目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
番外編7

 白紙を使って、松尾をうまいことフロアの外に連れ出すことに成功した。途中のたどたどしい松尾の演技は、あとから思い出しても、かなり笑えるものだった。


「ふたりきりで話せるところは……。そこでいいか」


 廊下の突き当りにある、消耗品を保管してある備品庫にしけこむ。


「松尾、大丈夫か?」


「大丈夫じゃないですよ。頭が大混乱状態です。いきなりなんで、あんなことになってしまったのか……」


「だよな、俺も驚いた。付き合ってまだ1日しか経ってないのに、松尾が御曹司と見合いなんて、俺に勝ち目はないだろ」


 少しでも場の雰囲気をよくしようと、おどけながら言ったというのに、松尾の表情は相変わらず冴えない。どうしたら、笑ってくれるだろうか。


「相手はハーフだし、きっとイケメンなんだろうな。いやはや参った」


 扉に背中を預けて肩を竦めた瞬間、


「それですよ!」


 珍しく大きな声で、松尾が叫んだ。


「それとは?」


 会話に食いついてくれたことを嬉しく思いながら、メガネのフレームをあげて問いかけたら、松尾はうんと嫌そうな顔をして、額に手を当てつつ、かわいくない声で告げた。


「どうして私が、佐々木先輩と付き合ってることになってるんですか?」 


「だって昨日おまえに、路上でアプローチされただろ。あの場で俺は断ってない」


 流暢に事実を告げたというのに、松尾はアホ面丸出しでぽかんとした。なにか言いたげに口元が動くが声にならず、ゼンマイ仕掛けの人形のように見える。


「松尾ってば、俺が彼氏になったことが、そんなに不服だったのか。変な顔してる」


 自分から声をかけておいて、その顔はあんまりだと、思わずにはいられない。


「ち、違いますっ。えっとその……う~ん。佐々木先輩は私のことを全然知らないのに、彼女にしたのが謎すぎて」


「確かにな。会社じゃこれまで挨拶くらいしかしてなかったけど、居酒屋でいろんな話をおまえから聞き出すことができたのが、俺の中では好印象だったんだ」


 わかりやすい説明をしながら胸の前で腕を組み、嬉しそうに答えたところ、松尾は何度も目を瞬かせて、俺の顔を見つめる。


「いろんなこと……? あの話の中で、佐々木先輩に好印象を与えるようなことを、私は言いましたっけ?」


「元彼とのことはつらい出来事なのに、あえて明るく振る舞って、俺に話をしてくれたろ。三か月前に終わったことだから、気持ち的に松尾はスッキリしているのかと思ったのに、深く掘り下げていったら、割り切れていないことがわかったしな。その真相を探るべく、誘導尋問みたいになったけど」


 居酒屋での会話や松尾のリアクションを思い出していたら、いつの間にか俺の唇に笑みが浮かんだ。話の内容は暗いものなのに、松尾が終始明るく接するおかげで、俺自身が暗くならずに済んだのは、すごいことだと思う。


「そうですよ。佐々木先輩の元カノの話を聞けずじまいでした。ズルいです、フェアじゃない」


 さらにかわいくない顔をした松尾がどうにも可笑しくて、笑いを堪えながら指を差した。


「しかもおまえの口から出る言葉が、どうにもツボに嵌って、笑ってばかりいた。俺の予想を超えることばかり、松尾が言うもんだからさ。それでコイツと付き合ったら、結構面白いんじゃないかというのが決め手だったわけ」


 適当な言葉で伝えたが、実際は違う意味で松尾に惹かれた。それを今言うべきじゃないことくらいわかっているので、煙に巻いて誤魔化したのだが。 


「佐々木先輩、面白いから付き合うことに決めたなんて、正直信じられません」


「松尾は俺を信じられないから、さっさと捨てて、玉の輿に乗るつもりなのか?」


 確信に迫る言の葉を告げるために、あえて真剣な表情を作りこむ。俺の態度を見て、どんな答えを用意するだろうかと、ちょっとだけワクワクした。


「乗りませんよ、そんなもの」


 実にあっけらかんとした返答に、思いっきり肩透かしを食らった感じと、表現すればいいかもしれない。だからこそ営業スマイルじゃなくて、実に自然に笑うことができた。


「松尾のそういうところに、俺は惹かれたんだって。普通は玉の輿に乗るために、喜んで平社員の俺を捨てるだろ」


「そんな理由で捨てたりしませんけど、イケメンな佐々木先輩とのお付き合いは、いろいろ恐れ多くて、できそうにないです!」


 いきなり交際を断るセリフに、先ほどまで上がったテンションが、一気に急下降した。俺の心をこれほどまでに揺さぶるなんて、本当に面白い。


「自分から俺に迫っておいて、恐れ多いなんておかしくないか?」


「だって、どう見ても不釣り合いですよ私たち」


「不釣り合いなんて、俺は人の目なんか気にしない……」


「私はすっごく気にします!」


 松尾は両手に拳を作りながら、キッパリと断言した。


 どうやって説得しようかと悩み、背を預けていた扉から体を起こして、松尾を見下ろす。ありきたりの言葉をいうのが嫌だったので、わかりやすくてシンプルなものを選んだ。


「はじめてなんだ!」


 言ったあとに、しまったとすぐさま後悔した。誤解されるセリフを吐いたことが妙に恥ずかしくなり、ジワジワと頬に熱がたまっていくのがわかる。


「やっぱり童貞……」


「違う違う、そうじゃない。おまえと喋ってると、どうにも調子が狂ってしょうがないな」


「鈴木雅之の歌でも歌いますか?」


 またしても変なことを言い出す松尾に呆れたが、ここはノッてやるべく、左手にエアマイクを持つポーズをとってやった。言っておくが仕方なくやっただけで、普段の俺はこんなことを進んでしない人種だ。


「ここで歌って、気分を発散したいところだが、それだと話の論点がズレる」


 まくし立てるように一気に喋りかけたのちに、エアマイクを作っていた左手を力なくおろし、大きなため息をついた。なんだろう、ドキドキとハラハラを足して二で割ったような心情は、どうにも落ち着かないものなのに、そこまで嫌じゃない。


「それは残念です。佐々木先輩の美声が聞けると思ったのに」


「……歌ったら、交際続けてくれるのか?」


 蜘蛛の糸ほどの細さだろうが、望みをかけて問いかけてみた。松尾は俺の質問を聞いた瞬間、唇の端をヒクッと引きつらせる。


「佐々木先輩、なに寝ぼけたことを言ってるんですか。続けませんよ」


「俺、一応本気なんだぞ」


 藁にもすがる思いで、たたみかける俺の声は、どこか弱々しいものになってしまった。


「本気と言われても――」


 難しそうな面持ちで困惑する松尾に、どうしたら俺という人間を理解してもらえるだろうか。そう思いついたとき、今までのことを伝えてみようと考えつく。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?