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第21話 決意・4

「月白様……六尾だったのですね」


 改めて月白の尾を観察し、十和は驚きが隠せなかった。


「なぜお隠しに?」

「面倒だから」


 十和は自分の覚えの悪さを思い知った。月白は他人の上に立つのが嫌いだと今まで何度も自分で言っている。


「……前の群れでヌシをしていた時、オスの妖怪の甲と乙が、メスの丙を巡って喧嘩をして」


 ぼそぼそと、珍しく月白が己のことを話し出した。


「仲裁を頼まれて『二人を争わせて喜んでる丙が一番悪いと思うし、嫁にするのもどうかと思う』といったら、三人共に殴り掛かられて……ヌシ稼業は向いてないな、と」

「……」


 本当のことをいえば解決するわけでないのが、世の中の難しいところだ。


「ここにいらしたときからすでに六尾だったのですか?」

「六尾になったのは大蛇を倒してから。来たときは五尾。一本は子狐にして隠していた」


 十和は子狐の正体を教えてもらった夜のことを思い出した。

 あの時、月白は十和のことをじっと観察していた。あれは子狐が一尾の具現であることを勘づいていないか警戒してのことだったのだ。


「これを知ったら、赤城さん怒りそうですね」

「だから秘密にして欲しい」


 月白の頼みは遅かった。


「つーきーしーろー?」


 怨霊のような恨みがましい声が湧いた。赤城だ。息は荒く、高いところで一つに結んだ赤毛は乱れている。


「なぜここに」

「あんたが話の途中で塀を乗り越えて飛び出してったからよ! 何事かと心配するに決まってるでしょ!」


 赤城はぽかりと月白の頭に拳骨をくらわせた。


「痛い」

「やかましい! あんたってやつは、やっぱり! 本数ごまかしてたのね。

 おかしいと思ってたのよ。尾の本数を尋ねたとき、あたしの本数確認してから四尾って答えていたから」


「鋭い」

「この秘密好きのものぐさ太郎。そこまでしてごまかすなんて、いっそ感心するわ」


 赤城はひとしきり怒ると、横倒れになっている黒狐に近づいた。警戒しながらかがみ、息のないことを確かめる。


「……うん。死んでるわね」

「十和を喰う気だった」

「私を食べて強くなって、この群れから独立する気だったようです」


 十和は黒松の浮気や、それに対する豊乃の処遇など、事のてんまつを二人に話して聞かせた。


「強いだけあって欲も野心も相応にあったから、いつか何かしでかさないかと心配してたけど。起きたわねえ」


 赤城はやれやれと肩を落とす。


「花婿がこうなったんじゃ、明日の婚儀は取りやめね」

「豊乃殿に報告だな――その前に、十和を屋敷に送ってくる」


 月白の気遣いを十和は断った。


「報告なら私も行きます」

「屋敷で休んだ方が」

「……今は、月白様と離れる方が落ち着かなくて」


 袖をつかむと、月白はそれ以上無理に帰宅を勧めなかった。気の毒な駕籠かきたちを埋葬すると、駕籠に黒松の死骸をのせて御殿への道を上った。


「黒松様!」

「一体何が!?」


 月白たちが運んできたものを目にすると、屋敷は騒然となった。

 すぐに吉乃と豊乃が呼ばれる。十和が「襲われた」と一言証言しただけで、豊乃は事の成り行きを理解した。扇を広げて小さく舌打ちする。


「黒松め。どこへ消えたかと思えば、十和を狙いに行っておったとは。この群れから独立する気でおったな」


 すると、へたりこんでいた吉乃がすっと立ち上がった。

 呆けていた目に確固とした意志が宿る。復讐の炎が。


「お母様、この裏切り者めは戸板に打ち付けて門前にさらしましょう」

「落ち着け吉乃。黒松は五尾の妖狐ぞ。この群れの要の一人じゃ。軽々しく不在を明らかにするは賢くない。新たな戦力が育つまでは隠すに限る」

「知ったことですか!」


 吉乃は黒い尾をつかんで、駕籠から乱暴に引きずり下ろした。

 さらには駕籠かきの息杖で死体を打ち据える。夜叉の形相だった。

 十和は一番の被害者だったが、むごく思えて顔をそむけた。他の人々も手出しをしかねて傍観する。


 吉乃の侍女たちも右往左往するだけだったが、赤城だけが止めに入った。打たれながらも杖を取り上げ、死体から引き離す。困った顔でいるだけの吉乃の母親をふり返った。


「豊乃様、婚儀は中止でいいのかしら?」

「止めるより他にあるまい。主役がおらぬのではやりようがない」


 赤城の問いに答えて、豊乃はふっと、何か思いついて扇を顔からはなした。


「……いや、中止でなく延期にする」

「延期? でも、花婿は」

「新たに作ればよい。吉乃に別の婿を立てる」


 豊乃の目が、黒松と双璧を成していた白狐へと向いた。


「月白、今やこの群れでそなたが一番強い。吉乃を嫁に迎えよ」


 突拍子のない話に、その場がざわついた。

