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番外編14

 肩を落として帰っていく松尾を複雑な気持ちで見送り、その後松尾と仲のいい斎藤に松尾の携帯番号を訊ねた。


 すんなり教えてもらえると思いきや、散々ポンコツ呼ばわりされたのは、非常に面白くなかった。面白くなかったのだが――。


(綾瀬川の魔の手から無事に松尾が逃げ帰ったか、きちんと確認しなければいけないんだし、斎藤を罵ってる場合じゃない!)


 使っていない会議室に忍びこみ、無機質なスマホをタップして、登録したばかりの松尾を呼び出す。


「もしもし……松尾?」


 ドキドキした想いが、変な掠れ声になって出てしまった。いつもとは違う俺の声に、松尾は変に思っていないだろうか。


「佐々木先輩、お疲れ様です。今どこですか?」


「まだ会社にいる。さっきまで斎藤の作業を手伝っていたんだ。借りを残したくなかったから。今は誰もいない会議室に引きこもってる」


「すみません。本当はその作業、私の仕事なのに」


 しょんぼりした声色を聞いたせいで、元気づけなければとハリのある口調で告げる。


「気にするな。松尾は言いつけられた、四菱商事の面倒な接待をしなきゃいけなかったんだし。その声は、無事に帰れたみたいだな。なにもなかった?」


「大丈夫です。帰る道中、いろんなことを聞かれたのが、ちょっとだけ疲れちゃったというか」


 少しだけ元気になった声に安心したのもつかの間、俺の知らない松尾のいろんなことをアイツが知ったことに、内心苛立ってしまった。


「俺が知らない松尾の情報を、アイツに渡したってわけか」


「すみません。澄司さん自らいろんなことを喋るせいで、私も教えなくちゃいけなくなってしまったんです」


「謝らなくていい、俺は知ってる。松尾は酒を飲みながら、揚げ物を美味しそうに食べていたこと。つられて俺も結構食べたしな」


 一緒に居酒屋で過ごした楽しいひとときを思い出し、ニヤけながら告げてしまった。


「あ、はい……」


 照れたような感じが松尾の声に乗って伝わってきたのが嬉しくて、忍び笑いをした。すると今度は、松尾がつられるように笑う。恋人同士っぽいやり取りに満足しながら、咳払いをして、主導権を確保する。


「とりあえず、なにもなくてよかった。てっきり食事でもしてるんじゃないかと思ったら、なかなか電話をするタイミングが計れなかった」


「実はさっきまで、斎藤ちゃんと電話で話をしてました。佐々木先輩に携帯番号教えたからって」


「そうだったのか。思ったより早く対応してくれたんだな、斎藤のヤツ」


 斎藤に相談してよかったと、思わずにはいられない。


「佐々木先輩のポンコツさが心配だから、フォローしてあげるって言ってくれました」


「出た、ポンコツって言葉……」


 あまりに言われすぎた言葉を松尾に言われたせいで、ショックが隠しきれなかった。


「佐々木先輩、大丈夫ですか?」


 聞きづらそうに訊ねるセリフにハッとして、会話を盛り上げなければと松尾が食いつきそうなネタを思いつく。


「ああ。千田課長の妨害の恐れはあるが、口うるさい斎藤のフォローがあるみたいだし、松尾がアイツにとられないように、いろいろ頑張ることにする」


「いろいろ頑張るって、なにを頑張るんですか?」


「松尾のその感じ。内容がわかってて、わざと俺に聞いてるだろ?」


 吐息を含ませるように語りかけたら、受話器の向こう側で「んぅっ」なんて妙な声が聞こえた。俺の狙いどおり、あたふたしている松尾に、笑いが止まらない。


「本当にわかりません!」


 わかってるクセに強情を張る可愛い彼女をなんとかしようと考え、俺なりのお願いを試みる。


「俺としては一気に、松尾との距離を縮めたいんだけど?」


「ナニをして縮めるつもりなんですか。怖いなぁ」


 怖いと言ってるのに、どこか楽しげな口調で告げられたことは、まるで誘われているような錯覚に陥った。


「怖くない、大丈夫。優しくするから」


 松尾を抱きたい気持ちをあえてひた隠しにして、いつもより声を低くして告げたセリフは、そうしなければならないと、俺に呪文をかけるために言った言葉だった。元彼とのいざこざで松尾の心が傷ついている以上、優しくするのは当然のことで、綾瀬川に捕られるかもしれないという不安で掻き押しつけないようにしなければ――)


「それ、会社でしないでくださいよ!」


「わかってる。斎藤に散々注意されたし……。それじゃあ、また明日」


 慌ててスマホを切った理由――誰が入って来てもいいように、扉を凝視していたおかげで、ドアノブの動きを見逃さなかったから。扉から顔を覗かせた人物は、視線の先に俺を確認した途端に、眉間に深い皺を寄せる。


「佐々木こんなところで、なにをしてるんだ?」


「私用の電話です。なにかありましたか?」


 腰かけていた長机からおりて、千田課長に近づきながら、メガネのフレームをあげる。


「残業代が出るからって私用の電話して、無駄な時間を使うなよ」


「タイムカードはもう切っているので、残業代はつきません。残っていた理由は、さっきまで斎藤の手伝いをしていたことと、本来その仕事を請け負っていた松尾に報告するためでした」


「サービス残業までして、他の女にモテたいのかよ」


(――相変わらず、人をイラつかせることにかけては天下一品だな)


「残念ながら松尾に夢中ですので、そんな気すら起きません」


「いつまで、その余裕ヅラが拝めるんだろうな」


 不機嫌な様相から一変した嫌な笑みを浮かべた千田課長が、顔を覗かせていた扉から音もなく消え去る。


 どことなく気味の悪さを感じたので、すぐには出ずにその場に立ちつくした。松尾は無事に帰ることができたのに、俺自身が帰れないなんて、変な話だと思わずにはいられない。

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