「綾瀬川っ!」
先輩様を掴んだ状態のまま、隣にいる綾瀬川に話しかけた。
「なんでしょうか?」
「もう二度とまっつーに近づかないで。これ以上あのコを泣かせるようなことをしたら、その顔が見れなくなるくらいにボコボコにする。ついでに金〇潰して去勢してやるから!」
高圧的な私のセリフを聞いたというのに、綾瀬川は嫌な笑みを頬に滲ませたる。
「すみませんが、さっきはやられてあげたんです。弱い貴女のパンチを、わざと受けてさしあげたんですよ」
綾瀬川が私の腕を捻りあげて先輩様から外すなり、応接セットから遠ざけるように、体を押し出されてしまった。まるで広いところでやり合うことを誘導した彼の誘いに、このまま逃げるわけにはいかない。
履いていたパンプスを脱ぎ捨てて、ファイティングポーズをとった。
「いい加減にしろ、斎藤。やめるんだ!」
それまでだんまりを決め込んでいた同期の加藤が、私たちの間に割って入り、握りしめる拳を降ろすように手をやる。
「なにすんのよ、このまま綾瀬川を見逃せっていうの?」
「見逃す見逃さないじゃない。おまえは間違ってる。暴力で解決するような問題じゃないだろ」
「でも……っ!」
私よりも背の低い加藤が、目力を込めて睨み返した。それは普段穏やかな加藤の顔からは窺うことができない表情で、言いかけたセリフを慌てて飲み込む。
「松尾がこのこと知ったら、悲しむことになるんじゃないのか?」
しかも痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。
「綾瀬川さん、大変申し訳ございませんでした。斎藤も反省しているので、許してやってくれませんか?」
言いながら私の頭を無理やり下げさせつつ、加藤も頭を深く下げた。
(こんなヤツに、頭なんて下げなくたっていいのに。加藤ってば、なにやってんのよ……)
「加藤さん、頭をあげてください。僕はこのことについて、騒ぐ権利はありません。殴られるようなことをした自分が悪いんですから」
「そういうわけにはいきません。うちの斎藤が綾瀬川様に、ここで暴力を振るったのは事実。上に報告したのちに、厳正な処分をくだします」
しゅんとした口調で返事をした綾瀬川の言葉を聞いた途端に、千田課長が偉そうに豪語した。加藤に下げられていた頭を強引に上げて、怒りの矛先を上司に向ける。
「上に報告、上等じゃないの。いいよ、言っても。でもね事情を聞かれたときに、千田課長がこれまでしてきたことも、あらいざらいぶちまけるから、覚悟して報告したら!」
「ぷっ、怖っ……」
綾瀬川の呟きを耳にしながら、会議室を出た私。その後、上からの呼び出しはなく、綾瀬川がまっつーに手を出さなかったおかげで、佐々木先輩と仲睦まじい姿を見ることができた。
しかしながら平穏な私の日常は、いきなり崩れてしまったのである。