 月白はやや声を低くして問い返す。


「……俺にはすでに妻がいるが」

「十和を嫁にやったのは誤りであった。それはやはりこの御殿に留めておくべきであった。

 野放しにしてはまた誰かの悪心を誘いかねぬ。こちらに戻す」


 赤城が腰に片手を当てて抗弁する。


「豊乃様、いくらなんでもそれは。乱暴でしょうよ。物じゃあるまいし」

「モノじゃ。褒賞として与えた」


 あまりのいいように、赤城は絶句した。


「吉乃はその半端者と違って一人前の妖狐じゃ。その上、天遊殿の正妻であるわらわの娘であるぞ。不満はあるまい?」

「あるといったら――」

「月白様」


 袖を引き、十和は小声で月白を制した。

 断ったらどうなるかは容易に想像がつく。黒松と同じ運命だ。裏切り者の烙印を押され、群れを追われる。


「吉乃も、良いな? これからはこの月白がそなたの婿じゃ」

「……ええ、構いませんわ。黒松様の代わりとしては充分、いえ、それ以上ですもの」


 座り込んでいた吉乃が、ゆらりと立ち上がる。

 かわいらしい小さな口が弧を描く。暗い悦びを浮かべて。

 黒松を叩いただけでは収まらなかった怒りが、今度は仲睦まじく寄り添い合っている月白と十和に向かった。


「ねえ月白様。そんなに十和と離れがたければ、構いませんわよ。妾として置いても」


 妾、を吉乃はことさら強調した。


「ただ、妾にかまけてわたくしを蔑ろにしたとなれば、相応の罰を与えますけれどね。十和に。

 夫をたぶらかす女に制裁を与えるのは妻の役目ですものね?」


 不快そうにする月白と、脅えの色を隠せない十和を、吉乃は嬉しそうにした。


「ひとまずこの場はお開きじゃ。皆、持ち場に戻れ。今後のことは追って沙汰する」


 豊乃の鶴の一言で、人々が散っていく。十和が身の置き場に迷っていると、赤城が動いた。月白もろとも強引に、空いている座敷に連れこむ。


「二人とも。もういっそ駆け落ちなさい」


 後ろ手に襖を閉めて、赤城は二人にいって聞かせた。


「それしかないわ。月白も嫌でしょ? 吉乃が嫁って」

「すぐ手のひら返しそうな手合いだから。関わりたくない」


 月白は好き嫌いには鈍感だが、身の安全に関わることには敏感だった。


「あんたなら一人でやっていけるわ。六尾以上は一人で縄張り持つものだし。

 大丈夫、天遊様の縄張りを離れれば豊乃も追ってこない。余計な損害は嫌うはずよ。

 二人とも、急いでお屋敷に戻りましょ。荷造りしなくちゃ」


「待ってください、赤城さん。それはいけません。前にも申し上げた通り、私のせいで月白様がここを出ることになっては、私の立つ瀬がございません」

「そんなこといったって」


 十和は居住まいを正した。畳の上に正座し、赤城と月白に向き直る。


「お二方とも、お願いがあります。私をお父様の封印されているところに連れていって下さい」

「天遊様の?」


「お父様の封印されている神社には、妖魔は近づけないというお話ですが、私なら入れるかもしれません。ひょっとしたら封印も解けるのではないかと思うのです」


「……なるほど。十和ちゃん、人間の血が濃いものね。魔除けの結界を通れるかも」

「ずっと試してみたかったのです。やるなら今しかありません」


 赤城は力強くうなずいた。


「いいわね、その案。うまくいけば、二人がここを追われることなく解決するわ。

 封印を解いて、天遊様に月白と十和ちゃんの仲を保証してもらう。天遊様のいうことなら豊乃だって逆らえないものね」


 赤城は隣を見やった。


「あたしはいいと思う。月白は?」


 返事がない。


「月白? 聞いてる?」

「月白様?」


 なおも応えがないので、十和は不安げに両手を握り合わせた。


「……無理でしょうか?」

「いや、希望はあると思う。思う、が。……止めておいた方がいい気がする」


 歯切れが悪い。肝心の理由を言わないので、赤城が苛立った。


「なんでよ?」

「……俺は、天遊様こそが不安の種だ」


 目を逸らす月白に、十和も赤城も当惑する。


「お父様こそ不安というのは……? 月白様、それは一体どういう?」


「天遊様が二人の仲を認めてくれないかもってこと?

 まあ確かに。天遊様は十和ちゃんを嫁にはやらないって公言するくらいかわいがっていたから、渋る可能性はあるけど。

 でも、月白は何度も十和ちゃんを守っているんだし。封印を解く手伝いをしたとなれば恩人よ。十和ちゃんも口添えすれば譲歩してくれると思うけど」


 赤城が説得しても、月白はすぐには賛成しなかった。長いこと畳を見つめて何事か思案し、ようやく「そうだな」とつぶやいた。

 はらはらしていた十和は、握り合わせていた両手をほどく。


「では、参りましょう。お父様の封印されている神社に」

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