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うまくいかない日々の果てに――

***


 今日は心置きなく、佐々木先輩と一緒に帰れる。そのことを考えただけでムダに、仕事が捗ってしまった。


(夕飯、佐々木先輩とどこかに食べに行っちゃう? この間メモに書いて私から誘ったんだし、お店を急いで見繕わなきゃいけないな)


「松尾、ちょっといいか?」


 ウキウキしているところに、応接室から顔を覗かせた千田課長に呼ばれたので、小走りで駆け寄り、中に入った。


「失礼します」


 千田課長とふたりきりなことを不思議に思って、首を傾げると、扉を閉めた途端に大きなため息をつく。


「四菱商事は大口取引先だって、わかってるよな?」


「はい、知ってますが……」


 千田課長から漂う不穏な空気に、トーンダウンしながら答えた。四菱財閥を資本にして作られた会社という基礎知識や、大きなプロジェクトがあると、必ず名前のあがる会社なので、知らないほうがおかしい。


「じゃあ、忖度っていう意味は?」


「忖度はえっと、相手のことに配慮する、みたいな感じでしょうか」


 矢継ぎ早の質問に、たじろぎながら口を開いた。居心地の悪さを肌で感じてしまい、俯きながら体を自然と縮こませる。


「佐々木と別れろなんて言わないが、息子さんのことについて、もう少しだけ忖度しろって話。松尾の態度ひとつで、仕事がやりにくくなることくらい、言わなくてもわかれよ」


「そんな……」


「佐々木と付き合うくらいだ、松尾ってメンクイなんだろ。しかもここで逢ったときに、息子さんのことに見惚れていたしな。あんなイケメンとは、滅多に付き合うことはもうないと思うけど」


「…………」


 確かにまじまじとガン見してしまったゆえに、どうにも反論できなかった。


「少しだけでいい、相手をしてほしい。寝ろなんて言わないから」


「なっ!?」


 千田課長の信じられないセリフに、俯かせていた顔をあげた。怒りで頭がプッツンして、言ってはいけないことを口にしそうになる。


(嫌ですって言いたいのに。こんなことを無理強いさせる会社なら、とっととおさらばしたいくらいなのに)


 そう考える一方で、佐々木先輩の顔がまぶたの裏に浮かんできた。


「今日は定時で帰れ。外で息子さんが待ってることになってる」


「一緒に帰る……」


 佐々木先輩と帰る約束したのに――。


「そうだ、待たせることが申し訳ないから定時でここを出て、美味いものでも食べに行けばいいんじゃないか。きっと、なんでも奢って貰えるだろうさ」


「…………」


「松尾、嫌そうな顔して、息子さんに逢うなよ。いいな? 佐々木には俺から言っておく」


 しつこいくらいに念押しするなり、千田課長は先に応接室から出て行った。


 ここに来る前に考えていた、佐々木先輩と一緒に帰ることが楽しみすぎて、信じられないくらいに心が弾んでいたのに、今は真っ黒いペンキを塗られたみたいに暗くなっていた。


「せっかく、一緒に帰れると思ったのに……」


 ポツリとこぼしたセリフが、静寂の中に溶け込み、弾んだ心と同じように、一瞬でなくなったのだった。

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