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「ん、ふわぁあぁ……」
目を擦りながら、大きな欠伸をした。昨夜佐々木先輩とのLINEのやり取りで睡眠不足だったこともあり、深く眠ってしまったことを考えた瞬間、見知らぬ天井が目に飛び込んだ。
「ここどこ? わたしはどうして――」
ふかふかのベッドから起き上がり、改めて部屋の様子を眺めてみる。というか、天蓋付きのベッドの時点で、誰のお宅にお世話になってしまったのか、嫌でもわかってしまった。
誰が着替えさせたのか不安だけど、ツルツル素材のパジャマはたぶん、シルクだと思われる。しかもどれくらい私は寝てしまったのか、窓から差し込む光だけでは、時間が判断できなかった。
「確か昨日と同じルートで澄司さんに車で送って貰ったけど、駅を過ぎて自宅前に――」
ぶつぶつ言いながら、今日の出来事を反芻した瞬間、ゾワッと身の毛がよだつ。
「弘明、ナイフを持ってた……」
私を無事に綾瀬川家に連れ帰ってるということは、澄司さんが弘明とやり合い、ぶちのめしたということなのかな。
(弘明と交渉するにも、私を一千万円でやり取りしようとした相手に、こうして無様にお世話になるなんて情けない……)
キィという扉の開く音が聞こえたので顔を向けたら、中に入ってきた澄司さんと目が合う。頬に貼られた大きな絆創膏にハッとし、慌ててベッドの上で正座をして、深く頭を下げた。
「澄司さんごめんなさい!」
「いきなりどうしたんですか?」
「だって怪我をしてるので……。弘明とのことは、澄司さん無関係なのに」
澄司さんがベッドに腰かけたのだろう。軋んだと同時に、頭を下げる私の背中を撫でた。
「無関係なんて、寂しいことを言わないでください」
「でも……」
「彼につけられたキズは、名誉の勲章です。笑美さんに怪我がなくてよかった」
そう言って私の体を起こさせると、広い胸の中にぎゅっと抱きしめる。
「澄司さん……」
(ベッドでこういうことをされるとすごく困るのに、ケガをさせてしまった手前、拒否なんてできないよ)
「笑美さん、警察の方が事情を聞きたいそうなんですが、ここに連れてきても構わないですか?」
「警察?」
「元彼さんについて、聞きたいことがあるようです。その方は僕の知り合いの刑事で、昔からお世話になっているしっかりした方だから、安心してお話できますよ。もちろん僕も同席します」
現在進行形で抱きしめられていることや、警察と話をするということで不安になっている私を宥めるように、澄司さんは優しく語りかけながら頭をゆっくり撫でる。
「お願い、します……」
「今日の笑美さんは素直すぎて、手放したくないかも。ふふっ」
笑ったかと思ったら、私に顔を寄せる。目の前に迫る澄司さんの顔に両手を押しつけて、近づけないようにした。
「笑美さん、いろんな意味で痛いです」
「あっ、キズ! ごめんなさい」
頬に大きな絆創膏を貼っていたのを思い出し、手の力を抜いた瞬間、私の両手の間から澄司さんの顔が現れ、頬にキスをされてしまった。
「嘘ですよ。痛くありません」
冷たい唇が頬から放れても、至近距離は相変わらずだったので、澄司さんの胸を押して強引に距離をとった。すると今度は私から腕を放して、ベッドから腰をあげる。
「澄司さん嘘つかないでください。心配したのに!」
拒否しても、いつもなら私の嫌がることをするはずなのに、妙に引き際のいいことに違和感を覚えた。
「なんだか笑美さんが、らしくなかったものですから。僕なりの思いやりです」
柔らかく微笑んで颯爽と出て行く、大きな背中を見つめるしかできない。元彼から守ってくれたことや、今のように気を遣わせてしまったせいで、複雑な気持ちになった。
(ショックなことがあったあとだけに、こうして優しくされるとすごく困る。私の不安定な心を澄司さんの優しさが癒してくれるおかげで、どこか安心してる自分がいる――)
普段なら、直接的な接触をされることが嫌なはずなのに、傷を負わせてしまったことや、メンタルが凹んでいるせいで、素直に従ってしまう。
「こういうときだからこそ、とことん抵抗しなきゃいけないのに。佐々木先輩、ごめんなさい」
自分の体を抱きしめながら、ふたたび気落ちしたのだった。