『イケメンの佐々木くんよりも、テクニックが上でごめんねぇ。それじゃあ事後報告ってことで!』
俺の首を絞めるように腕の力を込めてから、放り出す感じで突き飛ばし、自分の部署に戻って行く千田先輩。あのとき俺を見下すように眺める千田先輩の表情と、「僕のほうがうまいですよ」と得意げに言った綾瀬川の顔が重なった。
(また俺は千田課長に、彼女を奪われるのかもしれない――)
千田課長は現在既婚者なので、一般的な倫理観が備わっていれば、松尾に手を出さないだろうが、綾瀬川を使って俺たちの仲を裂いて楽しむという手があるだけに、油断できない。だからこそ――。
松尾を助けるべく腰をあげた瞬間、ふたりが閉じこもっていた応接室の扉が開き、千田課長だけ出てきた。椅子から腰をあげた俺を見るなり、顎で外に出ろと促す。
メガネのフレームを上げながらフロアから出ると、自分の肩に手をやり、首を左右に動かす千田課長が待っていた。
「あ~すげぇ疲れる。なんで松尾の彼氏が佐々木なわけ? 俺の手を煩わせるために、わざと付き合ってるんだろ?」
「わざと付き合うなんて、そんなことありません。誰だって恋愛くらい、自由にするものじゃないですか」
「俺としては意外だなぁと思っただけ。おまえの元カノと松尾じゃ、全然タイプが違うだろ。しかも綾瀬川さんまでアイツに目をつけるなんて、華やかさのない地味な女が、今の流行りなのか?」
どこか呆れた様子で語る千田課長に苛立ちを隠しながら、淡々と答える。
「松尾の人の良さは、日頃のおこないで証明されてます。見る人が見ればわかるかと」
「説得力ないなぁ。俺に見る目がないって、ちゃっかり口撃してる?」
「そんなつもりは、まったくないです」
「またまたぁ! 佐々木の目が怒ってるって。『俺の松尾に、応接室でエッチなことをしたんじゃないか』って、本当は聞きたいくせに!」
腰に手を当てながら、俺の顔を覗き込む千田課長の態度と言動は、明らかな挑発行為だったが、これに飲み込まれたら最後、余計にめんどくさいことになる。
「わざわざ不貞行為をして、課長の座をなくすような馬鹿な真似をしないと知ってます」
上司の性格を持ちあげる部下を、しれっと演じた。
「佐々木ってば、そんなに俺のことを理解してるんだ。それじゃこれから俺がお願いすることだって、わかっちゃう感じ?」
「なんでしょうね。全然違わかりません」
俺の怒りを煽ることしか言わないこの人の前で、自分の意見を言うだけ、無駄なことくらい承知している。
「松尾の通勤時間帯は、綾瀬川さんが送り迎えをすることになった。ふたりの逢う時間がそれくらいしか作れないのは、すごく可哀想だろ?」
「短時間で彼氏持ちを口説くには、なかなか難しいと思いますけどね」
平然と答えても、千田課長は表情ひとつ変えずに、至近距離で俺を下から凝視する。どいつもこいつも野郎の顔を近くで眺めて、なにが楽しいんだか。こういうことをする綾瀬川と千田課長の行動の意味が、さっぱり理解できない。
「松尾のヤツ、綾瀬川さんと初対面で逢ったとき、食い入るように見つめていたぞ。ハーフのイケメン御曹司なんて、飛びつかない女はいない。俺が女なら自分が彼氏持ちだろうと、迷わず乗り換える」
「松尾は千田課長と違います」
捨てたりしないと断言した松尾を、俺は信じているので、ハッキリと言ってやった。
「そんなんだから、足元すくわれるんだよ。別に女なんてそこら辺にいるんだし、綾瀬川さんに松尾をくれてやってもいいだろ。おまえの見てくれに騙されて、付き合ってくれる女だっているだろうしさ」
「嫌です。松尾はこの世にひとりしかいません」
「へぇ、俺のアドバイスを無にするんだ。いいけどさ、とにかく綾瀬川さんの邪魔をするんじゃないぞ!」
平然を装い続けた俺の態度に、苛立ったんだろう。千田課長は舌打ちしながら、部署に戻って行った。
「邪魔なのは綾瀬川よりも、おまえの存在だ」
ボソッと悪口を呟いてから、部署に戻る。多分同じことを言われて気落ちしてるであろう、松尾を気にしながら。