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第18話 隠し鬼⑫

 ◆


 “隠し鬼”は常にやり場のない怒りと悲しみ、そして飢餓感を感じていた。元来は救いが為に生み出された存在であるのに、もはやその目的意識は希薄となっている。


 それでも鬼撫の血を引くものをつけ狙い、邪魔されない限りは他へ危害を及ぼそうとしないのは、神から鬼へ堕そうともその根源に紐づけられた救いへの希求の念に少しでも応えようとしていたからではないだろうか。よしおのように利己の権化のような存在ではない。利他の存在なのだ。本来は。


 尊い生贄を以てその他多数を救う…悲しみを背負いながらも、救いを齎す…このような犠牲を伴う宗教的な信念は昔からあり、この概念は多くの宗教や文化に共通する要素だ。


 発生の成り立ちとしては決して邪悪なものではなく、それがゆえに“隠し鬼”は無差別大量殺人を為さないのかもしれない。


 だがそれも大分タガが外れてきてしまっていた。


 晃の母、依子が昏睡する原因となった事件で、彼女を守ろうとした複数名の巫祓千手の構成員が“隠し鬼”に殺害されている。

 本来在るべき姿から離れた行動を取れば取る程に、“隠し鬼”は歪んでいく。


 完全に歪んでしまえば、“隠し鬼”は縛りから解放され、それこそ全国、いや、全世界で惨劇を作りだすだろう。


 だが、“隠し鬼”はよしおと出会い、そして殺し合い、よしおの血肉を口にしてしまった。

 他者の為に命を捧げてきた鬼撫の一族とは違い、利己の権化であるよしおは、根源が利他である“隠し鬼”にとっては異物の極致であり、また、不倶戴天といってもいいほどの背反存在だ。


 要するに“劇毒”という事である。


 ◆


 地の底から響いてくるような呻き声。

 頭部はないはずの“隠し鬼”からそれは響いてきていた。


 よしおの血と肉と魂が“隠し鬼”の体内で、精神世界で自己主張をしているのだ。



 ──俺が一番悲惨なのだ、悲劇の主役なのだ、悲しい存在なのだ


 ──他者がどんな悲劇に見舞われようとも、それは俺の味わっている苦しみに比べれば何ほどの事もない。


 ──なぜお前は俺がここまで悲しいのに、苦しんでいるのに自分の悲しみを主張しているのだ?


 ──許せない許せない許せない



 そんな救いようもない利己の毒が“隠し鬼”の中で暴れまわり、“隠し鬼”は苦痛に喘いだ。

 腹部から赤子の泣き声があがり、頭部が吹き飛びながらも手足をばたつかせ、ドス黒い血が周囲へ散る。

 それは陽の目からみても正視に堪えない惨状だった。


 よしおもまた重傷と判じて差支えない程の怪我を負っている。

 “隠し鬼”の口内へ突き込んだ腕からは血がとめどなく流れ、陽がその傷の程度を見ると切り傷だとか刺し傷だとか、そういう範疇を超えた“抉り傷”が刻まれ、傷跡からはぬらぬらと赤い肉がのぞいていた。


 よしおのアドレナリンも筋肉硬直による強制止血も、これほどの重傷ともなるともはや意味をなさない。


「す、鈴木さん、その傷…早く止血しないと!」


 陽が慌てて言うと、よしおは陽の方を向いて傷を負った腕を見せた。


「う、ひどい…ちょっとまってて、今止血を…」



 陽が上着を止血帯にするべく脱ごうとすると、よしおが口を開く。


「焼け」


 え?という表情で陽はよしおへ聞き返した。

 普段のよしおの口調は比較的丁寧だが、感情が昂った彼がやや雑なものへと変わる。…それは陽もすでにわかっている為、口調の変化は疑問には思わない。


 疑問だったのは発言の内容だった。


 ──焼け、とは?…もしかして…


 陽も阿呆ではないため、答えにすぐさまたどり着く。


「私の火で焼いて傷口を塞げ…ってこと?」


 陽の問いかけに、よしおはうなずいた。

 出血は勢いを強め、失血死の未来はそう遠くないだろう。

 だが焼き塞ぐというのはそれはそれで問題もある。


「わ、私の火は!そういう使い方できないわよ!強く吹き付けることはできるけれど、弱く吹き付けるなんて…いや、できるかもしれないけれど、もし私が失敗したら焼け死ぬわよ本当に!私の火はただの火じゃないの!あ…まって、て、鉄棒とかを熱して、そこに傷口を…」


 陽は自分の炎をよしおに浴びせかけるなど御免であった。

 トラウマがあるのだ。

 だからなるべく次善となる案を出そうとはしたが…


 ──焼けぇッ!!!!


