「笑美さん、すみません。ワガママを言ってしまって」
「大丈夫です。給湯室はこちらになります……」
会議室から出て、すぐ傍にある給湯室に案内しようとしたら、綾瀬川さんに肩を叩かれて動きを止められたので、顔だけで振り返る。
「聞きたいことがあります。笑美さんの彼氏さん、この会社にいますか?」
「あ、はい。同じ部署に勤めてます」
「逢ってみたいんだけど、連れてきてもらえますか?」
柔和な笑顔をキープしたまま告げた綾瀬川さんのセリフに、思わず「どうして――」なんて、間の抜けた言葉が口を突いて出てしまった。
「僕、なにも知らされていないんですよ。それこそ笑美さんの年齢と、彼氏の有無くらいしかわかっていないんです」
「はぁ……?」
「彼氏から笑美さんを奪えっていう、謎の命令がお父さんからくだされていまして。しあわせそうな人の仲をわざわざ裂くなんて、正直信じられませんよね。嫌な役回りです」
困った表情で頭をかく仕草に、綾瀬川さんはこの命令をやりたくないことが自然とわかってしまった。
「しかし僕の立場上、これを断ることができないので、表面はおふたりの邪魔をしているフリをしようかと考えてます。でもこのことは、彼氏さんにナイショにしてください」
「でも――」
「カラクリがバレてしまったら、それっぽい芝居になってしまって、失敗する恐れがあります。それに笑美さんだって、見たくありませんか? 僕の魔の手から、真剣に守る彼氏さんの姿!」
「確かに……」
「ということで、僕たちの協定成立。友だちとして、一緒に頑張りましょう!」
会議室でお逢いしたとき同様に握手を求められたので、なんの気なしに右手を差し出した。
「笑美さん、友だちなんですから、これから僕のこと、澄司って呼んでくださいね。僕だけ笑美さんって呼んでるのは、他人行儀みたいで嫌なんです」
「えっ、それはちょっと」
「言ってくれるまで、この手を放しません」
いたずらっ子みたいな笑みを浮かべた綾瀬川さんは、握った手に力を込める。
「そんな無茶苦茶な……」
「僕のワガママは、まだかわいいほうですよ。うちのお父さんなんて、そりぁもう、信じられないことを言い出しますから。僕と友だちになれば、事前にそのワガママを止めることが可能です」
「じ……澄司さん」
「ありがとうございます。スマホは持ってますか?」
握手から解放された途端に、澄司さんのスマホを顔の前に掲げられてしまい、目を瞬かせた。
「一応持ってますけど」
「それじゃあLINEの登録しちゃいましょう。お互いの情報交換は、すごく大事ですから」
「あ、はい……」
こうして佐々木先輩よりも先に、澄司さんとLINEの交換をしてしまったのである。