公園に近づくにつれて、不穏な空気を体でひしひしと感じた。それは今までに感じたことのない、とてもイヤな雰囲気だった。
その雰囲気に体が飲まれたせいで、公園前で足がぴたっと止まる。
「おやおや、ビビリ発動したのかい優斗。情けないヤツだね、ホントに」
「だって……」
「ま、本当は私だって帰りたいさ。お前同様に霊力が回復していない状態でこんなところに、のこのこやって来ちゃったんだからね」
ウインクしながら腰に手を当てて雄弁に語った母さんに、呆然とするしかない。
「もしかして、俺に移したせいで……」
それなのにどうして、そんなふうに自信満々な顔していられるんだ、この人は――。
「ちなみにお前はなにをしに、ここに来たんだっけ?」
「……博仁くんを、助けたいって思ったから」
「助けたいという気持ちは、お前の足を止めてしまうような、そんな軽いものだったの?」
その言葉に、きゅっと下唇を噛みしめた。
怖いのもあったけど、軽い気持ちで来たんじゃない。助けたいと強く思ったのに、体全部がここは危険だというアラートを受け止めたせいで、足が止まってしまった。
俺の力を間近で見て、クラスメイト以外に褒めてくれた大事な人――しかもいろいろ教えてくれた霊能者の先輩にあたる彼を、俺の手で助けなきゃいけないのに。
「うん、顔つきが変わったね。それじゃあ腹をくくったところで、役割分担しようじゃないか」
「役割分担?」
「今の私らは、ふたりで一人前だと考えなさい。それくらい相手が強力だってことなんだ、油断するんじゃないよ。とにかくお前は、防御に徹すること」
いきなり、やったことのない指示をされて、慌てふためくしかない。
「ぼっ、防御っていったい、どうやってすればいいんだよ?」
「一度見せただろ、例の炎を防いだ結界をさ」
確かに見たけども、どうやってアレを作ればいいんだって話をしてるのに。やっぱり母さんは、教え方が下手だと思われる……。
「しかも、自分だけを防御するワケじゃない。私のことも護ってもらわなきゃ、攻撃に徹することができないからね」
「俺が母さんを護る?」
「そうさ。そうすれば私の霊力を全力で相手にたたきつけることができるんだから、当然の策だろ?」
確かに――そうすれば間違いなく除霊が成功する。問題は俺がちゃんと、護れるかどうかにかかっていることだ。
「助けたいとか護りたいっていう強い気持ちがあれば、どんなものにも負けないよ。大丈夫、優斗お前ならできる」
母さんが言ってくれた言葉に、博仁くんが教えてくれた言葉を重ねる。
――そうだ、想いを念じる力――
「ビビってる暇はないよ。早くしないと、あのコが飲まれてしまうからね」
「分かった、なんとかやってみるよ!」
博仁くんの気配は、まだ感じられる。きっと大丈夫だ。
両手の拳をぎゅっと握りしめ、震える足を前に進ませながら、勇んで公園の中に入って行った。
普段ならカラッとしている空気が、体にまとわりつくような嫌な湿気を含んでいた。公園内に設置されている外灯が、あちこちを照らして明るくしているんだけど、実際に視えなくても、その存在を気配で察知できてしまう。
「行くよ、準備はいいかい?」
いつもより気合の入った声で訊ねてきた母さんに静かに頷いて、堕ちた霊の場所まで一直線に進んだ。
――俺は防御に徹する、母さんと自分を護るんだ――
数珠を握り締めながら心の中で何度も呟くと、自分を覆うような煌く結界が突然現れた。隣にいる母さんを見たら、同じような結界に包まれていた。
「やればできるじゃないか。さすがは私の息子だわ」
普段褒めない母さんの言葉に、思い切り照れてしまう。顔が結構熱い……。
「上手く出来たからといって、油断するんじゃないよ。さっさと歩く!」
バコンと頭をたたいて先に行ってしまった母さんの背中を、慌てて追いかけた。そこにいたのは――。
「博仁くんっ!」
アメーバーのような真っ黒い塊をした大きな物体が、博仁くんの霊体にドロドロしたものを体にかけて飲み込もうとする姿があった。まるで、消化液をかけているようにも見える。
