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弘明は傷害の容疑で逮捕されていた。澄司さんを傷つけたり、サバイバルナイフを所持していたのも計画的な犯行ということで、しばらく出られないらしい。
天蓋付きのベッドで起き上がって話を聞く私と、長い足を組み、ベッドに腰かけて隣で話を聞く澄司さんを、立ったまま説明をしてくれる刑事さんは、私たちの関係をどう思っているのか――。
「しかし今回も坊ちゃんと顔を合わせるなんて、いつもトラブルに巻き込まれますね」
どこかゲンナリして口を開く刑事さんのセリフに、私は首を捻りながら疑問を告げる。
「今回も?」
なんとはなしに澄司さんを見ると、形のいい眉を歪めて、困った表情をした。
「ちょっとね。思わぬ勘違いから、目の前で言い争いになってしまったんだ。慌てて仲裁に入ったんだけど、喧嘩に巻き込まれてしまいまして」
「それで坊ちゃんの本命は、松尾さんということで間違いないんですか?」
「ほ、本命!?」
今回のこととはまったく関係ない言葉に驚いて、変な声が出てしまった。
「へぇ、それって刑事の勘だったりするのかな。僕ひとことも、彼女の存在について言ってないのに」
「この間の女性同士の取っ組み合いのときの態度と、今の態度が180度違いますので」
(うわぁ、女同士のケンカに巻き込まれて警察を呼ぶとか、どんだけすざましいものだったんだろう)
「確かに笑美さんは特別な人だよ。だけど彼氏持ちなんだ」
そうハッキリ言い切ったというのにぎゅっと抱きつき、私の頭に頬を寄せてラブラブを勝手にアピールされてしまった。
「澄司さんやめてください。迷惑です!」
「この僕にこの態度、すごいでしょ? いつもならもっと抵抗して、罵ってくれるんだ。それが嬉しくてたまらない」
やめてと言ったのに、澄司さんはさらに腕に力を入れて抱きつき、頬をゴシゴシ頭に擦りつける。
「坊ちゃん、松尾さんの迷惑を考えないと、嫌われてしまいますよ」
「笑美さんの迷惑?」
刑事さんに注意されたというのに、澄司さんは動きを止めるだけで、放れようとはしない。
「松尾さん、坊ちゃんの愛情表現がおかしいとお思いでしょうが、大目に見てあげてください。松尾さんのように、ちゃんと物申すことのできる女性とお付き合いをしたことがなかったせいで、このような極端な現状になっていると思うんです」
「えっと?」
「石川さんの口から、僕の恋愛遍歴について語ってほしくないんだけど。ワイドショーで扱われる、くだらない事件みたいにされそう」
さらに力を込めて私を抱きしめ、乾いた口調で告げた澄司さんに、刑事さんはやれやれと肩を竦めた。
「坊ちゃんの口から、危ない心中がダダ漏れしてることより、百万倍マシだと思いますよ。マトモな恋愛をしないと、ここまで拗れるものを見せられる、俺の気持ちを考えてほしいです」
「澄司さんは変態じゃないんですか?」
刑事さんに聞くのもどうかと思うことを、身を乗り出しながら訊ねてしまった。
「笑美さん、僕のことをそんな目で……とっても嬉しいです!」
なぜか澄司さんは喜びながら、ふたたび私の頭に頬を擦りつける。
「酷いなこりゃ。松尾さん、改めて説明すると、坊ちゃんがこれまで付き合ってきた女性が、御曹司の坊ちゃんに気に入られようと、どんなことでも言うことをきいたりして、坊ちゃんを甘やかすように特別扱いしていたんです。こんなふうにきちんと拒否する女性は、ひとりもいなくて」
(――だからって澄司さんのこの態度は、明らかにおかしいものだと思う!)
抱きつく澄司さんを白い目で見ているというのに、隣で頬を紅潮させて嬉しそうに微笑みまくる姿に、ドン引きするしかない。傍で見ている刑事さんも、顔を引きつらせていた。
「坊ちゃん、よだれを垂らさないようにしないと」
「えっ、ヨダレ!?」
その言葉で慌てて澄司さんがくっついてる頭を避けつつ、体を捻って接触する部分を守った。
「笑美さんそれ冗談ですよ。僕がそんな…じゅる…よだれなんて垂らしてマーキングするように」
「見えます、お願いだから抱きつかないで!」
「坊ちゃん、話が進まないんで、自重してもらえます?」
手を叩いてその場の雰囲気を引き締めてくれた刑事さんのおかげで、私と澄司さんの距離が自然とあけられた。
「松尾さんに聞きたいことがあります。誰かに恨まれる覚えはないですか?」
「恨まれる……。誰かにと言われましても」
頭の中に、たくさんの人物が流れた。佐々木先輩と付き合ったことで、梅本さんとそのグループに目をつけられている。もしかしたら、私たちの付き合いを快く思っていない人が、他にいるかもしれない。
「僕が笑美さんに執着しているのを気に入らない女のコがいて、恨む可能性だってあるよね」
「その線はもうチェック済みですよ。お金持ちの令嬢さんたちは気性が激しいから、なにをするかわかりませんからね」
(怖すぎる。いったい私は誰に恨まれているんだろう。澄司さん絡みを考えただけで、両手じゃ足りない気がする)
「松尾さんの元彼、安井弘明宅の郵便ポストに、松尾さんの住所と行動時間がプリントされた紙が、数日前に投函されていたんです。それを見て、ナイフを持参しつつ乗り込んだようでして。抵抗したらナイフで脅すだけで、刺すつもり…つまり殺意はなかったと否認している状況です」
「元彼さん、笑美さんに戻ってきて欲しかったんだね。そこまでするなんて、最低だと思うけど」
弘明以上に最低なことをしている澄司さんに、こういうことを言われている元彼を哀れに思った。
「松尾さん、被害届を出しますか?」
そのときのことを思い出して気落ちしている私に、刑事さんが言いにくそうに訊ねた。
「被害届は出しませんが、ストーカー規制法について、いろいろ相談したいです!」
迷うことはなかった。弘明が私に近づけないように、法律で守ってもらうべく手続きをお願いする。
「笑美さん、安心してください。僕が笑美さんを守ります」
言いながら手を握られてしまったけれど、刑事さんの説明を聞くために、そのまま放置した。スルーしたのがよかったのか、澄司さんは抱きついたりと派手な接触をしてこなかったので、刑事さんと安心してやり取りすることができたのだった。