タクシーを使い、自腹で綾瀬川邸宅に向かった。瀟洒な建物を囲うような大きな門の前で車から降りると、そこに佇む女子高生と目が合う。
「もしかして、うちになにか御用ですか?」
世間で有名な私立女子高の制服を着たそのコは、不思議そうな顔で俺を見上げた。日本人らしからぬ面持ちを目の当たりにして、綾瀬川と関係のある家族じゃないかと推測する。おかげで話がしやすい。
「昨日我が社の社員を、綾瀬川澄司さんがこちらに連れ帰っていると思うのですが」
あえて松尾の名前を言わずに訊ねたら、女子高生は静かに頷いた。
「兄が連れてきた女性でしょうか。お見舞いにいらしたとか?」
女子高生が綾瀬川と兄妹ということがわかり、神の助けとばかりに肩を掴んで揺さぶってしまった。
「お見舞いじゃなくて助けに来たんです。早くしないと松尾が危ない。君のお兄さんが過ちを犯してしまう前に、早くとめないと!」
「落ち着いてください! 兄が変な人間なのは知ってます。性格が歪みまくっていますので」
「そうなんです、歪んでいるからその! すみません、言いすぎました……」
言いかけてハッとし、慌てて手を退けて頭を下げた。いくら兄とはいえ、他人に罵倒されたら面白くないだろう。
「大丈夫です。うちの兄は見かけだけはいいので、皆さんそろってコロッと騙されちゃうんです。お客様は騙されなかった、珍しい方なんですね。どうぞお入りください」
門を開けながら丁寧に中に招き入れられたが、ちんたらしている時間はない。
「あの、急いでいまして。どこにいるかご存知でしょうか?」
「はい。屋敷の奥にある、ゲストルームにいらっしゃいます。とりあえず、鍵を持って向かったほうがよろしいですね。あの兄は、そういうところが徹底していますから」
靴のまま屋敷に入っていく妹さんの後ろを歩いたのだが、松尾の状況がさっぱりわからないため、気が急いてしょうがない。
「ここで少しお待ちください。鍵をお持ちします」
「はい、お願いします……」
下がっていないのに、メガネのフレームを何度も上げる俺を見て、妹さんは「急いで持ってきますね」とひとこと添えて部屋に入って行った。
(空気が読めるコで助かる。出来の悪い綾瀬川を傍で見ていたから、気遣いのできる妹になったのかもしれないな)
「お待たせしました。こちらです!」
小走りで屋敷を走る彼女のあとを追いかけること30秒ほどで、立派な扉の前に到着した。妹さんはノックをせずにいきなりドアノブを握りしめて、静かに左右に動かす。
「やっぱり鍵がかけられています。音を立てないように解錠して扉を開きますので、そのまま中にお入りください」
言いながらしゃがんで、そろりそろりと鍵を慎重に差し込む。ゆっくり鍵が動くのを息を殺して眺めていると、小さな音が解錠したのを俺たちに知らせた。
妹さんは俺の顔を見ながら頷き、勢いよく扉を開ける。目に飛び込んできたのは、松尾に跨って胸元に顔を埋める綾瀬川の姿だった。
それを目の当たりにした瞬間、俺の中にあるなにかが音をたてて切れた。
「綾瀬川あぁあ!」
怒鳴った声に驚いた綾瀬川は、上半身を慌てて起こしながら俺の姿を見、唖然とした表情をありありと浮かべた。
「なんで佐々木さんがここに――」
怒りにまかせに走り出し、迷うことなく綾瀬川の顔面に目がけて拳を振り上げる。今まで喧嘩なんて一度もしたことがない。誰かを殴って傷つけるくらいなら、殴られたほうがいいと思って生きてきた。
だがそんな考えが吹き飛んでしまった現実が俺を突き動かして、迷うことなく綾瀬川に拳を放つ。しかしそれは寸前のところで受け止められてしまい、呆気なく動きを封じられてしまった。
「僕にそういうの無駄だから」
「松尾から降りろ!」
「乗り心地がいいんで、離れたくないんですけどね」
「俺の松尾から、降りろと言ってる!」
めげずに反対の拳を放ったが、これも止められてしまう。手の甲に綾瀬川の指先がめり込み、かなりの痛みを伴ったが、そんなことでこの両方の拳を引くわけにはいかない。