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番外編11

 正々堂々と言い切ったセリフに、素直に応じるわけにはいかない。大口取引先という強みを武器にされても、譲るつもりはなかった。


「松尾と別れるつもりはありません」


 いつもより滑舌を良くして返答した。『ありません』の部分に、アクセントを置くのを忘れない。


「笑美さんは、どうですか?」


 アイツは俺から松尾に視線をズラし、食い入るように見つめながら問いかける。目の前でなされる薄い笑みが、白々しさを感じさせた。


「私……ですか?」


「佐々木さんと別れて、僕と付き合う気はありませんか?」


「な、ないです。ごめんなさい……」


「ですよねぇ。お付き合いアピールを、くだらないこととハッキリ言い切れてしまう、素敵な方と付き合っているんですから。ですが――」


 松尾の目の前に、わざわざ顔を寄せながら口を一旦引き結び、意味深にじっと見つめる。その様子だけで、なにを意図しているのか明白だった。


「僕のほうがうまいですよ」


「へっ?」


 言葉の意味が理解できなかった松尾はぽかんとして、アイツの視線を受け続けたので、慌てて利き腕を引っ張り、ふたりの間に割り込んだ。


「綾瀬川さん、真昼間から誘うというのは、どうかと思います」


 俺が間に入ったというのに、アイツは目の前に壁のように立ちはだかる。


「誘ったつもりなんて、全然ありません。だって僕はなにがうまいのか、ひとことも言ってないじゃないですか」


「あんなふうに顔を近づけて言われたら、誰だって誤解します」


 身長の高さの違いや容姿の差を見せつけるように、綾瀬川は俺の顔をわざと食い入るように凝視した。


「笑美さんはなにを意味するのか、わからなかったみたいですけどね。残念!」


 俺を通して背後にいる松尾を見ているようなものを感じ、防御から攻撃に転じなければと思考を巡らす。


「綾瀬川さんはあんな誘い方をして、女性の扱いにとても長けていることを、松尾にわざわざアピールしたかったんですね」


「そういうつもりは、まったくありません」


 至近距離で顔を突き合わせているから、すぐにその変化に気づいた。俺の告げた言葉に反応したんだろう。浮かべていた微笑みが少しだけ崩れて、エメラルドグリーンの瞳が左右に揺れ動く。


(痛いところを突いたと思った俺の隙を誘うために、わざとそういう演技をしている可能性もある。だったらそれに乗っかってやろうか)


 メガネのフレームを上げながら、腰に手を当てて嬉しげに瞳を細めたら、用心したのか縮まっていた距離をあけてくれた。おかげで堂々と胸を張って、松尾を守ることができる。


「そういうことは口頭ではなく、実践で伝えればいいのではないでしょうか」


「いいんですか、僕が実践しても?」


 一歩前に踏み出た俺を見て、綾瀬川はどこか楽しそうに問いかけた。


「断られた相手にそういうことをするのは、犯罪になりますけどね」


 これ以上松尾に無理強いするなと、強い口調で警告してやる。


「だったら本人が、自然に身を任せる状況下ならいいということになりますが、それでもかまわないんですか?」


「松尾には、俺以外知ってほしくない」


 もう一歩前に出て、先ほどとは逆に俺がアイツに顔を近づけた。息を飲みながら俺を見下ろす視線は、見るからにフラットという感じで、感情がまったく読み取れない。口元だけでの微笑みを隠れ蓑にして、俺を煙に巻いているようだった。


「佐々木さんって、見た目は冷静そうなのに、結構情熱的な方なんですね。僕なんかよりも、女性の扱いに長けてそうだ」


「…………」


「笑美さん、お茶の淹れ方は、また今度教えてください。あんまり長居してると、大切な仕事の話を聞きそびれてしまうので」


 半歩下がってからアイツは腰を折り、深くお辞儀をすると、俺たちから逃げるように会議室に向かって行った。


「松尾、大変だったな。大丈夫か?」


 話が聞かれないことを確認後、安心して松尾にやっと話しかける。


「佐々木先輩がすぐに来てくれたので、大丈夫です。ありがとうございました」


「アイツとは初対面なのに、もう下の名前で呼び合ってるんだな」


 自分との比較を口にしたら、松尾はバツの悪そうな表情であたふたした。


「呼ぶように強要されてしまいまして。握手した手を放さないって」


「なるほど。そういうことをすれば、松尾はなんでも言うことを聞いてしまうのか。今度使ってもいい?」


「なっ、なにを強要しようとしてるんですか……」


 肩を竦めながら怯える松尾に、形のいい耳元に顔を寄せて、優しく告げる。


「一緒に帰りたいだけ。一生懸命に仕事をしてる俺を無視して、逃げるようにさっさと帰るんだもんな」


 逃げられる前に、柔らかそうな頬にキスを落としてやった。


「ちょっ!」


「今日は帰るなよ。置いてったら、おしおきだからな」


 釘を刺すように念押した途端に、これまでおこなったことが急に恥ずかしくなり、顔を見られないように松尾の頭をぐちゃぐちゃに撫でてから、慌てて部署に戻った。


「あつぃ……」


 らしくないくらいに動揺している自分を再確認したら、余計に頬に熱を持ったのだった。

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