***
澄司さんに私が下車する駅まで送ってくださいと先に提案したら、喜んで車に乗せられてしまった。私が助手席にきちんと座ってシートベルトをすると、そのタイミングで運転席に腰を下ろした澄司さんが、体を捻って後部座席に腕を伸ばす。
「お疲れの笑美さんの癒やしになるといいな。はいどうぞ!」
そう言って後部座席から取り出したものは、私が持っているガーベラと同じ色の花束だった。それを押しつけるように手渡す。
「これって……」
「笑美さんが持ってるその萎れかけのガーベラは、この花束から抜き取ったものなんです。だって職場でこんな花束を渡されたら、絶対迷惑になるじゃないですか」
「確かに……」
(佐々木先輩から花束を貰うよりも、澄司さんから先に貰ってしまった――)
「笑美さんがガーベラを受け取るときの佐々木さんの顔、かなり悔しそうでしたよ。今思い出しても笑える」
体を揺らして嬉しそうにクスクス笑う澄司さんを、驚きながらガン見してしまった。
「でも澄司さんは、佐々木先輩のデスクの場所を知らなかったんじゃ……」
「はじめて笑美さんの職場に顔を出したときに、佐々木さんのデスクを確認していたので、実は知ってました」
「それなのに、どうして」
「どうしてなんて愚問ですね。佐々木さんに僕らの仲の良さを、目の前でアピールするために決まってるじゃないですか」
言いながら私の右手を掴み、やんわりと甲にキスをした。皮膚に冷たい唇を感じたので引っ込めようとしたのに、澄司さんは掴んだ右手を握りしめて、私の動きを止める。
「やめてください……」
震える声で告げても、真顔でじっと見つめながら、さらに手の力を込めて、逃げないようにされてしまった。
「澄司さん放して。これ以上このままなら、車から降ります」
「僕がどうして、こんなことをすると思いますか?」
「わ、わかりません……」
私を見下ろすエメラルドグリーンの瞳が、意外なものを見るような感じで見開かれた。車内という個室でこんなふうに迫られたら、誰だって恐怖を感じる。
「笑美さんがはじめてなんですよ。こんなふうに拒否されるのは」
寂しげに告げたあとに、私の手をやっと放してくれた。
「すみません、赤くなってしまいましたね。痛くないですか?」
怖々と戻っていく私の右手を見ながら心配する澄司さんに、黙ったまま首を横に振ってみせた。
「笑美さんに拒否されればされた分だけ、友だち以上になりたいという感情が芽生えてしまいました」
澄司さんから注がれる視線を遮るために、私は横を向いた状態で俯く。彼の言葉が本当なら、現在進行形でおこなっているこれも、友だち以上になりたいという感情を煽ってしまうことになるだろう。
それでも拒否せずにはいられなかった。佐々木先輩のために――。
「佐々木さんのどこがいいんですか?」
彼の口から出たセリフで、ガーベラを包むセロハン紙がガサリと鳴る。静まり返る車内で、それは雑音になった。
『ほら、やっぱり似合ってる』
澄司さんの質問で、さっきの出来事をまざまざと思い出した。私の耳にガーベラを挿して、とても嬉しげに微笑んだ佐々木先輩の笑顔は、とても素敵なものだった。すぐ傍にいる澄司さんが霞んでしまうくらいに。
「佐々木先輩は自分のことよりも、私の気持ちを一番に考えて、優しくしてくれるんです」
ちょっとずつ距離を縮めたいなんていう、私のワガママとも思える付き合い方を聞いても、嫌な顔ひとつせずに、いつもきちんと向き合ってくれた。
「優しくするなんて、誰にでもできることじゃないですか。そればっかりじゃ物足りなくなる」
「佐々木先輩の優しさと、澄司さんが与えてくれる優しさは、種類が全然違うんです」
「優しさの種類……。そんなものを比較されるとは、意外でした」
はーっと胸に溜まった空気を押し出す感じの、大きなため息をついた澄司さん。私はずっとガーベラの花束を見つめているので、彼がどんな顔をしているのかわからない。だけどあまりいい様子じゃないのは、口調が示していた。
「笑美さんは先のことを、まったく考えていないんですね」
「先のこと?」
思いもつかないことを言った澄司さんのセリフに疑問を感じ、つっけんどんな物言いをしてしまった。
「佐々木さんはただの平社員です。今から頑張って役職についたとしても、たかが知れてる。でも僕なら、佐々木さん以上の地位が約束されています。金銭面では、笑美さんに苦労させたりしません」
「金銭面……」
(そういう考え方をする澄司さんが苦手ですって言ったら、この車内で逆上するかもしれない。だから絶対に口にしちゃいけないだろうな)
「それに僕のほうが佐々木さんよりも背が高いし、見た目だって上です。まぁ僕の父があんな頭なので、この顔でハゲちゃったら、カッコつかないですけどね」
気がついたら花束ごと、横から体を抱きしめられてしまった。
「笑美さんが好きです。愛してます。この想いは、佐々木さんにだって負けない」
「こんなことをされても、私の気持ちは変わりません。諦めてください!」
ピシャリと言い放った私の言葉に、澄司さんはビクつきながら腕を放した。
「笑美さんすみませんでした。でも僕は諦めることができません……」
らしくないくらいに小さな声で告げられたセリフは、彼の自信のなさを表すようだった。それに導かれる感じで運転席を見たら、口元を押さえながら眉根を寄せる姿があり、今にも泣き出してしまいそうな様子に、あたふたしてしまう。
「わっ、私はなにがあっても、佐々木先輩がいいというか。澄司さんが諦めることができないと言っても、無駄なんですけど」
(なんで私が、こんなに気を遣わなきゃいけないんだろ。いいとこの坊ちゃん、撃たれ弱すぎ!)
「澄司さんだからその…えっと」
「すみませんでした。もう落ち着いたので大丈夫です。駅までお送りしますね」
頭を振ってから私に笑顔を見せた澄司さんはいつもどおりで、スムーズに運転をこなした。そして指定した駅で降ろしてもらって、あっさり解放される。気疲れしたそのあとは、ベッドにバタンキューだった。