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第7話 隠し鬼①

 ◆


 灰田 晃は幼少の頃から、他人には見えない妖しい胡乱気なモノが見える。


 “それ”は色んな姿形をしていた。それは時に人の姿に見えたりもしたし、動物や虫のように見えたりした。

 それが何なのかは分からないが、自分以外の誰にも見えていない事だけは確かだった。

 だから彼はそれを隠して生きてきた。


 両親にも友達にも先生にも……誰にも言わなかったのだ。


 そんな彼が初めてその事を話したのは、それまでただ見えるだけだった“それ”が、晃に対して話かけてきたからだ。



 小学校での授業が終わり、晃が帰っている時に通学路の途中に“それ”は居た。


 道の真ん中に白い服を着た女性…らしき人物が立っていた。


 ――赤ちゃん知りませんかァ


 ――私ィの、赤ちゃん、知りませんかァ


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 “それ”はシルエットこそ女性…のような姿だったが、生理的嫌悪感をもよおす悍ましいものだった。

 唇がめくれあがって乱杭歯が見えており、眼窩は酷く落ち窪み、奥に眼球が辛うじて見えている。

 白い服からは腐臭がした。


 明らかに普通の人間ではなかった。


 晃は返事をする事もなくその何かの横を通り過ぎ、わき目も振らずに駆け出した。


 怖かったのだ。

 言語化こそできないが、晃には確信があった。

 もしあそこで返事をしたら、どうなっていたか。


 ◆


「ねえ、母さん。帰り道に怖いのが居たんだ」


 晃の母親である灰田 依子(ハイダ ヨリコ)は鏡を見ながら熱心に化粧をしていた。


 夜から仕事なのだ。

 依子は酒を売り、体を売り、心を売り、それで生計を立てている。


 帰宅後晃が母親にそう言うが、母親は取り合わないどころか、鏡に映る表情を嫌悪に歪めた。


 彼女は晃の母親だ。

 晃の父である雄平は顔だけはよかった。

 性格は最低だったが、


 その顔だけは良い雄平と、同じく顔は良い依子の子供である晃はやはり容姿に優れた。

 小学校では女子達に囲まれ、男子は嫉妬すらしなかった。

 晃の容姿が自分達と隔絶する事が幼心で理解出来たからだ。


 だが晃は全然嬉しくない。

 なぜなら一番構ってほしい人に構ってもらえないからである。


「お前さ、そういう事言うなって言ったよね」


 依子の刺々しい叱責に晃は首を竦めた。

 晃は知る由もなかったが、依子も晃ほどではなかったが妙なモノを見たり聞いたりする事があった。


 だが彼女はその力を忌み嫌っており、自身の力を受け継いだと見られる晃の事も好きにはなれなかった。

 そして自身にその力を受け継がせた依子の母の事も、その母の事も好きにはなれなかった。


 依子は自身の血を忌み嫌っていたのである。


 依子はため息をつきながら夜着ていくための上着を見繕ろおうとし、その細い二の腕についた手形の痣を見て顔色を青褪めさせた。


 ――痣が、濃くなっている


 ◆


 灰田 依子…旧姓、鬼撫 依子(キブ ヨリコ)はⅠ県のF村で生まれた。


 鬼撫という性は珍しいが、それも当然で、遡れば彼女の祖先はかつてこの辺りを支配していた豪族の一族であった。

 いや、支配していた、というのは正しくない。


 “鬼”にその身を差し出す…いわば人身御供の一族として存在することで、支配させてもらっていたのだ。

 そして“鬼”は見返りとしてその地域に富を齎す。


 鬼を慰撫する一族、故に鬼撫。


 明治、大正、昭和、平成を経て、令和の今となっては人身御供の風習をこそ廃れたが、少なくとも大正の一時期までは一族でもっとも優れた力を持つ子を生贄に捧げていたという。


 しかし風習こそ廃れたが鬼撫の血に伝わる“力”は時代を経ても受け継がれ続けた。


 幼少時、依子は自身に変なモノが見えたり、変なモノが聞こえたりする事に対して酷く怯え、周囲の大人達に相談をするも、“鬼撫さんちの子なら仕方ない”と取り合ってもらえなかった。


 ――きぶ、なんて名前だから

 ――わたし、こんな名前はいや


 依子がそう考えるようになるのは当然の仕儀と言える。

 やがて成長するに従って変なモノや音は見えたり聞こえたりするだけではすまなくなるようになる。


 ある日、依子が友人と遊び、その帰り道。

 田舎道の真ん中に一人の女性…のような影が立っていた。

 女性は腹を膨らませ、孕んでいるように見える。

 日は傾き、紅色を強めている時分である。

 はっきりとは見えない。


 いや、“見えてはだめだ”と依子は何の根拠もなく思った。

 依子の耳にその影の呟きの幽けき声が届く。


 ――赤……知りませ……かァ


 ――私ィの、赤……、知りま……かァァァァァアア



 依子は恐怖で足が竦み、その場に蹲ってしまった。

 ひたひた、という足音が聞こえる。

 影の女は裸足の様だ。


 影はじりじりと近付いてくる。

 やがて依子の前で足を止め、細く青白い指が依子の腕を掴む。


 ギチギチと。

 それは凄まじい力で依子の腕を、まるで握り潰そうかとしているかのような。


 腕の皮膚が破れ、血が滴るのをみて依子は目を瞑った。


 ――もう、ダメ…


 依子がそう思った時。


 ◆


「よりちゃぁん!日が暮れる前には帰ってくるように言ったよねえー!よりちゃあーん!しゃがんで、何をしてるのー」


 遠くから大きな声が聞こえてきた。

 母の安江の声だった。

 途端にそれまで腕に感じていた圧は無くなる。


 依子ははっと立ち上がり、周囲を見渡す。


 ――誰もいない…?


