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第13話 隠し鬼⑦

 ◆


(お、おっさん……)


 晃はよしおから敵対的な態度を取られた事で、大きなショックを受けた。だがそれとは関係なく、息苦しく、体が重く…要するに金縛りのような状態になった事に驚きを隠せない。


 晃は自分の体を必死で動かそうと試みたが、まるで鉛のように重い体は微動だにしない。


「灰田君。潔白ならば動かないでくださいね。僕は君が嫌いではないです。仕事は真面目にやってくれていますし、いざ危険な状況になれば矢面に立つガッツもある。僕は君のバンドの曲を聴いたことがありますが、なんというのか…フォークとロックが融合したような、哀切感溢れるような曲の数々、僕はとても気に入りました。君は招来きっと凄い歌手になるのでしょうね。今でも十分凄いですが」


 しかし、とよしおは続けた。


「僕を罠に嵌めてここへおびき寄せたのかどうか?僕はそれが気になっています。もし裏切りだったら、僕は酷く傷つく。酷く傷ついた僕は、余り冷静ではいられないかもしれない。裏切りへの怒りの強さは、相手をどれだけ近しく、親しく思っているかに比例すると僕は思います」


 晃はよしおの目を見て、その言葉に嘘はないと感じた。


(おっさんは本当にそう思ってる。俺達の曲が好きで、俺の仕事態度に好感を持って…でももし俺が裏切り?をしていたら、俺を殺す)


 世間ズレして異常なよしおの思考を垣間見た晃は、しかし嫌悪感を持つことはなかった。

 不器用なおっさんだな、と思うだけであった。


 その余裕は自身が潔白であるがゆえなのだろうが、これまでも何度かよしおと仕事してきた晃には、よしおが異常な暴力嗜好者ではない事が分かっているというのが理由としては大きい。


(おっさんは…殺さない理由を探しているんだろうな)


 なんとなく、晃はそんな事を思った。


 ◆


(巫女様と彼の間に諍いがあった事は知っていた。しかし…表面的には解決したとは言え、まさか諍いを起こした当人がやってくるとは…本部は何を考えているのか…)


 啓が内心で歯噛みする。

 勿論表情には出さないが。


 そんな事を考えている間に、よしおが話を続けた。


「これでも僕はこの病院の皆さんの事を尊敬していますし、灰田君の事も同じ会社で働く仲間だと思っています…」


(ほら、殺さない理由探しだ)

 よしおの言葉に、晃は内心で言葉を返す。


「だからこそ、裏切りであってほしくないのです。そんな事があったら僕はとても悲しくなってしまう。人間を信じられなくなってしまいます。だから裏切らせないようにしようと考えました。つまり、裏切るだろうと確信した瞬間に殺害しようと思ったんです。行動に出る前に物理的に行動できなくさせてしまえば、それは行動しなかったも同然ですから。内心でどう思っていようと、裏切りという行動にさえ出なければ良いわけです。所謂、予防殺害です。しかし…それでいいのか…僕は悩んでいます」


 良いわけないでしょ、と雨子は思った。

 良いわけないだろ、と晃は思った。

 良いわけない、と啓も思った。


 ・

 ・

 ・


 どういう神経をしていればそういう結論が出るのかは甚だ謎だが、よしおの生来の善性と後天的に植えつけられた猜疑心が酷い化学反応を起こした結果、“こうなってしまった”と言う事だけは言える。


 その場の者達をそれなりには尊敬をしている、灰田 晃の事も同僚として好感を抱いている…そんな者達に裏切られるというのは頷ける話だ。


 しかし、そういう好感を抱いている者達でも裏切る可能性が0というわけではない、であるならば、裏切ったと判断した時点で殺害してしまえばいい、そうすれば裏切りという行動自体がチャラになる…という乱暴な理屈を納得できるものはそうはいないだろう。なにより、よしお自身がその決断を下すことに抵抗を感じているのだ。


 よしおの歪んだ合理が狂った結論を導きだし、よしおの正気がそれを掣肘せいちゅうしている。

 正気と狂気がよしおの精神世界で危うい綱引きを繰り広げていた。


 ただ、よしおは実際に巫祓千手の上層部…具体的には西の巫女から普通ではありえない仕打ちを受けている。

 勿論よしおはそれに対してケジメはつけているが、界隈ではよしおの過剰防衛だという声も少なくは無い。


 確かにうら若い少女の顔面に鉄拳をぶち込んで、鼻を圧し折った挙句にトドメをさそうとしたよしおの行動は、事情をよく知らない者からしたら乱暴に見えなくもない。


 心得のある者が数名、よしおを実力をもって制止したものの、もし殺害に成功してしまっていたら、よしおは今この場に居なかっただろう。


 衆寡敵せず。巫祓千手が組織としてよしおと敵対したのならば、潰されるのはよしおの方である。


 ◆


 ややあって、病室のドアを控えめにノックする音が聞こえた。


 はい、とよしおが律儀に答えると、ゆっくりとドアが開く。

 この時よしおは先手必殺の境地に居た。

 ほんの僅かな敵意でも感じたならば、抵抗を許さず五体をバラバラに引き千切ってしまう積もりだった。


 そしてこの時点で感じるものは強い隔意だ。

 それは敵意とは言えないが、手合わせといういわばトレーニングに毛の生えたようなレクリエーションで、殺意が多分に込められた攻撃をされたよしおからしてみれば、決を下すに十分な感情であった。


 よしおは右手が拳を形作り、瞳からは見る見る温度が失われていく。

 怒りが敵意に、敵意が殺意に、そして、殺意が破壊力へと変換される。


 その場の者達…啓や雨子らは、明らかに殺る気のよしおを止めようにも、肝心の体が動かない。

 よしおの殺意の縛鎖はいまだに病室中の者達の身動きを封じていた。


 よしおは彼等の意識ではなく肉体をのだ。

 これは殺気を飛ばし慣れている者にとっては常識ではあるが、“動けば殺す“という分かりやすい意思は生存本能に直接作用し、肉体強度がよほど高い者でなければ意思に関わらず身動きを封じられる。


 裏社会の喧嘩殺法でよく見るやり口で、余り上品とは言えないがよしおは祓い手として誰かに師事した事はないため、これはもう仕方が無い。


 ◆


 ドアが開いた瞬間、よしおはチーターの最高速度に並ぶほどの速さで飛びかかった。

 よしおの位置からドアまでは約3.5m。

 この距離を0.09秒で詰め、その勢いのままに右拳を放ち…


 そして、少女の眼前で拳を止めた。


 正拳突きの風圧が少女の茶色の髪の毛を後方へ吹き流す。


 制服を着た少女…高校生、西方を護る姫巫女こと茜崎 陽(アカネザキ ヨウ)は盛大に泣きべそをかきながら呟いた。


「な、なんでぇ…?」


 陽が隔意を持つのも当然である。

 隔意とは『その人に対し打ち解けない気持ち』であり、たとえ自身に非があったとしても、鼻の骨を殴り潰され、ましてや殺されかけた相手と易々打ち解けることが出来る者などいようか?


 さらに、一応その件はよしおとの間でも決着はついたはずだった。であるのに、訪問ののっけから拳で出迎えというのは“なんでぇ”と思うのも無理はない。

 前回はともかく、今回に関しては隔意程度で敵対意思ありとみなしたよしおがおっちょこちょいだったと言える。


 陽は巫祓千手の最高指導者、『座主』からよしおとの関係改善を兼ねて、謝罪…ついでに隠し鬼の祓いの協力者として派遣されたのだった。

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