「校内の七不思議の中に必ず音楽室が含まれているけど、ウチの学校に関して、それらしいものは聞いたことがなかったな」
真夜中にピアノの音が聞こえるだの、飾ってある肖像画が笑ったり、目が光ったりするなど、噂を数えたらキリがない。そんなモノを全部合わせて計算すると、実際は七不思議を超えていたりする。
苦笑いを口元に浮かべつつ、眉間にシワを寄せながら、ぼんやりとアレコレ考えて音楽室の扉を開け放つ。
メガネを外して、幽霊がいるかどうかチェックしたのだが――。
「いねぇな、誰も。ちょっとだけ中で待ってみるか」
撮影時間を考えると、夕焼けで室内が照らされていた。大体午後5時過ぎだろう。
中に入って扉をしっかりと閉め、もう一度辺りをぐるっと視た。
「結局昼休みは霊のことを考えこんで寝れなかったし、横になりながら待たせてもらおうっと」
立派なピアノと教壇以外なにもないところなので、思いきりどこでも寝っころがることができる。しかも防音設備がしっかりしてるから、イビキをかこうが騒ごうがおかまいなしだ。
真ん中にどんと横になり、ポケットから写真を取り出して仰ぎ見た。
「願わくば、変な悪霊じゃありませんように。俺の対処ができる範囲で、どうかヨロシクお願いします!」
無理難題なお願いをしながら写真を胸の上に置いて、両腕を枕にそのまま眠りについた。
その後すやすやと眠りこけて、どれくらいの時間が経っていたのだろうか。突然ひんやりした空気が肌を撫でる感触に、背筋がぞくぞくっとした。
「ううっ、さむっ!」
冷えた体を慌てて起こしながら目を擦って周りを見渡してみると、ピアノの傍に白いものがうっすらと視えるではないか。もしかしたら写真に写った、腕の持ち主の可能性がある。
「……誰かいるんですか?」
そこにハッキリと存在しているのに、このセリフは間が抜けてと思われる。
(弾きたいのに……じゃなきゃ忘れちゃう、どうしよう)
うろたえるような女のコの声が、頭の中に聞こえてきた。
床に落とした写真をポケットにしまってから、怖い気持ちを何処かに投げ去るように勢いよく立ち上がると、白い人影に近づいてみる。
(どうか、血まみれのグロい幽霊じゃありませんように!)
内心のドキドキをひた隠し、必死に胸を張った俺の目に、白い影が少しずつクリアになっていく。
「あの、えっと、こんにちは。君はここで、なにをしてるの?」
目の前にいる女のコの姿は、肩まで伸ばした髪の毛をふわっと紺色のセーラー服の襟に散らばせた、雰囲気の可愛いらしいコだった。ここの学校の生徒だったのだろうか。今の制服とは全然違う。
(――私が視えるの?)
「視えちゃってます。なにか困ってるみたいだね」
優しく声をかけたのに、女のコは不振そうな表情を崩さずに、俺をまじまじと見る。俺ってば、そんなに怪しいんだろうか?
(……アナタ、誰?)
「俺は三神優斗。君の名前は? ここの学校の生徒だったのかな?」
背の低い女のコの目線に合わせて顔を覗き込んでみると、もじもじしながら視線を逸らされた。
――すっげぇ珍しい。今まで出逢った幽霊は助けてくれだの、苦しいだの生首をやるとか、とにかく自分の想いを告げて縋りついてきた。それなのにこのコは、眉根を寄せながら俯くなんて。俺が聞いたことに対して、逆に困り果てている感じにも見えるな。
もしかして、俺が男だからなのかもしれない――。
「君が困っている感じだったから、声をかけたんだよ。けしてやましいことをしようとか、ナンパしちゃおうとか、変なことを考えていないからさ!」
ああ、もう自分がもどかしすぎる! 説明をすればするだけ、どんどん怪しさが増していくというのに。
「あの……私、五十嵐香織といいます。ここの生徒でした」
あたふたして一歩退いたときに、やっと顔を上げて自己紹介をしてくれた。
「五十嵐香織、さん」
「なんか、名前を呼ばれたのが久しぶりすぎて、すっごく嬉しいかも。優斗くんって呼んでもいい?」
さきほどまでの緊張感がとれて、柔らかく微笑む。自分の存在に気がついて名前を呼んでもらえたのが、本当に嬉しかったんだろう。
