目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報
第二部第1話 死の着信

 ◆


「あなたにとって、愛とはなんですか? 答えてほしい」


 男はスマートフォンの向こう側で聞き耳を立てているであろう誰かへと問いかけた。


 応えはない。


 しかし息遣いのようなものは聞こえてくる。


「愛が知りたい」


 男は再び問う。


 しかし、やはり応えはない。


 すると、びきりと男のこめかみに太い血管が浮いた。


「あなたは"殺したい"と思って何人も殺してきた。好きな様に振舞ってきた。殺された人たちにはそれぞれ大切な存在が居た筈だ。家族、恋人、友人──あなたはそんな人たちのを奪ってきた。だから聞いてるんだ。そんな事が出来るあなたにとって、愛とはなんだと。答えろ答えろ答えろ答えろ答えろ答えろ」


 男の全身が男の全身が細かく震えた。


 目は大きく見開かれ、血走っている。


「あ、あの……鈴木さん……?」


 鈴木と呼ばれた男は一人ではなかった。


 ソファに座って男を心配そうに見つめているのは一人の少女──相沢ナオだ。


 ここはナオの自宅で、鈴木はの為にここに居る。


 だが男の様子はおかしい。


 震えはますます強くなり、ついには部屋の家具にまでそれが伝播した。


 俗に言うラップ現象である。


 そればかりか、部屋中の割れ物──例えばグラスだとかがばりんばりんと割れ始めた。


「鈴木さん!? ねえ! あの! 鈴木さん!? どうしたんですか!? お、落ち着いて!」


 ナオは何やら本能的なもので、この奇怪な現象を引き起こしているのが目の前のこの男だと感得し、とにかくそれをやめさせようと声をかけるが──男は止まらない。


 この現象は男の霊力が、男の赫怒と反応して引き起こされている。


 つまり、男が怒るのをやめないかぎりは止まらないのだ。


 そして男の怒りはますます激しくなるばかりだった。


あ゙ァァイッ!……には、色々種類がある。家族の愛、男女の愛、友人としての愛。俺にこの依頼を持ってきた相沢ナオさんは泣いていた。親友である高山瑞樹さんが亡くなった事で──あなたに殺された事で。愛の形の一つが失われたんだ……泣きもするだろう。だから教えてくれ、なぜそんな事をする? 愛なんてどうでもいいと思っているのか? なあ、教えてくれよ。愛は尊いものなんじゃないのか?」


 ぎりりりりり


 不協和音としか言いようがないそんな音が部屋に響き渡った。


 男の歯軋りだ。


 電話の向こうの相手が成す理不尽に対してのが男に歯を軋らせた。


 耳ざわりというだけではな魂を搔きむしられる様なそんな音。


 ナオはたまらず耳をふさぐが、その目には不安と恐怖が色濃く揺蕩っている。


 恐怖の対象は電話──これまでに何人も犠牲になってきた呪いの電話ではなく、男である。


「愛が尊くないと言うなら……俺は何なんだ? 礼子は何故俺から去っていった? 俺の捧げる愛よりも、あの男の愛を選んだからじゃあないのか? だから俺は愛を磨いて礼子を取り戻そうとしているのに、あなたはそれを否定するんだな」


 男の両眼から涙が滂沱と流れている。


 相変わらず電話越しの相手は何も応えない。


 しかし電話が切れる事もなかった。


「無視、か。俺とは話す価値もないか。礼子もそうだった。結婚生活の最後、礼子は俺を無視し続けた。あなたは……も俺を無視するんだな。ぎ……ぐ、ギギギ……ィイイィイイィイイィイイィイイィイイィイイ!!!!」


 男は狂っていた。


 完全に狂っていた。


「お前が嫌ィィィいダァァァァアア!!! 愛を奪い!!!! 俺を無視する!!!! 無視する!!! 無視をするな!!!! 礼子みたいに!!! 俺を無視するんじゃあないッ!!!!」


