「佐々木代理、クリエイティブ・エージェンシーの須藤課長より、急ぎのお電話が入っております。外線3番です」
「ありがとう」
書類作成の手を止めて、電話に手を伸ばす。引き継ぎで覚えていた、名前の聞いたことのある広告代理店からの初めての電話に、手元のファイルを開いてから受話器を取った。
「お待たせしました。支店長代理の佐々木でございます」
ファイルには取引している店名毎に、情報が細かく記載されている。クリエイティブ・エージェンシーの欄には『広告の新規参入』という文字がプリントされているだけで、それ以上の情報はおろか、担当者の名前すら入っていなかった。
「クリエイティブ・エージェンシー経営戦略部課長の須藤と申します。初めまして!」
(初めましてと言ってるところを見ると、ウチの内部事情を知ってる人間だ。しかし営業部じゃなく、どうして経営戦略部の課長がわざわざ電話してくるんだろうか。俺の預かり知らぬところで、我社がなにかやらかしてる可能性があるのかもしれない)
「初めまして。このたび支店長代理になりました佐々木です。お急ぎの電話とのことですが、どういったご要件でしょうか?」
腹の探り合いになる前に、さっさと要件を聞き出す。広告の営業をするだけなら、手早くあしらえばいいだけの話だった。
「前任の土屋さんには、あえて言わなかった話があるのですが、佐々木さんはそのこと、お知りになりたいですか?」
「どうして、土屋に言わなかったのでしょうか?」
質問にはあえて返答せずに、ズバッと聞き返す。相手の出方を待つには、切り替えが難しいこの戦略が一番なんだ。
「仕事のできない人に言っても、それを有効活用しないからに決まってるじゃないですか」
「有効活用できる情報とは、いい話じゃなさそうですね」
「仕事柄、あちこちの広告代理店の噂話が耳に入ってくるわけですよ。談合とか賄賂的な感じの」
一際低い声で説明する須藤課長に、一旦電話を保留することを提案した。
(これまた、面倒くさそうな案件じゃないか。早く帰ることができるように、仕事をサクサクこなしている傍から、いつもこれだもんな……)
「込み入った案件になりそうだから、別室で話をしてくる。電話があったら、折り返しするからと伝えてください」
筆記用具持参で、隣の部屋に移動しようとしたら。
「佐々木代理、喉が渇くかもしれませんので、こちらのお茶をどうぞ」
部署にいる女子社員が気を利かせて、お茶の入った湯呑みを渡してくれた。
「ありがとうございます。手短に済ませますので、不在中よろしくお願いします」
そそくさと部署をあとにする俺に、女子社員たちが名残惜しげに見つめていることなど、まったく知る由もなかった。