカにすることもなく妻として扱ってくれるなんて、ありがたいことですから。充分、幸せです」


 あまり騒ぎ立てては、月白は不快に思うだろう。それが原因で追い出されることになったら困る。それくらいなら黙って月白の方針に従う方がいい。


「まあ、まだ夫婦になって一日だしね。形だけといっていても、一緒に暮らしていればあいつの気も変わるかもしれないし。しばらく様子を見ましょっか」


 不意に、中庭に人影が乱入してきた。

 話題の月白だ。東側の塀を飛び降り、軽やかに中庭に着地する。

 赤城同様、月白も今日はくだけた格好だ。くたびれた藍染の着物を着、髪は乱れ放題。婚儀のときの凛々しさは一夜の夢と消えていた。


 赤城がまなじりを吊り上げる。


「月白、門から入れっていってるでしょ」

「次回から善処する」

「一万回聞いたわよ、その言い訳!」

「赤城、しばらく警戒を強化するようにいっておいてくれ。

 どうも山がざわついている。見回ってきたら、見慣れない妖魔が屋敷周りをうろついていた」


 月白は片手に握っていたものを地面に放った。妖魔の死骸らしい。蛇だ。胴を分かたれて尾はないが、それでも大きい。

 赤城は顔をしかめ、十和は思わず飛び退った。


「俺が出て行ったらほとんど逃げた。一匹だけ仕留めた」

「あんたねえ……見回りしてきたのは偉いけど、報告は時と場所を考えなさいよ」


 十和を後ろにかばいながら、赤城は死骸を検分する。


「これって天遊様のお屋敷周りをうろちょろしてた青大将じゃない? なんでこっちまで」


 赤城の背後から、十和もそろそろと蛇をのぞきこんだ。

 途端、それまでピクリとも動かなかった蛇が動いた。最後の力を振り絞って体を跳ねさせ、十和に牙を剥く。


「――ひっ!」


 向かってきた蛇を赤城が蹴り飛ばした。月白の爪が蛇を裂く。五つに分かたれて、今度こそ蛇は息絶えた。

 明確に十和を狙っていた妖魔に、赤城はため息を吐く。


「なるほど。十和ちゃんについてきたのね。昨日の嫁入り行列を追ってきたんだわ」


 赤城はぎっ、と月白をにらんだ。


「月白、これで分かったでしょ! 今度から報告は時と場所と、あと人は選びなさいよ!」

「……すまん」


 月白は十和に向かってすなおに謝罪した。念入りに死骸を狐火で燃やす。


「いえ、こちらこそすみません。妙なものまで一緒に連れてきてしまって。ご迷惑をおかけします」


 十和は月白以上に申し訳なさそうにした。


「朝食終わったら、さっそく全員で見回りさせるわ。月白、家上がる前に足拭きなさいね!」


 居間に上がろうとしていた月白に、赤城が濡れ手拭いを投げつけた。

 月白の足には泥や細かい草がくっついていた。


「ったく、あいつは……強いし、仕事ぶりはまじめだけど。野生が抜けないんだから。

 ってか月白、その着物脱いで寄こしなさい! いいかげん洗濯に出せっていってるでしょ!」


「今これしかないから無理」


 十和ははっとして寝間に戻った。

 実家から持ってきた長箱を開け、初対面の時から預かっていた着物を取り出す。


「月白様、遅くなりましたがこちらをお返しいたします」


 数日前、月白が妖魔の血で汚した着物だ。

 月白はきょとんとして、ああ、と納得した。


「あの時の、人間。昨晩会ったとき、あなたはどこかで嗅いだ匂いがすると引っかかっていたが。謎が解けた」


 十和は畳に三つ指をついて頭を下げた。


「あの時は驚いていいそびれましたが、助けていただいてありがとうございました」

「助けた?」


「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、あの日、玄関を入ってすぐに犬神がいたでしょう? 絡まれて困っていたので、引き離して頂いて助かりました」

「邪魔だからどけただ」


 本当にそうだったのだろうが、十和の感謝は変わらなかった。


「それから、申し訳ございませんでした」

「何が」

「あの晩、月白様が襲われたのは私が原因だったのですよね。

 血まみれになったいきさつをお聞きした時に正体を白状するべきだったのですが、とっさに言い出せなくて。……ご迷惑をおかけしました」


 十和はさっきよりも深々と頭を下げた。できることなら畳に頭をうずめてしまいたいくらいの気持ちだった。


「月白様は昨晩、こちらへ嫁いだ私のことを気づかって下さいましたが、本当に迷惑をこうむっていらっしゃるのは月白様の方です。

 私は、霊力はあっても妖術の一つも使えない無能ですし、狐の姿にもなれない半端者です。さっきのようにいたずらに妖魔を引き寄せるだけの厄介者です。

 ヌシの娘でなかったら月白様のような立派な妖狐に嫁げる身ではございません。

 ……こんな不出来な身を引受けさせてしまって、なんと申し上げたらいいか」


 言いながら、十和は自己嫌悪に陥る。

 なんて無意味な謝罪だろうと思った。みじめったらしく。ずるい。

 迷惑だと分かっていながら、自分はここを出て行くだけの気概もないのだから。


 月白に合わせる顔がないと面を伏せていると、意外な言葉が降ってきた。


「あなたは好きで半妖に生まれたのか?」

「まさか」


 十和は思わず顔を上げた。

 月白が着替えるために脱ぎはじめたので、あわててまた下を向く。


「なら、謝るな。半妖に生まれたのは自分ではどうしようもないことだ。あなたが気に病むことではない。

 俺は生まれつき二尾で生まれた。周りに気味悪がられることもあったが、俺だって望んでそう生まれた訳ではない。

 俺も小さいうちは霊力目当てに妖魔に狙われて、周りに存在を迷惑がられたが、本当に悪いのは狙ってくる妖魔の方だろう。だからあなたも気にするな」


 十和は唇を噛みしめた。

 どうしよう、と自分の胸に生まれた感情に困惑する。


(……私、好きだわ、この方のことが)


 形だけの夫婦だというのに。相手は自分に興味がないというのに。

 十和は床に落とされた着物を拾った。


 気づいた気持ちは消せない。忘れられない。


 どうしようもなくて、十和はただ着物と共に胸に抱き留めた。

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