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優しさに溺れる夜

***


 お昼休み、佐々木先輩にLINEと電話をしても、やっぱりつながらなかった。


『男なんだし、なにかあってもあの佐々木先輩なら、うまいこと切り抜けて、まっつーのもとに戻ってくるよ』という斎藤ちゃんの言葉を信じて、まっすぐ帰路に着く。すると自宅マンション前に、逢いたかった人が佇んでいた。


「俊哉さんっ!」


 慌てて駆け寄る私よりも先に、俊哉さんが走ってやって来てくれた。


「笑美、お帰り。連絡しなくて悪かったな」


 そう言って腰を屈めるなり、こめかみにキスを落とす。本人は私を宥めるためにしたキスかもしれないけれど、いきなり路上でこんなことされる身になってほしい。心臓がいくつあっても足りない。


(――とりあえず、今はこのことにツッコミを入れずに、気になることから伝えなきゃ!)


「俊哉さんの私用でお休みって、もしかして――」


 少しだけ言い淀む私に、俊哉さんは大きく頷いた。


「笑美のことを頼むのに、顔の見えない電話だけじゃ不安だったから、直接知り合いに頼みに行ったんだ。俺としては、今回のことでたまってた有給も消化できて、一石二鳥だったんだけど、その様子だと心配させてしまったみたいだな」


「だって、全然連絡が取れなかったし……」


 俊哉さんを心配したことを示すように、つっけんどんな物言いで告げてみる。


「地方だったから飛行機で移動したり、久しぶりに再会したりで、話が盛り上がってしまってさ」


「飛行機まで使って私のために――。ごめんなさい」


 ちょっとの間、連絡が取れないだけで不貞腐れてしまったことを反省する。私のために今日一日駆けずり回った俊哉さんは、きっと疲れているだろうな。


「謝らなくていい。飛行機で移動したのは、そのほうが早かったから。それに地元にすぐに帰って、笑美に早く逢いたかったのもある」


「忙しかったのは理解しましたけど、音信不通になるのは、もうやめてくださいね!」


 理由はさてあれ、注意すべきところはしっかり指摘した。なにかあっても連絡がとれなかったら、手を差し伸べることすらできないんだから。


「本当に悪かった。埋め合わせするから、そんなに怒らないでほしい」


「…………」


 顔は俊哉さんに向いていたけれど、視線はしっかり明後日のほうを見て、怒ってることをアピールする。


「笑美、このあと夕飯を兼ねて、どこかに飲みに行く? それともこのまま、俺の家に行く?」


 逸らした私の視界に入るように、わざわざ顔の位置をズラした俊哉さんが、意外なことを提案した。


「俊哉さんの家に?」


「実は急いで帰った理由のひとつが、自宅の片付けだったんだ」


 私を覗き込んだ俊哉さんのまなざしが、意味深に細められる。この様子は間違いなく、なにかを企んでいる感じに思えた。


「それって――」


「笑美が喜ぶご飯を用意しているかも?」


 こんなことを彼氏に言われて、喜ばない彼女はいない。飲みに行くかと言われても、迷うことなく後者を選択する。


「俊哉さんのお家に行きたいです!」


 昨日作ってくれたから揚げがかなり美味しかったこともあり、思いっきり食いついてしまった。


(今日はいったい、なにを作ってくれるのかなぁ。きっと、私が好きな食べ物のような気がするけれど――)


「行きたいって言ってくれるのは嬉しいんだが、笑美はその意味が全然わかってない。その顔はそうだな、俺がなにを作るのか、頭の中で迷走中といったところだろう?」


「意味ですか?」


 私の思考を、寸分狂いなく読み取ってる俊哉さんに驚きしかない。瞳を何度も瞬きしつつ、それでも一生懸命に考えてみた。しかしながら頭の中が花より団子状態になっているため、ピンとくるものがまったく思い浮かばない状態。


 考えすぎてうんうん唸る私を見ながら、俊哉さんが優しい口元に薄笑いを浮かべる。


「今日は金曜で、明日は会社が休み。お泊まりしても、大丈夫な環境ということは?」


 私でもわかるヒントを告げるなり、メガネのフレームに触れながら顔をさらに寄せる俊哉さんに、頬が一気に熱くなった。


「あ、ぁあわわわっ!」


「ここで待っててやるから、泊まる用意してきたらどうだ?」


 艶っぽく目の前で微笑まれて、同じように笑うことなんてできない。口から心臓が飛び出しそうなくらいに、めちゃくちゃドキドキしている。


「そ、そそそそうですね。お泊まりするなら着替えとか、いろいろ用意しなきゃですし……」


(俊哉さんは、どんな下着が好みなんだろう。さりげなく聞いてみちゃう?)


「……パジャマはいらないからな」


 サラッとすごいことを言った俊哉さんに、下着についての質問はおろか、パジャマのことも聞けないまま、急ぎ足で自宅に帰った私。頬だけじゃなく、体まで熱くなってしまい、変な汗をかいてしまったのだった。

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