 次いで腕を見る。


「………」


 そこには大きい手の痕がついていた。


 ◆


 それからと言うもの、依子の周囲では変異、怪異が頻発するようになった。


 学校でいきなり教室中の窓がばりんばりんと次々と割れたり、耳元で気味の悪い囁き声が聞こえたり。

 玄関に鳥や犬猫の死体が置かれていたり。


 ある日、依子がたまらず“あの女”の事を父母に話すと彼女の両親は顔色をさっと変えた。

 特に母親の狼狽は凄まじいものだった。


「嫌よ!!!お母さんが、お母さんが順番だったはずじゃないの!だから私は選ばれなかったのよ!よりちゃんが選ばれるのも早すぎるわ!せめて、せめてよりちゃんの、子供の、子供とか…そのくらいに順番が回ってくるんじゃないの…?」


 ――順番…?


 順番。

 そんな何の変哲もない単語から、依子は不穏を凝縮したような厭な気配を感じていた。


「落ち着け、安江!大丈夫!大丈夫だから…」


 依子の父である源二が安江の背中を撫でながら言う。

 しかし安江の恐慌は益々強くなるばかりだった。


「落ち着け!?落ち着けるわけないでしょう!お母さんがどんな風に死んだか…」


「おい!」


 幼い依子といえども“死ぬ”という言葉の意味は分かっている。口を滑らせた安江を源二は叱責し、安江もさすがにそれは不味いとおもったのか口を噤んだ。


「…星周さんに相談しよう。あの人は一昨年きたばかりだけど、ド偉い人だって聞いたぞ」


 源二の言葉に安江の恐慌は収まる。


 逆月星周(サカヅキ セイシュウ)は2年ほど前にF村へやってきた若い神主だ。


 F村には東陰神社と呼ばれる一社の神社が存在するが、もう大分前から神主が不在で、神社の管理は村人達がボランティアのような形でやっていた。


 神社は巫女神様と呼ばれる一柱の神を祀っているとされるが、現在の村の者達は誰もその神の詳細についてはしらない。ただ、神様は神様だからと自主的に社殿の掃除などをやっている。


 ◆


 相談を受けた逆月 星周は件の少女…依子を視て息を呑んだ。

 優れた祓いの業を持つ星周には分かる。


 少女に憑いているモノが。

 少女を狙っているモノが。

 その禍々しさ。

 その強大な邪気。


(これが、恐らく…“本部”の言っていた…)


 そもそも“組織”内ではエリートとも言っていい星周が決して豊かとも言えないF村へやって来たのは、本部の星見が“隠し鬼”の影を捕捉したからだ。


 星見とは占い師の様なモノだと思って良い。


 そして“隠し鬼”とは古くからこの地域に伝わる大邪である。起源は分からない、由来も分からない。

 ただこの地域には昔から子供を攫う…それも特定の家の子供を攫う霊異が存在する。


 星周の所属する組織…『巫祓千手』は、古くからそういった霊異と対峙してきた。ちなみに国営の組織である。

 だから組織の構成員は国家公務員といって構わない。


 勿論他にも似た様な組織がないわけではないのだが、そういった組織は基本的に極めて高額の報酬を取るため、たとえ極めて危険な霊異が存在したとしても、依頼主の経済状況次第では動く事が無い場合も多い。


 これは銭ゲバだから、というわけではなく、先立つものがなければ準備も手落ちとなり、結果として深刻な被害に発展しかねないからだ。


 危険な霊異に対峙できる人材というのは畑で取れるわけではない。どこの組織だって被害は少なく済ませたいし、少なく済ませるためには充分な準備は必要だし、であるならば金だって掛かる、という理屈であった。


 ◆


 ともあれ国営組織『巫祓千手』の構成員である逆月 星周は才に恵まれ、努力を積みあげてきた真のエリートであり、組織内でも上澄みといって良い。


 この地域に以外にも霊的危険地帯というのは日本には数多くある。そんな中、星周は短期間、それも単独で多くの霊異を祓ってきた実績がある。そんな彼だからこそF村にただの一人で赴く事を許されたのだった。


 というより災害救助などとは違って、霊的危険地帯に業前未熟な者を連れて行くと餌にしかならないという事情もある。星周が出向かなければならない現場に同行できる者というのは限られており、その限られた者達も出払ってしまっている。


 単独赴任が許可されたのはそういうお家事情もあるのだ。


 その彼をして、一目でこれは手に負えぬと判断した。

 だが同時に残された時間も少ない事も分かってしまった。


 星周の眼が依子の腕に残された手の痕を見れば明らかだった。じっと見ていれば分かるだろう、痣が少しずつその色を濃くしていくのが。


(目印だ)


 そう、それは目印だった。

 恐るべき邪悪からの、贄の目印。

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