◆
深夜。
カチカチとクリック音が響く。
よしおは同僚の石黒の自室で、とあるサイトを閲覧していた。
それはポルノサイトだった。
画面一杯に綺麗な女性のあられもない姿が映っている。
だが、それを観るよしおの目は酷く冷たい。
つまらない漫才を見させられている観客の様な目をしている。
これはこれで奇妙な光景だった。
なぜなら普通、ポルノサイトを観る成人男性の目というのは大なり小なり欲望の光でギラついているものだからだ。
よしおの瞳はサハラ砂漠よりも更に乾いており、欲望の光は欠片も見えない。
だがそれ以上に奇妙な光景がそこには広がっていた。
画面には動画のアイコンが沢山並んでおり、視聴者はそのアイコンを見てどういう女性、どんな内容かを雑に知る事が出来るのだが、そのアイコンに映っている女性が皆よしおの方を見ていたのだ。
それを異様といわずに何を異様というのだろうか。
何十人、何百人もの真っ暗な眼窩の女性達が真っ赤な口内が見えるように大きく口を開けて、よしおを見ている。
だがよしおはそんな異常な状況にも構わずに後ろを振り向いた。そこにはだらんと舌を垂れ、虚ろな瞳のまま座り込んでいる石黒が居た。
ばぎん、と何かが折れた音が響く。
よしおが右手を握り締めて関節が鳴った音だ。
◆
石黒 仁(イシグロ ジン)という男は物事を余り深く考えない。
良い言い方をすれば陽気で、悪い言い方をすればデリカシーがない。
とはいえロクデナシという訳では無く、仁は仁なりに周囲の人間関係を大事にしており、それは周囲の者達にも伝わってはいた。
だから彼がしょうもない事を言ったりやったりしても、“まぁ仁だしなぁ”という空気が醸成されている。
こんな仁だがこれでいて妻帯者だ。
大学時代からの友人と結婚したのは最近の話で、その妻も現在は出産の為に里帰りをしている。
そんなわけで仁は奥さんがいないうちに独り遊びを楽しもう、と色々大人向けのサイトを物色していた。
そんな彼が“そのサイト”を知ったきっかけは、Flitterと呼ばれるSNSサイトでの書き込みであった。
成人向けコンテンツを紹介するアカウントを沢山フォローした為に、“おすすめのアカウント”として表示されたのだ。
幸田@ss1ss20123
20XX年X月XX日
このたび、特殊なルートから集めた画像、動画をアップした超刺激的な新サイトを立ち上げました♪
あんな女優さんやこんな声優さん、勿論素人さんの●●●も取り揃えております! 興味のある人はSelegramにメッセ飛ばしてくださいね。
20XX年X月XX日
大盛況な為、会員数を制限させていただきます!
会費は月額8000円ですが、支払いの更新をされなかった会員様は会員リストから削除し、削除待ちの会員様を繰り上げて会員とさせていくというカタチにします。
20XX年X月XX日
会員パスを変更しました♪
会員の皆様にはSelegramから通知を送っています。
確認して下さいね!
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「……要するに、流出モノを扱うサイトってことか。それにしても会員数制限したりサイトにパスかけたり、よっぽどえぐい動画がアップされてるのかな。それにしても8000円って高すぎるだろ……」
仁は当初はそのサイトにさほどの興味を示さなかった。
と言うのも、その手の流出サイトなどというのは探そうと思えば幾らでもあるし、動画自体もどこかに転がっているものだからだ。
だが、そういうありふれたサイトが安くは無い会費を取ったり、会員制限をかけたりというのは聞いた事がない。
そのあたりが少し気になった仁は『幸田』というアカウントの他の書き込みを見てみたが、よくある業者アカウントといった有様で物珍しさはなかった。
仁も普通ならそんな怪しいアカウントはミュートするかブロックする。……筈なのだが、どうにもその時、仁はそのアカウントが気になって仕方がなかった。
──でも、8000円かぁ
安い額ではない。
ましてや仁はただでさえ給料が低いのだ。
仁はとあるビルメンテナンス・清掃会社で働いており、手取りは税金だのなんだのを除けば手取り16万程度だ。
ボーナスは出るし、福利厚生もしっかりしているが、基本給の低さはいかんともしがたかった。
──でも、楽なんだよなあ
そう、仁の勤めている会社、『株式会社アロー』は楽だった。メンテナンス部門は知らないが、清掃部門は楽なのだ。
朝8時に事務所について、9時までには事務所を出る。
そして遅くとも16時前には仕事が終わり、日報自体も非常に簡略なものを書いて終了だ。
清掃内容についても大した事はなく、掃き掃除だけで終わる現場もある。
例えばワックスを塗ったりだとか、ワックスを剥がして新しく塗りなおしたりだとか、銀行や大型百貨店などの大きな現場にいくこともない。
給料が安い理由は、仕事が簡単だからである。
正直いって利益が出ているとも思えないのだが、なぜだか会社は回っている。
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ある日、仁は一念発起して会員になる事をきめた。
ここ最近自家発電に使う動画にもマンネリがきてしまっており、ここらで新しいフロンティアを開拓したかったのだ。
サイトは会員数が限られているそうだが、見る限りは毎月空きが出来て、その度に募集している。
仁が見る限りでは月末~月初めに募集する事が多いようだった。
その読みは正しく、幸田なるアカウントはやはりその月の初めに募集をかけていたのであった。
──Selegramを使うあたり、結構ヤバめのサイトっぽいよな
仁は少し不安を覚える。
と言うのもこのSelegramというのは秘匿性の高さから犯罪者御用達といったイメージがあり、実際に詐欺グループなどはこのアプリを多用している。
だが一度気になってしまったからにはどうにも放置出来ない。仁は自分でもその衝動が不可思議でならなかった。
よくありそうなポルノサイト……それもどう考えても合法でないサイトに、ここまでの好奇心を抱き、それを捨てられないというのは……。
結局仁は件の幸田と名乗るアカウントに連絡を取ってしまった。
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黒すけ [20XX/03/06 12:39]
すみません、書き込み拝見しました。会員枠はまだ空きがありますか?
