「もう二度とまっつーに近づかないで。これ以上あのコを泣かせるようなことをしたら、その顔が見れなくなるくらいにボコボコにする。ついでに金〇潰して去勢してやるから!」
女性が言ってはいけない言葉を、おおやけで堂々と言い放ったことがあまりに滑稽で、思わず笑ってしまった。
「すみませんが、さっきはやられてあげたんです。弱い貴女のパンチを、わざと受けてさしあげたんですよ」
細い腕を素早く捻りあげて、さっさと先輩を助ける。そして笑美さんの友人の体を応接セットから遠ざけるように、強引に押し出した。
すると履いていたヒールの高いパンプスを脱ぎ捨てて、ファイティングポーズをとる。少し痛めつけないと、僕の強さがわからないだろうと考え、同じように拳を作ろうとしたときだった。
「いい加減にしろ、斎藤。やめるんだ!」
それまでずっと黙っていた加藤さんが、僕らの間に割って入り、彼女の握りしめる拳を降ろすように手を添える。
「なにすんのよ、このまま綾瀬川を見逃せっていうの?」
「見逃す見逃さないじゃない。おまえは間違ってる。暴力で解決するような問題じゃないだろ」
「でも……っ!」
仕事で何度も顔を逢わせている加藤さんは、とても穏やかな人だった。こんなふうに言葉を荒げたところを、一度も見たことがない。
「松尾がこのこと知ったら、悲しむことになるんじゃないのか?」
笑美さんの名前を聞いた瞬間に、握りしめられていた拳が緩められる。
「綾瀬川さん、大変申し訳ございませんでした。斎藤も反省しているので、許してやってくれませんか?」
加藤さんはみずから頭を下げつつ、隣にいる笑美さんの友人の頭を無理やり下げさせた。
「加藤さん、頭をあげてください。僕はこのことについて、騒ぐ権利はありません。殴られるようなことをした自分が悪いんですから」
「そういうわけにはいきません。うちの斎藤が綾瀬川様に、ここで暴力を振るったのは事実。上に報告したのちに、厳正な処分をくだします」
僕があたりまえのことを言ったら、ソファにしがみついていた千田課長が立ち上がり、喚くように会話に割り込んだ。
そのことに苛立ったのだろう。笑美さんの友人が加藤さんに下げられていた頭を強引に上げて、怒りの矛先を千田課長に向ける。
「上に報告、上等じゃないの。いいよ、言っても。でもね事情を聞かれたときに、千田課長がこれまでしてきたことも、あらいざらいぶちまけるから、覚悟して報告したら!」
「ぷっ、怖っ……」
思わず本音が、口から突いて出てしまった。そんな僕の呟きが聞こえたかどうかわからないが、きちんと一礼をしてから出て行く彼女を見送る。
残ったふたりから、ふたたび丁寧に謝罪されたが、このことについて訴えたり騒いだりしない代わりに、丸く収めてほしいことを願い出た。
笑美さんの友人斎藤さん――誰彼構わず噛みつく凶暴なゴリラ女との出逢いは、非常に最悪だった。