(怖い――あれがもし、自分にかけられたら……)
「優斗っ、こっちに来るな! 僕のことはいいから、早く逃げてくれ!」
博仁くんが言葉を発した瞬間、彼の言葉を飲み込むように堕ちた霊が大きな巨体を使って、彼に覆いかぶさった。
「母さんっ!」
「分かってるよ。阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺 鉢納入……」
聞いたことのない呪文を低い声で唱え始めたら、堕ちた霊の動きがぴたりと止まる。だが、ホッとしたのも束の間だった。
動きを止めた体から、カエルの手のような触手が何本も現れはじめ、その手を俺たちに向かって伸ばしてきた。
「ヒッ!?」
音もなく伸びてきたそれに、体を強張らせて目を閉じるしかできない――。
「怯むんじゃない、目の前をしっかりと見据えなさい!」
ビビリまくる俺に、母さんが叱責する。
言われた通りにするしかないと諦めて、おっかなビックリしながら瞳を開けたら、結界にびっしりと堕ちた霊の触手が、気持ち悪い感じで何本もへばり付いていた。
見るに堪えない状態だけど、逃げずに立ち向かうしかない。
――博仁くんを助けるために――
気持ちを強く持つと、へばりついている触手の行動を落ち着いて見ることができた。何本もへばりついてる触手が、強い力を使って結界を壊そうとしている様子に考えを巡らせる。
その間にも博仁くんの体を飲み込もうと、堕ちた霊がゆっくりと動き始めていた。
俺に霊力を与えたせいで、母さんの除霊のパワーが落ちているのかもしれない――俺のせいで……もっと自分に力があれば、どんな攻撃だってできるというのに。
「こんな触手をさっさと吹き飛ばして、博仁くんを助けることができたら」
しみじみと自分の不甲斐なさを実感していたら、風船が割れるような破壊音が耳に聞こえた。
「へっ!?」
よく見てみたら、たくさんある中の数本の触手がみずから、大きく膨らんでいる状態となっているではないか。
「もしかして……念じる力が伝わった、のか?」
半信半疑だったけど、心の中でイメージしてみる。目の前にある触手が、全部吹き飛んでしまう姿を――。
すると次々と風船のように膨らんでいき、勝手に破裂をはじめてくれたではないか。
「優斗、お前……」
驚いた声をあげた母さんに、俺は親指を立ててやった。
「自分でできることはやってみるから、母さんも頑張って!」
「分ったよ。好きにやりなさい、そっちは任せた」
微笑み合ってから、再び堕ちた霊と対峙する。残っている触手を吹き飛ばしながら、どうやって博仁くんを助けるかを必死に考えた。
自分に残された霊力があとどのくらいなのか、さっぱり見当がつかなかったけど、やるだけやってみるしかない。
「このまま指をくわえて、黙っていられるかってんだ。あの巨体から博仁くんを引っ張り出さなければ。……あ、そうだ!」
霊体の状態なら素早く飛んで博仁くんのところへ行き、急いで引っ張り出してすぐに戻れば、時間短縮とともに、護りもなんとか維持することができるかもしれない。
「博仁くんに霊体を引っ張り出されたイメージを思い出してみれば、自分でもできるかな?」
強引にだけど優しく引っ張られた感じを、一生懸命に思い出してみた。するっとしてから、フワッと出てきちゃったようなあの感じ――。
「あ……これ、だ……」
スルッとというのじゃなく、ズルリという感じで出て来られた。だけどあのときとは違う……どうして?
「なんだ、これ。全身が光ってる」
神々しい光に包まれて、金色に輝いている自分。なにがいったい、どうしたというのだろうか? もしかして、やってはいけないことをしちゃったとか?
「母さん……どうしよ、これ?」
情けない声を出した俺を見て、愕然とした顔した母さん。
「お前……どうして神威を纏ってんだい」
「カムイ? なんだよそれ? 悪いものなのか?」
「説明はあとでしてあげるよ。どうして霊体になったのか、予想はついてる。早いトコ行ってあげな!」