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番外編12

 千田課長が松尾を応接室へと、個人的に呼び出した――それを目の当たりにして、心がいやおうなしに波立つ。それは過去に、自分の彼女に手を出されたことがあるせいだった。


 書類作成のために動かしていた指が、どんどん重くなっていき、打ち込む速度が格段に遅くなる。背後にある応接室が、気になって仕方がない。


 あえて目につくように皆の前で呼び出し、俺が気にすることを想定しての呼び出しだろう。あの人はそういうことを、平気でする男だ。


『新入社員の佐々木くんだっけ? 社内の噂になるくらいにイケメンだね、本当に。あ、俺は隣の課にいる千田っていうんだけど』


 初対面で千田先輩に話しかけられた印象は、あまりよくなかった。言葉では褒めているのに、ヘラヘラしながら俺に笑いかける様子から、バカにしている感じが伝わってきて、対処にえらく困った記憶がある。あのときは、お礼を言うのが精いっぱいだった。


『君を噂している女子社員が、俺の周りにたくさんいてね。目の保養に、同じ職場で働きたかったってさ』


「そうでしたか……」


『それでも社内で大きな仕事をするときは、一緒になるかもしれないなと思って、声をかけたわけ。よろしくね』


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 そんな当たり障りのないやり取りをした。その後、当時の付き合っていた彼女の教育係が千田先輩だと聞いたときは、なんとなく嫌な予感がしたからこそ『気をつけたほうがいい』のひとことだけを、彼女に言い伝えた。


 新入社員として自分も働いている以上、教育係を変えてくれなんていうワガママを言える立場でもないので、隣の課で働きながら、彼女を見守るしかできなかった。


『佐々木くん、ごちそうさまでした。美味しかったよ』


 初対面から3ヶ月後。すれ違いざまに言われた千田先輩のセリフの意味がわからなくて、その場に立ち止まった。振り返りながらメガネのフレームを上げたら、千田先輩は背中を向けたまま告げる。


『本当はもっと早くに、報告したかったんだけど。お互い忙しくて、なかなか逢う機会がなかったもんな』


「……なんのことですか?」


 俺からの問いかけで、ちょっとだけ振り向いた千田先輩は横目で見るなり、意地の悪そうな笑みを頬に滲ませた。


『佐々木くん、新人の中でも結構仕事ができるんだってね。先輩方からも聞いてるし、君の彼女からも聞いていたんだよ。自慢の彼氏だって』


 千田先輩の口から彼女のことを言われただけで、イラっとする気持ちに拍車がかかる。怒りをやり過ごすために、両手に拳を作ってなきものにした。


『背が高くてイケメンで仕事のできる忙しい君の代わりに、俺が彼女を慰めたってわけ』


「慰め、た?」


 千田先輩のほうが話を長くしているのに、俺の声だけなぜだか廊下に響く。動揺した印のように、語尾がいつもよりあがってしまったせいだろう。


『言っておくけど、先に手を出したのは俺じゃあない。「寂しいんです」って、彼女からまたがってきたんだからさ。仕事ばかりして彼女を放っておいたら、ダメじゃないか』


 千田先輩はショックで固まる俺の首に腕を回して、耳元に顔を寄せた。振り解きたいのに力が入らなくて、されるがままだった。


『佐々木くんにかまってもらえなくて、すっごく溜まっていたんだろうね。濡れ方がハンパじゃなかったし、挿れた途端に彼女が先にイったよ。君よりも、俺のほうが相性いいってさ』


 まったく、かまっていなかったわけではない。昼休みは一緒に飯を食って、残業がなければデートを兼ねて夕飯を食べたあとに、夜を共に過ごしていた。毎回寝ていたわけではないが、ちゃんと彼氏らしいことだってしていたというのに――。

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