名古屋の支店とはいえ、私が以前働いていたところよりも、うんと大きい建物を見上げた途端に、気負いそうになった。
(俊哉さんはこんな大きい場所で、支店長代理として頑張ってるんだなぁ。そりゃ疲れるよ。ここで働くたくさんの人たちが路頭に迷わないように、お仕事してるんだから)
そんな俊哉さんの隣に並んでも大丈夫な奥様を演じるために、気合いをしっかり入れ直してから、まっすぐ受付に向かった。
「いらっしゃいませ!」
「おはようございます。支店長代理の佐々木の妻ですが、忘れ物を届けに来ました!」
斎藤ちゃんに言われた笑顔をちゃんと浮かべて、ハキハキ喋った。笑顔を保とうとして、説明したあとも呼吸をするのを忘れるくらいに、愛想良くしまくった。
「佐々木代理の奥様っ! いつもお世話になってます」
受付の綺麗な女のコが、慌てた感じでペコペコ頭を下げたのを見て、やっと我に返る。
「ひっ! あっ、そんな…こちらこそ、いつもお世話になってまする!」
ここで呼吸をやっとしたせいで、なんかもうぐたぐたな挨拶になったのが、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「佐々木代理に忘れ物をお渡ししましょうか?」
「すみません。重要な書類なので、本人に直接渡したいのですが」
思いきって自分で渡したいことを告げた理由は、誰が敵かわからないから。
ここよりも田舎の支店で、ただの正社員だった俊哉さんが支店長代理に抜擢されたことを、よく思わない一派がいることを、事前に聞いていた。隙があれば、足を引っ張られかねない状況ゆえに、俊哉さんだけじゃなく、私もしっかりしなければならない。
「かしこまりました。ではこちらでお待ちください」
私のワガママに嫌な顔をひとつもせずに、にこやかに対応してくれた受付のコが案内してくれたのは、立派な応接室だった。
「佐々木代理をお呼びしますので、もう少々お待ちください」
「ありがとうございました。お手数をおかけします!」
言いながら頭を深く下げたこのときの私のライフは、半分以下に急降下していた。
(慣れないことをしているせいで、愛想笑いが引きつり笑いになってる気がする。俊哉さんの奥さんとして、もう少ししっかりしなきゃダメだな)
受付のコが出て行ったので、傍にあるソファの隅っこにかけさせてもらう。体に感じる疲労感を認識していると、ノックの音が応接室に響いた。慌てて背筋を伸ばし、「どうぞ!」と元気よく返事をしたら。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
若い男性社員がいそいそと、目の前のテーブルにお茶を置いていく。
「すみません。ただ忘れ物を届けに来ただけなのに、お茶を出していただいて」
「そんなことないっす。佐々木代理には、めちゃくちゃお世話になっておりまして」
なんとなく体育会系の雰囲気を醸す若い男性社員と喋っていたら、ふたたびノックの音がした。
「失礼します。茶菓子を――、ってどうして宮内がここにいるんだよ?」
「そういうおまえこそ、どうしてここに来た? 急ぎの仕事があったハズだろ」
「ごめんなさいね、お仕事中なのに。早く戻ってください……」
言い争いに発展する前に、話に割り込んでやった。顔を見合わせるふたりを他所に、またまたノックの音が……。
「失礼しまぁす。あれれ、どうして先輩を差し置いて、君たちがこんなところで油を売ってるのかなぁ?」
彼らの先輩という人が現れて、応接室がカオスになったのは言うまでもない!
私はこれから、どうしたらいいのでしょうか?