正々堂々と言い切ったセリフに、素直に応じるわけにはいかない。大口取引先という強みを武器にされても、譲るつもりはなかった。
「松尾と別れるつもりはありません」
いつもより滑舌を良くして返答した。『ありません』の部分に、アクセントを置くのを忘れない。
「笑美さんは、どうですか?」
アイツは俺から松尾に視線をズラし、食い入るように見つめながら問いかける。目の前でなされる薄い笑みが、白々しさを感じさせた。
「私……ですか?」
「佐々木さんと別れて、僕と付き合う気はありませんか?」
「な、ないです。ごめんなさい……」
「ですよねぇ。お付き合いアピールを、くだらないこととハッキリ言い切れてしまう、素敵な方と付き合っているんですから。ですが――」
松尾の目の前に、わざわざ顔を寄せながら口を一旦引き結び、意味深にじっと見つめる。その様子だけで、なにを意図しているのか明白だった。
「僕のほうがうまいですよ」
「へっ?」
言葉の意味が理解できなかった松尾はぽかんとして、アイツの視線を受け続けたので、慌てて利き腕を引っ張り、ふたりの間に割り込んだ。
「綾瀬川さん、真昼間から誘うというのは、どうかと思います」
俺が間に入ったというのに、アイツは目の前に壁のように立ちはだかる。
「誘ったつもりなんて、全然ありません。だって僕はなにがうまいのか、ひとことも言ってないじゃないですか」
「あんなふうに顔を近づけて言われたら、誰だって誤解します」
身長の高さの違いや容姿の差を見せつけるように、綾瀬川は俺の顔をわざと食い入るように凝視した。
「笑美さんはなにを意味するのか、わからなかったみたいですけどね。残念!」
俺を通して背後にいる松尾を見ているようなものを感じ、防御から攻撃に転じなければと思考を巡らす。
「綾瀬川さんはあんな誘い方をして、女性の扱いにとても長けていることを、松尾にわざわざアピールしたかったんですね」
「そういうつもりは、まったくありません」
至近距離で顔を突き合わせているから、すぐにその変化に気づいた。俺の告げた言葉に反応したんだろう。浮かべていた微笑みが少しだけ崩れて、エメラルドグリーンの瞳が左右に揺れ動く。
(痛いところを突いたと思った俺の隙を誘うために、わざとそういう演技をしている可能性もある。だったらそれに乗っかってやろうか)
メガネのフレームを上げながら、腰に手を当てて嬉しげに瞳を細めたら、用心したのか縮まっていた距離をあけてくれた。おかげで堂々と胸を張って、松尾を守ることができる。
「そういうことは口頭ではなく、実践で伝えればいいのではないでしょうか」
「いいんですか、僕が実践しても?」
一歩前に踏み出た俺を見て、綾瀬川はどこか楽しそうに問いかけた。
「断られた相手にそういうことをするのは、犯罪になりますけどね」
これ以上松尾に無理強いするなと、強い口調で警告してやる。
「だったら本人が、自然に身を任せる状況下ならいいということになりますが、それでもかまわないんですか?」
「松尾には、俺以外知ってほしくない」
もう一歩前に出て、先ほどとは逆に俺がアイツに顔を近づけた。息を飲みながら俺を見下ろす視線は、見るからにフラットという感じで、感情がまったく読み取れない。口元だけでの微笑みを隠れ蓑にして、俺を煙に巻いているようだった。
「佐々木さんって、見た目は冷静そうなのに、結構情熱的な方なんですね。僕なんかよりも、女性の扱いに長けてそうだ」
「…………」
「笑美さん、お茶の淹れ方は、また今度教えてください。あんまり長居してると、大切な仕事の話を聞きそびれてしまうので」
半歩下がってからアイツは腰を折り、深くお辞儀をすると、俺たちから逃げるように会議室に向かって行った。
「松尾、大変だったな。大丈夫か?」
話が聞かれないことを確認後、安心して松尾にやっと話しかける。
「佐々木先輩がすぐに来てくれたので、大丈夫です。ありがとうございました」
「アイツとは初対面なのに、もう下の名前で呼び合ってるんだな」
自分との比較を口にしたら、松尾はバツの悪そうな表情であたふたした。
「呼ぶように強要されてしまいまして。握手した手を放さないって」
「なるほど。そういうことをすれば、松尾はなんでも言うことを聞いてしまうのか。今度使ってもいい?」
「なっ、なにを強要しようとしてるんですか……」
肩を竦めながら怯える松尾に、形のいい耳元に顔を寄せて、優しく告げる。
「一緒に帰りたいだけ。一生懸命に仕事をしてる俺を無視して、逃げるようにさっさと帰るんだもんな」
逃げられる前に、柔らかそうな頬にキスを落としてやった。
「ちょっ!」
「今日は帰るなよ。置いてったら、おしおきだからな」
釘を刺すように念押した途端に、これまでおこなったことが急に恥ずかしくなり、顔を見られないように松尾の頭をぐちゃぐちゃに撫でてから、慌てて部署に戻った。
「あつぃ……」
らしくないくらいに動揺している自分を再確認したら、余計に頬に熱を持ったのだった。