KODA [20XX/03/06 12:43]
はい、先ほど空きができまして現在1名募集していますよ! 入会をご希望されますか?
黒すけ [20XX/03/06 12:47]
はい、是非入会させて頂きたいです。
KODA [20XX/03/06 12:56]
かしこまりました。いくつかサンプル動画を送ります。
サイト内には送ったものより遥かに品質の良いものが沢山あり、当然ですが修正もしていません。支払いは電子マネー限定となりますのでご注意下さいね。それではこの……
何かに吸い寄せられるように。
仁は幸田の言うがままに8000円分のビットキャッシュを購入し、ひらがなIDを伝えて支払いを終えた。
すると間をおかずにサイトのURLとメンバーID、パスワード、サイト利用に関しての注意点が書かれたテキストファイルが送られてくる。
・当サイトに掲載されている画像は、いかなるツールを用いても抽出は出来ません。このサイトでのみお楽しみ下さい。
・会費の支払いは毎月末日までに電子マネーのIDを書いてSelegramのアカウントまでお送り下さい。
・当サイトに対していかなる口コミ、情報の共有を禁じます。
他にも色々あるが、注意点と言うのは概ねこのようなものだった。
仁はふうんとごち、そして特に考える事なく部屋のPCで件のサイトへアクセスをした。
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「……マジか……これ、マジか」
サイトにログインした仁はアップされている動画に驚愕した。アイコンで見る限りは他の“その手のサイト”と大して変わりはないのだが、驚くべきはそのタイトルだった。
そんじょそこらの流出動画ではなく、極めて鮮明な画質で、しかもタイトルには芸能界隈には疎い仁でも知っている有名な女優の名前が記されている。
そういう動画が1つや2つではなく、もう画面一杯にそんなものがあるのだ。
さすがに本人ではないだろう、と1本の動画をクリックして閲覧すると、少なくとも仁の知る限りでは女優本人があられもない姿を晒して男に組み敷かれているものだった。
芸能人だけではない。
●●女子大学、●●学部、●●●●●●、というように名前や素性も銘記された女性の動画や、低年齢のかなり不味いタイプの動画もあった。
仁はあわててサイトからログアウトし、ウイルスバスターが正常に作動しているかを確認。そしてVPNをかませてから再度アクセスした。
物事を深く考えない仁といえども、そのままアクセスするのはまずいと思う、それほどにアングラなサイトだったからだ。
だが退会しようとは思わなかった。
なぜなら“非常にまずい”動画を見るというシチュエーションそのものに興奮してしまったし、動画内容もそこらの流出のそれとは違って極めて画質がよく、おかずとするには最高の出来だったからだ。
ごくり、と生唾を飲み込み……仁はサイトを開いた。
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“そのサイト”はとんでもない代物だった。
仁の欲望をこれ以上無いというほど満たしてくれた。
他者に言えば嫌悪の念を持たれるであろうシチュエーションでもそのサイトにはいくらでも存在した。
所持するだけでも違法な画像も動画も、そのサイトなら観放題だった。
──これで月8000円は安すぎるな。ともかく絶対このサイトは他人に知られないようにしないと……
この時は仁もまだ理性らしきものが残っていた。
だがサイトを見る度に、仁は妖艶な囁き声を耳にするようになり、時には生々しい触感を伴って仁に女の幻影が触れる事すらもあった。
いつしか仁はそのサイトを自慰の為に見るのではなく、見るために見るようになっていた。
美しい女性達の眩い裸体を見るだけで仁の心は酷く安らいでいくような気がするのだ。
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・
・
「うっす」
「おはようございます」
ある日の朝、灰田晃と高野真衣が出勤をしてきた。
2人は同じ電車だそうで、一緒に事務所に来る事が多い。
「……うぇ」
出勤してきた晃が露骨に表情を歪めた。
視線を追った真衣も同じだ。
恐れと嫌悪が混じった視線をとある社員に向ける。
それは勿論よしおではない。
そもそもよしおは今日は少し遅れると二人に連絡をしてある。用事があるのだ。
といっても剣呑な用事ではなく、地区の朝の掃除に参加しなければならない、というような酷く健全なものだったが。
