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俊哉さんが丹精込めて作ったカツカレーを、ぱくぱく食べながら、今日あった出来事を話した。
「私は午前中いつものように仕事していたんだけど、忙しそうにしている斎藤ちゃんになぜかお茶出しの司令がくだったの」
「梅本グループにお茶出しの声がかからない時点で、それなりの企業が相手だったということか」
「俊哉さんの読みは、やっぱりすごいなぁ。それでね、斎藤ちゃんが打ち合わせに来ていた、澄司さんを殴ったんだって。確か正拳突きって言ってたかな?」
口の中に感じるカレー独特のスパイシーさを噛みしめながら、お昼に交わした斎藤ちゃんとの会話を、思い出しつつ告げた。
「斎藤が綾瀬川を殴っただと!?」
持っていたスプーンをガシャンと音をたてて、カレーの入ったお皿に置いた俊哉さん。唖然とした表情で口をぱくぱくさせてる顔が、ちょっと可愛い感じに見える。
「俺の渾身のパンチを綾瀬川に受け止められている時点で、斎藤に負けた気がする」
「だって斎藤ちゃんは、学生時代は女子空手部の主将で、県大会を優勝しているつわものですよ。えっとなんだっけ、平手打ちに見せかけて、途中から拳をグーにして正拳突きしたら、いい感じに決まったとか言ってたな」
「フェイントからの、正拳突きをぶちかますなんて怖っ……。なるべく、斎藤に刃向かわないように気をつけよう」
心底嫌そうに眉根を寄せた俊哉さんは、ふたたびスプーンを手にしてカレーを食べる。
「……斎藤ちゃんが澄司さんを殴ったことで、今後なにかあったらどうしようかと思ってるんです」
しゅんとしながら告げたら、俊哉さんは首を傾げて私を眺めた。
「なにかって、どういうことだ? 御曹司を殴ったことで、警察沙汰になるとかなんとか?」
「澄司さん、ドMなんですよ」
「ブッ!」
俊哉さんは吹き出しかけたけど、口元をなんとか押さえて難を逃れた。
「大丈夫ですか?」
腰をあげかけてテーブルに置いてあったおしぼりを手にした私を、涙を浮かべた俊哉さんはあいた手で制して止める。吐きかけたものをなんとか飲み込み、涙目で私に視線を飛ばした。
「笑美悪い。衝撃的すぎる言葉に、リアクションが追いつかない」
わざわざメガネを外して涙を拭う俊哉さんに、思いきって事実を告げてみる。
「あまりに残念なことなので、誰にも言えなかったですし、斎藤ちゃんにもそこのところを濁して、愚痴をこぼしていたんですよね」
「そうなのか……」
「私が澄司さんを罵ると、すっごく喜んだんですよ。変態って言ったのに嬉しいですとか言って、ヨダレを垂らしたり」
今まであったことを克明に説明した途端に、俊哉さんは身震いしながら息を飲む。
「本格的にヤバいな、それは。綾瀬川の顔でその状態を想像するのは、恐ろしい絵面になること間違いなし!」
メガネをかけ直して、顔を上げた俊哉さんの口元が思いっきり引きつっていたけれど、それでもイケメンだと思わせるのはすごいなと思った。
「だから昨日も抵抗したかったのに、それをすると澄司さんが余計に喜ぶから……」
「それって抵抗できる相手じゃない、厄介すぎる。ある意味、俺のパンチが決まらなくてよかったと喜ぶべきか」
俊哉さんの顔に滲んだ冷笑に、私も同じように苦笑いを浮かべて、今後ありえそうな未来を口にする。
「でも斎藤ちゃんのパンチがドМの澄司さんに決まっちゃったから、もしかして――」
言葉を濁す私に、俊哉さんはメガネのフレームを格好良くあげながら、ぽつりと呟く。
「斎藤が綾瀬川に追いかけられたときは、俺たちで手助けしてやらないとな。いろいろ助けて貰ってるんだから、当然だけど」
「俊哉さん、ありがとうございます」
優しい俊哉さんにお礼を言うと、困惑の表情をあらわにされてしまった。
「笑美に礼を言われると困ってしまう。実際斎藤に助けられたおかげで、俺たちの恋愛を続けることができてるところもあるだろ?」
「確かにそうですね」
「斎藤が困ったら助けるのは当たり前だし、アイツは自分が強いと思っているから、みずから簡単に切り抜けられると考えて、俺らに相談しないことが予測できる。だからこそ斎藤と仲のいい笑美が、そこのところをチェックをしなければいけなんだぞ」
「あ……」
思わず、カレーを食べる手が止まった。
「斎藤は恋愛ごとについては百戦錬磨っぽいが、いかんせん相手はあの綾瀬川だ。振り切るにしても、困難なのは目に見えてる」
(――やっぱり、俊哉さんはすごいな。私はそこまで頭がまわらなかった)
残していたカツに食らいつき、きちんと咀嚼してから俊哉さんに話しかける。
「斎藤ちゃんの殴打で、なにかがはじまる可能性があるにしても、私と斎藤ちゃんじゃタイプが180度違うので、澄司さんが暴走するかわかりませんけどね」
「まぁな。体型から性格まで、笑美たちは本当に間逆だ。カレー、お代わりあるがどうする?」
俊哉さんに訊ねられても、お腹には入るようにスペースは既になかった。
「たくさんいただきましたので、ご馳走様します」
「そうか。だったら先に風呂に入って、ゆっくりするといい。その間に片付けておく」
「後片付けくらい、手伝わせてください。ないもしないのは、つらいものがあります!」
ここに来てから、ずっと俊哉さんに甘えっぱなしで、本当に申し訳なかった。
「笑美、俺がこういうことを言う理由、考えていないだろ?」
「なにかあるんですか?」
「今夜は、寝かさないかもしれないぞ?」
俊哉さんの艶っぽい声が、部屋の中で妙に響いた。
「寝かさないっ!?」
「ゆっくりできるのは、風呂に入ったところまで。そこからどうなるか笑美なりに考えながら、湯船にきちんと浸かって、しっかりあたたまってほしい」
そう言って私の両肩を掴み、バスルームへと誘った俊哉さんの顔は、どこか怖いものを醸していて、言葉を失うほどだった。
「ごゆっくり!」
満面の笑みを浮かべて私の頭を撫でるなり、颯爽とリビングに戻ってしまう。私は後片付けもしないままに、優雅にお風呂をいただくしかなかったのだった。