松尾の右手を握りしめながら、住宅街をゆっくり歩いた。
「家まで送る。住宅街を抜ければタクシーが拾えるだろう」
綾瀬川邸のような、大きな家ばかりが並ぶ住宅街――表面上は裕福に見えるそれは、俺のまなざしには虚しく映った。目に見えるしあわせと本当のしあわせは、なかなかリンクすることはない。
(手に入らないのなら、入る方法を考えればいいだけと綾瀬川は言ったが、どんなに望んでも無理なことを理解している人間が、ここにはどれくらいいるんだろうな)
そんなことを考えながら、松尾に話しかける。
「松尾といろいろ話したいのも山々なんだが、先に斎藤に連絡をさせてくれ」
あいた手でスマホを素早く操作し、耳に当てる。斎藤は俺よりも先に出ている関係で、間違いなく綾瀬川のマンションに到着しているだろう。
「もしもし斎藤? そっちはもう到着してるのか?」
斎藤に訊ねながら、隣に視線を送った。電話をする俺をじっと見つめたかと思ったら、ちょっとだけ複雑そうな表情になった途端に、顔を深く俯かせる松尾。その態度に、早く電話を終わらせようと思った。
『到着して、ちょうどピンポン押すところでした。そっちにいたんですね?』
「ああ、俺の読みどおり実家にいた」
『てか私、慌てて会社を出てきたせいで、弁当箱を入れてた鞄ごと忘れちゃって、会社に自宅の鍵を取りに戻らなきゃいけないんです。ちなみにまっつーは無事ですか?』
「あと少し遅かったらヤバかった。そうか、一度会社に戻るなら、直帰することを千田課長に伝えてくれないか。よろしく!」
騒がしい斎藤の電話をさっさと切り、つないだ手に力を込めて、松尾を引っ張るように歩く。
「斎藤のヤツ、松尾を助けるために半休とって会社を出たんだが、急ぎすぎて家の鍵を入れた弁当箱ごと、会社に忘れたんだって」
「私のために斎藤ちゃんがわざわざ、半休をとってくれたんですね……」
「綾瀬川が自宅マンションか、実家にいるかわからなくてさ。二手にわかれて松尾を探そうってなったんだ」
松尾に電話内容の説明をしてる間に、住宅街から大通りに出る。目の前の車道には適度に車が流れているので、空車のタクシーが簡単に拾えそうだった。
「松尾の自宅どこ?」
タクシーを探しつつ、松尾の住所をスマホに登録しておこうと訊ねてみた。迷いなく俺に教えてくれることを、内心嬉しく思いながら登録する。
「佐々木先輩……」
スマホの画面と車道を忙しなく見やる俺の手を、松尾がぎゅっと握りしめた。
「どうした?」
唇を噛みしめて顔を俯かせる松尾の不穏な様子に、きちんと向き合うべく、腰を曲げて顔を覗き込む。
「松尾……」
「…………」
今にも泣き出しそうな面持ちをなんとかしたくて、優しく告げてみる。
「俺の元気、わけてやる」
つないだ手を少しだけ強く引っ張った衝撃で、松尾の顔がしっかりあがる。迷うことなく、目の前の唇に自分の唇を重ねた。しかし――。
「あ……」
綾瀬川に抱いていた嫉妬心や、もっと早く行動していれば松尾がこんな目に遭わずに済んだのになど、しまいこんでいた感情がキスに表れてしまった。
「悪い、勢いつきすぎて前歯に当たった。大丈夫か?」
「えっ、あ…その、はぃ。平気です」
「松尾に元気をわけようとしたのに、間違って俺が元気になったみたいだ」
俺の中にあるマイナス思考を見せないようにすべく、誤魔化すようにカラカラ笑い飛ばした。釣られるように松尾も笑ってくれたので、ちょっとだけ安心する。
「笑う門には福来るで、ちょうどタクシーが来たぞ」
松尾とつないでいない手を颯爽とあげて、車道にいるタクシーを呼ぶ。目の前で停車したそれにふたりで乗り込み、松尾の自宅まで向かったのだった。