「いいですよ。じゃあ俺は、香織さんって呼びますね。香織さんはここで、なにをしようとしていたんですか?」
自分よりも確実に年上なので、さん付けで呼んであげながらしっかりと想いを訊ねてみた。
「私ね、ピアノを習ってたんだ。美術部で絵を描いて部活が終わってから、音楽室にあるこの大きなピアノで、いつも練習をしていたの。コンクールで弾く課題曲を、この手で一生懸命に……」
言いながら両手を見つめて、悲しげに長い睫を伏せる。悲壮感漂うその姿を、俺は黙ったまま見つめた。
「だけどコンクールの直前に、病気になっちゃってね。そのまま入院して、学校に行けなくなったんだ。せっかく練習したのに、コンクールにも出られなくなってしまって。半年くらい経った頃だったかな、死んじゃったの」
「そう、でしたか。辛かったですね」
同情しないように心にバリアを張って口にしたせいか、えらく声色が冷たいものになってしまった。
「最期にもう一度だけ、学校にあるピアノが弾きたいって思ったら、幽霊になっちゃった。優斗くんは、私を祓いに来たんでしょ?」
体を縮こませて訊ねられたセリフに、しっかり頷きながら答える。
「うん。だけど香織さんの願いをきいてから、あの世に通じる道を開いてあげるよ。ここにあるピアノは弾けないの?」
「うん。触れようとすると、ほら……」
写真で見た細長い腕――あれは香織さんのものだったんだと、ピアノに伸ばした手を視て直感した。言ったとおりに、触れることなくすり抜けてしまう。
「じゃあ俺が香織さんが弾けるピアノを、今から用意してあげる。ちょっと待ってて」
今日は力を使ってないフルパワーの状態だから、難なく出せると思えた。しかも目の前にはイメージしやすい、本物のピアノがある状態。
――絶対にいける! ピアノピアノ……香織さんに弾いてもらわなきゃ。ずっと弾きたがっていたんだから――。
むむっと念を込めて、右手に気を集める。いつものように光り輝く玉が大きくなりながらくるくると回転をはじめ、やがてそれは形になった。
「すごいっ、優斗くん! ピアノが出てきたよ。しかも触れる、音がちゃんと鳴ってる!」
香織さんは満面の笑みではしゃぎながら、人差し指で鍵盤を叩き、音を出してくれたのだが……。
「触れるけど、でもそれは君が望んだピアノじゃないよね」
自分が形にできたものは、子どもが遊ぶような、とても小さなピアノだった。
「でも触れるよ、音が鳴るもの。嬉しいよ」
「ごめん……。俺の力がまだ未熟で半人前だから、そんなものしか出せなくて」
――悔しい。もっと力があれば、目の前にある大きなピアノが出せたかもしれないのに……。
「香織さん、ちょっとだけ時間がかかっちゃうかもなんだけど」
嬉しそうにピアノの鍵盤を叩いていた香織さんに、思いきって声をかけた。
「なぁに?」
「俺の力がもう少し上がれば、そこにある大きなピアノが出せるかもしれないんだ。それまで待っててくれないかな?」
こんなことを幽霊に頼むなんて、すごく情けなさ過ぎる――。
「わかった。私、待ってるから。優斗くんが大きなピアノを出してくれるの。それまでこの小さいピアノを使って、片手ずつで練習しておくね」
「香織さん……ありがと」
「ううん。しばらく弾いてなかったから、忘れちゃったところもあるんだ。だから、良かったかもって思っちゃった。優斗くん頑張ってね」
にっこり笑って俺の両手を掴もうとしたけど、するりとすり抜けてしまった香織さんの手。
「触れたいと思うと、触れないのかな私……」
「だっ、大丈夫! 気持ちはちゃんと伝わったし俺、めちゃくちゃ頑張るから。そこら辺にいる幽霊をたくさん浄化しまくってさ、きちんと力をつけて、ここに戻ってくる」
彼女が掴み損ねた両手に拳を作って、頑張る姿をアピールし、勇んで音楽室を飛び出した。
香織さんの泣き出しそうな顔を、笑顔にしてあげたい。彼女が望む大きなピアノで思いっきり演奏させて、たくさん喜ばせてあげたい――。
「まだ力は残ってる。とにかくギリギリまで頑張って早いトコ、ピアノを出してあげなきゃな」
教室に寄ってカバンを肩にかけてから、決意も新たに生徒玄関へ向かって歩いた。