2人の視線の先には石黒 仁という30代も半ばの社員が居た。デスクにかぶりつくような異様な姿勢。
よくよく見れば職場でポルノサイトをみているではないか。
イヤホンこそつけているが、これは社会人として言語道断な振る舞いだ。
しかし事務所長である緋河 亜希子(ヒカワ アキコ)は月に1回程度しか事務所を訪れないため報告はし辛い。
別にサボっているわけではなく、“特別な仕事”をこなしているのだ。ならば他の社員に、という話になるが……。
社員は鈴木と石黒の2名である。
ちなみに都内には他にもこのような“事務所”が存在しており、地域ごとに清掃エリアをわけている。
(鈴木のおっさん気付いてるのかな? 最近ずーっとこんなんだぜ)
晃の小声に、真衣も小声で答えた。
(気付いてると思うんですけど……)
石黒 仁はここ暫くずっと職場でもポルノサイトを観ている。
それもかじりつくように、眼もぎょろぎょろさせて、なんというか尋常な様子ではないのだ。
よしおもそれに気付いている。
気付いてはいるが注意をする事はしなかった。
それを晃と真衣は不満に思っていた。
やがて事務所のドアが開き、よしおが出勤してきた。
青い作業着は折り目もしっかりついており、彼の几帳面な一面が垣間見える。
そして石黒の方をちらりと向くと、ビクビク、とよしおの瞼が震えた。
(うわ、おっかな……あれおっさんキレてるぜ。でもなんで何も言わないんだろうな)
晃がぶるっと震えてよしおの様子を見てやはり小声で言った。
(普段怒ったりしないから余計怖いんですよね……。それにしても一言もないのは変ですよね)
真衣がそれに答え、やはり疑問なのか小首をかしげた。
真衣がこれまでよしおと接してきた経験上、鈴木よしおという人間は出来ない事に対しては酷く寛容だが、やらないことに関しては酷く冷たく、厳しく接するというイメージがある。
(あ、でも今日は……)
真衣が続けて言う。
よしおが石黒の背に回って、仁の肩を掴んだのだ。
その眉は顰められている。
「石黒さん。他のバイトの子には説明しておきました。今日は石黒さんの仕事はありません。そのまま帰宅してください。ただ、少し話したい事があります。ちょっと……悪い虫がついているみたいですから。奥さんから電話があってね。少し様子を見てたんです。最近はご実家へ電話一本しないそうじゃないですか……」
ギチギチ、という音が聞こえてくるほどによしおの手はきつく仁の肩を握り締めている。
だが仁は少し痛がる素振りを見せない。
晃と真衣が息を殺して見つめる中、よしおはおもむろに平手を掲げ、背後から仁の耳付近を打ち据えた。
ぱぁん、という音が鳴り、仁の頭がかしぐがそれでも仁はポルノサイトを見続けていた。
「大分持っていかれてますね。ちっ、だらしない……それでも夫か……一家の大黒柱ならもっと意思を……」
突然の暴力、そしてその後の2人の反応にさすがに何かおかしいと感じた晃が、仁が見ている画面を覗き込み……嫌悪感、ちょっとした好奇心、そして何かに気付いた表情、最後に表情を少し青褪めさせてよろりと後ろへ下がった。
そんな晃を支えながらどうしたのか聞く真衣に、晃は小声で言った。
(あのエロサイト……に出ている女の人なんだけどよ……芸能人とか結構いてさ……でもその人達……全員自殺した人だぜ。そ、それだけじゃないんだ。信じられないとおもうけど、サイトの女が俺と目線を……で、でも無いんだ。目玉が……ない……)
晃は仁が見入るサイトを覗いたその瞬間から、自分もまた誰かに見られているような……そんな視線をあちこちから感じはじめた。晃は胆力があるほうだが、どうにも不気味な怖気、寒気が拭えない。
だがそれも長くは続かなかった。
晃の肩に手が置かれる。
よしおだった。
「例のビルと同じです。考えない事、見ない事、関わらないこと」
そう言って、よしおは手の甲で軽く晃の頬を叩いた。
するとあれだけ感じていた不安が霧が晴れるようにきえてなくなったではないか。
晃はぽかんとして、頬を押さえた。
全然痛くはないが、体……いや、心の中にしみこもうとしていた何かよくないものが吹き飛ばされた事を感得した。
その様子に真衣も気付く。
晃と真衣は両方ともが強力な霊媒体質というか、いわゆる“そういう素質”がある。
それはどちらかといえば不幸な事なのだが、よしおの下にいる事で彼等は自身に降りかかるはずの悲劇の大部分を振り払うことができていた。
「わ、わたしも叩いてください!」
真衣はよしおに懇願し、当のよしおは「高野さんは大丈夫なんですが」といいつつ、複雑な顔をしたままペチッと甲で真衣を叩いた。