「佐々木さん、無駄なことはやめてください」
武道系を習い事として体得している僕に手を出したって、勝てないことを教えてやる。
「今すぐ松尾から降りてくれ、頼むから!」
僕に放った拳に力を込めて、そのまま押し出そうとする力に抗う。体や手の大きさだって僕のほうが上なのに、それをものともせずに押し続けられた。
「綾瀬川、好きな女を泣かせて、なにが楽しいんだおまえは!」
押しから一転した佐々木さんの引きに、押しを受け止めることでいっぱいだった僕の上半身が、思いっきりぐらついた。体勢を立て直そうとした矢先に、額に衝撃が走る。それは、目から星が飛び出るくらいのものだった。
「痛いぃっ!」
あまりの痛みに笑美さんの体から転がり落ちて、ベッドの下に這いつくばる。
じんじん痛む額を押さえていると、佐々木さんが着ているジャケットを笑美さんに被せて、扉の前に佇む杏奈に声をかける。
「悪いが、松尾の服を探してくれないか?」
「わかりました。お兄ちゃん、手錠の鍵はどこなの?」
(どこなのと訊ねられても、素直に答えるわけないだろ。笑美さんをこのまま、佐々木さんに渡すわけにはいかない!)
額を押さえて口ごもっていると、佐々木さんが舌打ちしながら近づき、僕に手を伸ばした。なにかされることがわかったので、瞬間的にその手を叩き落してやる。
「鍵、見つけました。そこの机の引き出しから――」
勘のいい杏奈が笑美さんの服と鞄を手にしたまま、鍵を隠してある机からそれを見つけてしまった。落としてなくさないように、自分のポケットにしまっていなかった僕のミス――そしてこのままでは、大切な彼女が奪われてしまう。
「笑美さんを解放されてたまるか!」
腹の底から声を出し、杏奈に向かって突進しようとした途端に、素早い動きで佐々木さんが僕の襟首をぐいっと力任せに掴みあげ、背後から羽交い締めした。
「早く松尾の手錠を外してやってくれ!」
耳の傍で喚かれて、頭の中がキンキンする。
「はなせ! 僕にこんなことをしていいと思ってるのか?」
「綾瀬川、誰かに無理やり拘束される気持ちを思い知れ。すごく嫌なことだろう?」
その言葉に、喉の奥で笑いながら答えてやった。
「こうして僕を後ろから拘束するなんて、笑美さんにやる練習台にしてるんじゃないんですか?」
振り返って佐々木さんの顔色を窺うと、メガネの奥の瞳が揺れ動いていて、動揺しているのが明らかだった。
「松尾にこんなこと、するわけがないだろ」
「笑美さんの肌は白いから、赤い紐で縛りあげたらきっと綺麗だと思いますよ」
「そんなこと、絶対にしない!」
僕が笑美さんにしていた行為を目の当たりにして、激昂していたのはわかったが、それ以外の感情を引き出すべく、丁寧に言の葉を紡ぐ。
「しかもかなり感度がいいから、なにをするにも楽しくて仕方ないんです。さっきだって僕のこの指で笑美さんの大事なトコロを弄ったら、蜜のように溢れさせて、中指を飲み込んでいったんですよ」
「やめろ……」
頬を赤く染めて首を横に振っていても、鮮明に語られたセリフで、佐々木さんの頭の中にさっきの光景が浮かんでいるだろう。好きな女のコが、ほかの男に感じさせられている姿を――。
「笑美さんのナカはあたたかくて、締まりもよくて最こ」
「やめろと言ってるだろ!」
「本当は知りたいでしょ? 笑美さんのすべてを。僕は昨日一緒にお風呂に入っているので、全部知っているんですよ。佐々木さんが知らないコトも」
ニヤニヤしながら教えた瞬間に、目を見開き唇を戦慄かせる佐々木さんの表情に、僕の心が優越感に包み込まれる。僕のおこないにより、怒りや悔しさで歪む醜い顔を間近で見られるのは、仕事の成功では得られないものだった。歓喜して、笑いだしそうなくらいに高揚する。
「綾瀬川……、おまえをぶっ殺――」
「すみません。お兄ちゃんに手錠をしたいので、腕を背中に回してもらえますか?」
いつの間にか杏奈が僕たちの傍らに立ち、声をかけた。手錠という不穏な言葉に、杏奈が手にしている物を確認して、笑美さんが解放されたことを知る。
「えっ? あ、はい……」
佐々木さんが一瞬呆けた隙に逃げようと体を捩ったのに、羽交い締めしている腕を背後に回された時点で、虚しい抵抗になってしまった。
「やめろ! はなせって!」
「はなすわけないだろ。おとなしくしてろ」
「杏奈、僕がおまえになにをした? なにもしていない兄に、することじゃないだろ!」
手首に感じる、締めつけられる独特な拘束感ですべてが終わったのがわかり、その場に膝をついた。
「松尾、歩けるか?」
「大丈夫です。佐々木先輩、助けてくれてありがとうございました」
「笑美さん、行っちゃ嫌だ!」
ここから出て行くことを察して、笑美さんに向かって叫びながら立ち上がろうとした。それなのに杏奈がタイミングよく僕の足を引っかけて、無様に転ばせる。
「お兄ちゃんいい加減にしなよ。どんなに頑張っても手に入らないものが、この世にはたくさんあるの。たとえさっきの続きをしたとしても、あの人の心は手に入らないんだよ」
(ガキがなにを言ってるんだ。この世の中のことをひとつも知らないくせに、偉そうなことばかり並べたてて)
「手に入らないのなら、入る方法を考えればいいだけのことなんだって!」
転んだ状態から脱しようと頭をあげた瞬間、堅い物が僕の動きを封じるように圧をかけた。容赦なく圧をかける小さな物に、杏奈が僕を踏みつけていることを知る。
「兄のことは任せてください。本当に申し訳ございませんでした」
謝罪のセリフの返事もなく、笑美さんが出て行った扉の音が部屋に響き渡る。