それは俊哉さんを送り出してから、朝ご飯で使った食器を洗い、掃除をしようと、リビングを片づけかけたときに気づいた。
「これ、昨日俊哉さんが見ていた書類……」
お風呂をあがって、最初に目についた俊哉さんの背中。驚かせる気が満々だった私は、そっと忍び寄って俊哉さんに抱きつこうとした。けれど、そこで足が止まってしまった。
垣間見た俊哉さんの横顔が、とてもすぐれないもので、帰って来たときよりも疲れが滲んでいたから。
お持ち帰りの仕事だったかもしれないけれど、目に見える疲れをとにかくなんとかしてあげたくて、私の誘いを餌に寝室に招いた。
見ていた書類をあっけなく手放し、のしかかろうとする俊哉さんをしっかりとめて、膝枕にうまいこと誘導してから、マッサージすることに成功! 何気ない会話をかわしているうちに、俊哉さんはぐっすり眠ってしまったのだった。
「確か今日も、朝イチで会議があるって言ってたっけ」
書類の内容は、その会議に必要な感じのものではなかった。しかしながら昨夜の俊哉さんの気難しい横顔を思い出すと、その後の仕事で使う可能性があるような気がする。
「会社にお届けしたほうがいいよね……」
そう思い至ったのに書類を封筒に入れてから、一時停止したみたいにぴたりとその場で固まってしまった。
(支店長代理の奥様として、どんな格好で行けばいいの? しかも、なにか気をつけることはある? どうしよう、困っちゃった!)
こんなときは、迷うことなく頼るに限る人物、斎藤ちゃんに電話した。しかも彼女は、現在進行形で仕事中だけどね……。
「もしもしまっつー、ちょっと待ってね。部署を出るから」
「斎藤ちゃんごめんね、忙しいのに」
「いいのいいの。離れていても、こうして連絡くれるの、何気に嬉しいんだ」
まるで会社にいたときのようなやり取りができて、私としても嬉しかった。
「名古屋にいるまっつーからの電話って、かなり困ったことが起きたんでしょ? 佐々木先輩が浮気するとは思えないよ」
走って部署を出たらしい斎藤ちゃんが、息を整えながらすごいことを言い放った。
「それはわかってる、浮気の話じゃないの。あのね、俊哉さんが忘れた書類を会社に届けに行かなきゃならないんだけど、私はどんな格好して行けばいいのかなって」
私の言葉を最後まで聞いた斎藤ちゃんは、一瞬だけ無言になったのだけど。
「あははは! そんなの気にすることないよ。ボロボロの服を着てるんじゃないんだし、そのまま行けばいいんじゃない?」
「大丈夫かな、変な目で見られたりしない? こんなのが佐々木代理の奥さんなんだって」
私の不安を他所に、ゲラゲラ笑い倒してから。
「まっつーが忘れちゃいけないのは、かわいい笑顔でしょ! それを忘れずに、早く届けてあげなきゃ」
「ありがとう。斎藤ちゃんに相談したら、変に気張ってたのがバカらしくなった」
「肩の力を抜いて、リラックスするんだよ。まっつーの笑顔で佐々木先輩が落ちたんだから、絶対に大丈夫!」
それじゃあねとお互い忙しかったこともあり、さくっと会話を終了した。斎藤ちゃんのアドバイスどおりに、鏡の前で笑みを作って一応確かめてから、書類をしっかり持って、俊哉さんが毎日歩く通勤路を駆け抜けたのだった。