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絶望からの光8

***


 俊哉さんが作ってくれた、から揚げ中心の晩ご飯に舌鼓を打ち、一緒に仲良く後片付けをしてから、落ち着いたところでコーヒー片手に昨日の話をする。なんだかんだで盛り上がっていたら、互いの名前を言っても照れることはなくなっていた。


「今回元彼が突然現れた原因が、私の住所と行動履歴を印刷した紙が元彼の自宅のポストに投函されていたようで、私を恨んでる人がいないかを刑事さんに聞かれました」


 壁を背にして並んで座る私たちの隙間はほとんどなく、触れているところから俊哉さんのぬくもりが、ほんのり伝わってきた。


「個人的な恨みか。元彼のことを知ってる人物は、社内でいるのか?」


「プライベートをあまり知られたくなかったので、このことを社内で知っているのは、斎藤ちゃんくらいです」


 元彼のモラハラのことを、周りに知られたくなかったゆえに、ほかの人には言えなかった。


「そうだな。可能性のひとつとして、俺と付き合ったことを恨み、金を使って笑美の身辺を調べて、間接的に手をくだすという手もある」


「澄司さんの女性関係も、捜査対象になっているようです」


 言い終えてからコーヒーを飲むと、隣でうんと嫌そうな表情を顔に滲ませた俊哉さんが、げんなりしながら口を開く。


「まぁ、あの見た目だしな。恨みのひとつやふたつ、みっつやそれ以上買っていて、笑美に飛び火した可能性もなくはないか」


「そうですね……」


「あのさ、このこと俺も調べてみてもいいか?」


 さっきよりも低い声で訊ねる俊哉さんを不思議に思って、横目で顔を見てみる。メガネの奥にある瞳が微妙に揺れ動いていて、どこか真剣みを帯びたそれに、不安が募ってしまった。


「俊哉さんが調べることで、危ない目に遭ったりしませんか?」


 私が質問で返したことで、俊哉さんはハッとして、取り繕うような表情を頬に浮かべた。


「大丈夫、俺が直接調べるわけじゃない。素人には無理なことだろう?」


「確かに……。調べるにしても限界があります」


「知り合いに頼んでみようと思ってさ。だけど笑美個人のことだから、本人の確認をとらなきゃなぁと思って、聞いてみたんだ。不安にさせて悪かったな」


 俊哉さんはコーヒーを床に置き、頭を優しく撫でてくれる。私の表情ひとつ、ちょっとした声の調子だけで、心情を察してくれる優しさは、本当に嬉しい。とても嬉しいのに、悲しくなってしまうのは――。


「私はそこまで、優しくされていい彼女じゃないですよ」


「どういうことだ?」


 頭を撫でる手の動きが、ぴたりと止まる。注がれるまなざしがなんだかつらくて、俊哉さんから視線を逸らしてしまった。


「だって…だって私は好きでもない人の手で感じてしまうような、嫌な女だからです」


「それは俺も……だから」


「えっ?」


 俊哉さんの弱々しい声は、なにを言ったのか聞きとれないものだった。どんなことでも逃したくなかった私は、きちんと顔をあげて隣を凝視する。俊哉さんの横顔は、どこか弱り切った感じに見えた。


「……綾瀬川の実家で、妹さんが開けてくれた扉から入ろうとしたときに、進みかけた足が思わず止まった。すぐに助けなきゃいけないって、すごく焦っているのにもかかわらず、ベッドの上での光景が目から情報となって、頭に焼きつけようとしたせいで」


「頭に焼きつける?」


 オウム返しをした私の頭を、俊哉さんが自分の肩に押しつけて、まじまじと見れないように施されてしまう。


「ほかの男に抱かれて嫌がってる笑美の表情や、はじめて目にする裸を見て興奮した。興奮したけどそれ以上に、俺ならそんな顔は絶対させないとか、もっと感じさせることができるのにって0.5秒だけ焦れて、次の瞬間には頭がプッツンした状態で、あの部屋に殴り込んだ感じでさ」


 私は持っていたマグカップを慌てて床に置き、俊哉さんの腕に両手で絡みついた。


「俊哉さんが助けに来てくれて、すごく嬉しかったです。ずっと逢いたいって思っていたから」


「笑美?」


 両目を強く閉じて、俊哉さんの腕をぎゅっと抱きしめる。お礼の言葉以外に、なにをしてあげたら彼は喜ぶだろうか。


「俊哉さん、ありがとう。私……も、だめかとおも…ってたから」


 今までずっと我慢していた涙が、一気に溢れ出す。暗くなりがちな私を慮って俊哉さんが笑顔で接してくれているのに、その優しさすら嬉しくて、泣かずにはいられなかった。


「笑美を泣かせてみたいって言ったけど、こんな形で泣かせたくなかったな」


 俊哉さんは縋りつく私の手を腕から外して、胸の中にしっかり抱きしめる。体全部に感じるほっとするあたたかみを逃したくなくて、ぎゅっと縋りついた。


「笑美は名前のとおり、いつも笑顔を絶やさないでいるだろ? そんな君が笑顔以外の感情をぶつけられるような、安心して頼れる男になりたいって思ったんだ」


 ベルベットのような柔らかい声が、私の鼓膜に貼りつく。とめどなく涙が溢れるせいで、言いたいことが全然言えない。それでも伝えたい想いが、私の唇を必死に動かした。


「わっ私、嫌われたと思って。だ、だって俊哉さん、俺以外知らなくていいって言ってたのに、澄司さんに触れられて…感じたくないのに、嫌なのに感じてしまって。ううっ…自分で自分が嫌い、ぃ。俊哉さんの彼女に…ふさわしくっ、ない」


 涙ながらに訴えた私の背中を、俊哉さんはゆっくり上下に撫で擦り、どこまでも優しく接してくれる。


「だったら俺は、自分が嫌いだっていう笑美ごと好きになる。自己嫌悪に苛まれてもいい。それでも俺はずっと好きでいるから」


「俊哉さ……」


「笑美が無事で、本当によかった」


 優しさで満ち溢れる俊哉さんの腕の中で、さめざめと泣き続けているうちに、疲れ果てて眠ってしまった私。気がついたらベッドの上に横になっていて、傍にいた俊哉さんはいなかった。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいることで、一夜が明けたことを知る。


(あれだけ泣いたのに、まぶたが腫れていないのは、俊哉さんが冷やしてくれたのかもしれないな)


 いつもどおりの視野の広さに、違和感なく部屋の様子を窺うことができた。だからこそ会社に行こうと決める。仕事に忙殺されたほうが、余計なことを考えずに済むし、なによりーー。


「俊哉さんに逢いたい……」


 大好きな貴方の視界の中に、いつでも入っていたいと思った。

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