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複雑な気持ちを抱えながら、千田課長にLINEをした。
『お疲れ様です。本日の件で斎藤さんに用事がありますので、定時で仕事が終わるように促していただけると助かります。会社の前で彼女を待ってます。』
文章を打ち終えてタップし、送信した途端に、大きなため息が漏れ出てしまった。
凶暴なゴリラ女とみずから逢う約束をしてしまうのは、致し方ないことだった。
「笑美さん……」
大好きな彼女が現在進行形でどんな様子なのか、傷つけた張本人だからこそ知りたいと思った。知ったところでなにもできないのに、知りたいと思う気持ちは、なかなか払拭することのできない感情で――。
「斎藤さん、さきほどはどーも。やっぱり千田課長に頼んで正解だったな」
目に眩しく映るであろうサービススマイルで、斎藤さんを会社の前でお出迎えした。ふたたび攻撃されることを想定して、眼帯を外しておくのを忘れない。
「あ、綾瀬川、殴って…そのぷっ、悪かったわ。んんっ、私がわるっ…ぷぷっ」
僕の顔をチラチラ見ながらなされる謝罪に、首を傾げるしかない。笑う要素など、どこにもないのに不思議すぎる。
「なに吹き出してるんですか。全然謝ってる感じがしないんですけど」
「ちょっ、顔を近づけないで! おもしろすぎて笑っちゃうでしょ!」
言いながら僕の肩根を掴んで、遠くへ押しやろうとする。
「斎藤さんは、すぐに手を出す癖があるんですね。そんなんだと彼氏ができませんよ?」
押される力に反発して近づくと、ふたたび僕の体に手を伸ばす凶暴なゴリラ女。このままだと押し問答が、繰り返しおこなわれそうだった。
「斎藤っ、またおまえってヤツは!」
怒鳴り声にも似たものが、会社の扉から聞こえてきた。慌てた顔した加藤さんが、斎藤さんの腕を掴んで動きを止めてくれる。
「なにすんのよ、綾瀬川が悪いんだからね。近づくなって言ってるのに、顔を近づけるから遠くにしてただけで、殴ったりしてない!」
「そうなんですか?」
斎藤さんの殴る場面を間近で見ていた関係で、あやしむことは当然だろう。しかも僕の勤める会社は大口取引先だし、担当している加藤さんがひやひやしながら心配する気持ちが、痛いほどわかる。
「だって僕の顔を見て、吹き出すんですよ。すごく失礼な態度ですよね?」
「だからってわざと顔を近づけて、私のリアクションを引き出そうとする綾瀬川が、絶対に悪い!」
睨み合う僕らに呆れたっぽい加藤さんが、意外な事を口にする。
「とにかく、会社の前で言い争うのはやめてください。それで松尾にご執心だった綾瀬川さんが斎藤を呼び出したのは、どういった理由なんでしょうか?」
(僕としては、この場に加藤さんが現れたことが、不思議でならないんだけど)
「加藤さんならどうします? 斎藤さんに殴られて、そのまま見過ごすことができますか?」
「俺は争い事が苦手なので、なにもせずにいつもどおり過ごします。俺のことよりも、今回のことは綾瀬川さんに非があったから、斎藤が殴ったんですよね。だったらなにもせずに、このままお帰りください」
加藤さんは僕に対して悪いことをしていないというのに、自ら深く頭を下げた。
「僕に非があるから、斎藤さんにお詫びに伺ったんですけど」
「お詫びなんて別にいらないわよ」
「そういうわけにはいきません。ついて来てください」
拒否られることを想定していたからこそ、加藤さんの腕を掴んで、目的地に向かう。
「え? なんで俺が? ちょっと待ってください」
「人質は黙って歩いてください。斎藤さんが助けに来ないでしょ」
凶暴なゴリラ女に聞こえるように、大きな声で言い放った。
「わかった。ついて行くから、加藤を放してやって。このことに関係ないんだし」
「加藤さんはどうしますか?」
無理強いして連れて歩いている手前、一応加藤さんの意見を聞いてみた。
「斎藤の性格を考えたら、いつ暴走してもおかしくないので、ストッパーとしてついていきます」
(ストッパーとしてついていく。加藤さん、それだけの理由だけで僕らに同伴するの?)
「そういうことなので、斎藤さん。両手に花状態でついてきてくださいね」
僕のあとにしぶしぶついてきた人たちを引き連れて来た場所は、行きつけのブティックだった。