会社の同じフロアに勤める松尾は、数多くいる女子社員の中のひとりだった。テンプレになってる挨拶や、仕事以外でコミュニケーションをとったことすらなかったゆえに、彼女のプライベートをまったく知らない。
仕事が恋人と化している俺にとって、松尾は『会社の同僚で後輩』というくくりだった。だから必要以上に興味をもたなかったし、知りたいとも思わなかった。
仲のいい同期との待ち合わせ場所に、松尾が現れるまでは――。
第2営業部にいる仲のいい同期の高野と、いつものところで待ち合わせしていた。しかし約束の時間を30分過ぎても現れないことに、苛立ちがつのっていく。これでドタキャンされるのは二度目だ。
(野郎よりも彼女を優先したな、アイツ――。派手な口喧嘩して、怒りが頂点に達してるから話を聞いてくれって、急に呼び出しておいて、放置プレイされる俺の身にもなってくれ)
ポケットからスマホを取り出して、手早くLINEをタップして起動し、『今日は来ないんだな?』と打ち込んでみたものの、当然既読すらつかなかった。今ごろ彼女と仲直りすべく、前回同様にベッドの中にいる可能性が大だろう。
「佐々木先輩!」
いきなり呼ばれたので、スマホの画面から気だるげに顔をあげて、相手を確認してみる。会社の制服姿じゃないので、相手を判別するのに時間がかかってしまった。
「あ、えっと……松尾?」
「ぉ、お疲れ様です」
言いながら、ぺこりと小さく頭を下げられた。つられて俺も頭をさげる。
「松尾悪い。私服だとなんかいつもと感じが違って見えて、一瞬誰かわからなかった」
「それは佐々木先輩も一緒です。待ち合わせですか?」
時刻は夕方の5時過ぎで、地元では待ち合わせするのに有名な場所。もしかしたら松尾に、彼女と待ち合わせしていると思われるかもしれないなと思った。
「ああ。待ち合わせしてたんだけど、時間になっても現れないところをみると、振られたみたいだ。LINEしても既読がつかない」
視線をスマホに落として、飄々と答えてやった。
「……それって、彼女さんですか?」
(はい、俺の予想的中!『振られたみたいだ』というセリフを聞いた時点で、松尾に彼女を連想させたんだけど。ここからコイツが俺に踏み込んでくるのかどうか、一応確かめてみるか)
「松尾ってば、下世話な質問するのな」
「だって佐々木先輩のプライベートって、謎に包まれていますし。気になるのは、当然のことだと思います」
「そういうおまえは、どうなんだよ?」
「へっ?」
「彼氏と待ち合わせしてるのか?」
やられたら、やり返す。倍返ししたいところだが、今まで松尾とプライベートの話をしたことがないせいで、ネタになりそうな話題がなく、無理そうだった。
「3ヶ月前に彼氏と別れた私に、そのセリフはめっちゃ酷なんですけど!」
胸を張りながら、腰に手を当てて流暢に説明した松尾に、俺の口元が一瞬だけ引きつるのがわかった。しかし暗い過去を告げたというのに、妙に明るい松尾の態度も若干気になる――。
「知らなかったこととはいえ悪かった。ここで逢ったものだから、てっきり彼氏と待ち合わせしているのかと思ったんだ……」