 この時点で、青白い何か──オーラの様なものがナオの目にも見えた。


 可視化するほどの霊力の強さは、男の霊能者としての格がそんじょそこらの木端霊能者とは訳が違う事を意味する。


 おぞましい程の情念が込められた霊力、これが電話の向こうの存在を捕縛しているのだ。


 男がどれほどトンチキな事を言っても電話が切れないのは、切れないからではない。


 切る事ができないからである。


(私もしかして、物凄いやばい人にお祓いをお願いしちゃったのかも)


 ナオの懸念は正しい。


 男はヤバい。


 間違いなくヤバい。


 男の名前は鈴木よしお。


 鈴木よしおは日本の霊能力者界隈でも屈指の祓いの業を持つと賞賛されている。


 確かにそうだ。


 よしおはこれまで多くの除霊を成功させてきた。


 これからも成功させるだろう。


 よしおが怒りを忘れない限りは。


 怒りこそが彼の除霊の根源である。


 そして彼が怒りを忘れる事は決してない。


 なぜなら彼の元妻は既に浮気相手の子供を出産しているからだ。


 しかも浮気相手は彼が信頼していた元上司であった。


 よしおは怒り続ける。


 ──憎い、憎い、憎い


 ──愛していた元妻が、信頼していた元上司が


 ──そしてなによりも愛と信頼を不変のものだと盲目に信じ込んで、それらを磨き上げる事を怠った自分自身が


 熱した泥のような怒りの源泉は、よしおに膨大な霊力を与えるだろう。


 その力を以って彼は悪霊を、怨霊を、死霊を、あるいは他の邪なる存在を祓い続ける。


 だからそう、電話の向こうにいる者が誰であっても、たとえそれが昨今世間を恐怖に陥れている呪いの電話の死霊であっても──よしおからは逃げられない。


 ◆


 狂するよしおの首元がべこりとへこむ。


 まるで太い縄か何かが巻き付いているかのようだった。


 しかしよしおはゲタゲタと笑い、あろうことかスマートフォンのディスプレイに向かってがぶりと噛みついた。


 宙を噛むような恰好となったわけだがしかし、よしおは首をぐいんと振る──まるでを画面から引き摺りだすかの様に。


「ハァァァァァ~~……」


 よしおは口の端を釣り上げ、子供ならギャン泣きしてしまいそうな程の笑みを浮かべた。


 これは嗜虐の笑みではない。


 ようやく、愛について尋ねる事が出来るという歓喜の笑みである。


 右手をギリと握り、宙に掲げる様子からして、何かを握っているのだと推察されるが──


「こ、子供!?」


 ぼんやりとした小さい姿──よしおに首を掴まれ、苦しそうに呻いている小さい少女がナオの目に映った。


 奇妙なのは耳が片方千切れている点だ。


 血こそ出てはいないが、何かに噛みちぎられたかの様な痕があった。


(多分、鈴木さんが)


 ナオは感覚的にそれを察知し、恐怖を覚える。


 子供の悪霊──それもこれまで何人もの人々を無残に殺し、あまつさえナオの親友さえも殺した憎苦も恐ろしい仇であるはずなのに、それよりもずっとずっとよしおの方が怖いと感じた。


「罪は罪」


 よしおは言うなり、子供の首を握る手に霊力チカラを込めた。


「罰は罰」


 よしおから立ち上る青白い霊力が揺らめき、猛る。


 この時点で既に子供は白目を剥き、舌を突き出していた。


 しかしよしおは力を緩めたりはしない。


 いくつもの命を、其処に育まれていた愛を、あたら無駄に喪わせた存在を赦しはしない。


 とはいえ、先ほどまで見せていたぶっ壊れた様子は鳴りを潜めていた。


 よしおは子供の首根っこをひっつかみながら問いかける。


「愛とは、何かな?」


 少女の怨霊は答えられない。


 それはよしおの容赦がない霊的ネックハンギングを食らっているからというのもあるが──


 よしおの狂貌は不意に真顔に変じた。


 「……君は、僕が聞きたい事を答えられないようだ。なぜなら──」


 よしおの掌に少女の生前の記憶が伝わってくる。


 「君も、愛を知らないからだ」



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?