十和が妖怪の世界に戻ることを、旭はすんなり受け入れてくれた。
「いろいろお世話になりながら申し訳ございません、旭おばさま。人の世がなじまなかったということではないのですが」
「私のことは気にしなくていい。十和が自分の意志で戻りたいというならそれでいいんだ。
心配は心配だが、あの白狐がそばにいるなら大丈夫だろう」
十和に純白の掛下を着つけながら、旭は気軽に応じた。
「ただ、たまには私に顔を見せにきてくれよ? 無事な姿を見せてくれ」
「もちろんです。私も旭おばさまとまったく会えなくなるのは寂しいですから」
旭の広げた白無垢の打掛に、十和は袖を通す。
織りで吉祥模様を描いた白無垢は、ずしりと重かった。
だが、二度味わうことはないだろう重みだ。十和は重みをよく噛み締めた。
「何日かに一度こっちに来られないか? 退魔について一通りのことは教えたが、十分とは言えないからな。教えておきたいことはまだたくさんある」
「自分でもまだ半人前と思っておりますので、そうおっしゃっていただけるとありがたいです。月白様と相談してみます」
着付けが終わると、衿に筥迫(はこせこ)を挿し、帯に懐剣を挟み、手に末広を持つ。
最後に、髪に桃の花を飾った。最初に嫁いだ時にも飾った、十和には思い出深い花だ。
「母のような感慨に浸ってしまうな」
白無垢姿の姪を前にして、旭はいつもは凛々しい顔をくしゃりとくずした。長い裾を持ち上げ、十和を拝殿へと促す。
「妖怪のところへお嫁に参りますのに。神様にご挨拶して怒られませんか?」
「神魔は表裏一体のものだよ。神になるか魔になるかは人間の都合に過ぎない。
あの天遊とて人によっては神だった。白狐の月白殿だって、人によっては神の使いだの稲荷神だの呼ぶと思うぞ」
十和と旭が畏まって参拝していると、鳥居の上で鳩が鳴いた。
振り返ると、暗くなった桑畑の合間に提灯の明かりがぽつぽつと見えた。
明かりはまっすぐに神社を目指して進んでくる。近くなるにつれて、二列に並んだ羽織袴の男性と、黒留袖の女性の姿がはっきりしてきた。
「よー、迎えに来たぜ、奥さーん」
緊張感のない声は久礼だ。行列を飛び出し、先頭を担う宰領よりもいち早く十和の元へやってきた。
「久礼さん、仲間になれたんですね。おめでとうございます」
「ふん! だれがあんな野郎の手下になんかなるかよ。人をぶん投げやがって。
ボコボコにするまでは帰らないって決めてここにいるだけよ!」
久礼はさっそく月白に殴りかかろうとし、仲人役の赤城に張り倒された。そのまま行列に引き戻される。
代わりに、紋付羽織袴姿の月白が行列から離れた。
「十和、待たせた」
「いえ、今ちょうど支度が終わったところです、月白様」
月白は旭に向かって頭を下げたのち、十和に手を差し出した。
「では行って参ります、旭おばさま」
「末長い幸せを祈っているよ、十和」
にわかに、晴れた夜空からぱらぱらと雫が落ちてきた。
お天気雨に手を伸ばし、旭が苦笑する。
「本当に雨が降るんだな。狐の嫁入りは」
「狐に嫁入り、ですけれどね」
花婿の手を借りて、十和は花嫁行列の駕籠に乗りこんだ。