 よしおの怒声が陽に叩きつけられる。

 よしおも別に陽を虐めたいわけではなく、そんな悠長な事をしている時間はないという意味で強く言っただけだ。


 しかし、今のよしおの精神状態はやや荒ぶっており、それが言葉に出てしまった。事実として時間は無い。

 流血は勢いを増していき、また“隠し鬼”はいまなお地面で呻いて、蠢いているが、相手が相手だけあっていつ復活するかわからない。相手は人間ではないのだ。


「ぴぃっ!?」


 小さい叫びとともに陽は人一人を炭化させるに十分すぎる出力で掌から火炎を放射し…炎がよしおと“隠し鬼”を飲み込む。


 ゴウゴウと燃え盛る大炎によしおと見られる人影が踊り、明らかに苦しんでいる様子だった。


「や、や、やっちゃった…ま、また…」


 ◆


 それはたまたまだった。


 たまたまよしおが“隠し鬼”の前に立っていて、たまたま“隠し鬼”をかばう形で炎を浴びたのだ。


 “隠し鬼”にこそ通じなかったものの、本来、彼女の炎はよしおの生命に届く程に強烈なものだ。

 よしおは炎に巻かれ、地面を転がり、火を消し止めようとした。


 もちろん陽の炎はそんなことでは消し止めることはできない。

 彼女の霊力が多分に練りこまれた炎は、たとえるならばナパーム弾の性質に近いものを備えている。

 霊力が付着し、それが炎上し、対象を焼き尽くすのだ。


 よしおも遅れてそれに気づき、身を包む炎…付着する陽の霊力を、自身の霊力で吹き飛ばそうとした。


 だが…


(足りないか)


 すでに比較的正気が戻ってしまっているよしおでは、陽の炎を吹き飛ばすほどの出力が得られない。


 陽もあわてて自身の炎を御そうとするが、一度発生させた炎を自由意志で出したりひっこめたりというのはできない。


 上着でバサバサとあおぐが、それは事態を悪化させるだけだった。


 そのままなら陽はよしおを焼き殺してしまっただろう。

 だがここで意外な助け船がよせられた。


「か、かくし…っ!?」


 陽は絶句した。

 “隠し鬼”…とみられる女性が立っていた。

 …不気味な老婆のような姿ではなく、妙齢の女性の姿で。


(こ、この妖気!“隠し鬼”に間違いないわ。でも、なぜ…?邪気を感じない…?)


 先刻まで交戦していた存在とはがらっと様子が変わった“隠し鬼”は、燃え盛るよしおに近づき、己が燃えるにも構わずその背に手の掌を置いた。


 炎が“隠し鬼”に吸われていく。

 喰われているのだ。


 やがて炎がすべて“隠し鬼”に吸われ…

 幽けき笑みをよしおへ投げたかと思ったら背を向けて歩み去っていった。その歩みを1歩、また1歩と進める度に、“隠し鬼”の身体が淡く輝き、やがて闇に溶けるように消えてしまった。


 赤子の笑い声が、夜のグラウンドに響く。


 ◆


 それはたまたまだ。


 よしおの利己の毒が、狂える“隠し鬼”に注入された毒が“隠し鬼”の根源をばらばらに解体したのだ。

 根源とはすなわち存在理由を意味する。


 利他のために生み出された“隠し鬼”は、真逆の利己の塊であるよしおの血肉を取り込むことによりショック反応を起こし、自身の根源を深く深く傷つけることになった。


 “隠し鬼”はただでさえアイデンティティーの崩壊すれすれの状態であった事も功を奏したのだろう、“隠し鬼”は根源をバラバラに解体され、それが正気を呼び込むことになった。


 元々彼女が狂ったのは三者三様の願いの混ざり方が悪かったからである。これがバラバラに引き裂かれれば、“隠し鬼”はもはやその身を現世に保ち続けることなどはできない。


 長年彼女は苦しみ、自身の苦しみゆえに他者を苦しめてきた。

 しかし皮肉にも、彼女の本来の在り方とは真逆のモノにより救われることとなったのである。

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