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(佐々木先輩にお礼を言えないまま、この日が来てしまった……)
前日同様にいろいろやらかしてしまったせいで、どうにも恥ずかしくて、佐々木先輩と一緒にいられないと思った私は、午後からの仕事を終えるなり、逃げるようにフロアの扉に向かった。
ちらりと振り返ると、佐々木先輩は千田課長となにやら話し込んでいる最中で、私のことを追いかけるなんていう余裕はなさそうだった。
そして四菱商事の専務と息子さんがお見えになる、運命の日。私はいつもどおり人数分のお茶と専務専用の濃いお茶を淹れて、会議室に顔を出した。
「失礼いたします」
「あっ、はじめまして。こんにちは!」
一礼して入室すると、爽やかさを感じさせる、聞いたことのない男性の声がした。その声に引き寄せられるように頭をあげて、その人を見た瞬間、空気中にはないはずのキラキラしたものが飛んでいて、目に眩しく映った。
(見慣れた会議室なのに、この人がいるだけで別世界になっているのは、どうしてなんだろう?)
お茶を配膳するのを忘れて、口を開けっぱなしのまま、そこのいる彼に目を奪われてしまう。なんていうか、芸能人に突然遭遇したような気分だった。
金髪に近い茶髪が窓から差し込む陽の光を受けて、眩しいくらいに輝いているのに、それに負けないのがエメラルドグリーンの瞳だった。堀の深い顔立ちや透明感のある緑色の瞳、色白の肌や高身長などなど、目の前にいる日本人の専務の血を受け継いでいるとは、どうしても思えない。
「おーい松尾さん、彼がすごいイケメンなのは見てのとおりだから、いつまでも固まっていないで、お茶をお配りして」
恥ずかしながら千田課長に促されるまで、魂がどこかに抜けている状態でいた。
「すっ、すみません! ただいまご用意いたします」
頬の熱を感じつつ、慌てふためきながらお茶を配ったところで、この場に佐々木先輩がいないことに、はじめて気がついた。
「松尾、紹介する。専務の息子さんの綾瀬川
千田課長が彼の隣に並んで、にこやかに紹介してくれた。千田課長自身の身長は、佐々木先輩よりも少しだけ低いと記憶していたのだけれど、綾瀬川さんの目線の位置に、千田課長の頭があった。
「綾瀬川さん、はじめまして。松尾笑美と申します!」
目を見張るイケメン具合に緊張してしまい、お盆を胸に抱きしめながら、ぺこぺこ頭をさげまくる。すると目の前に歩み出た綾瀬川さんが、スマートに右手を差し出した。
「エミさんって、どんな漢字を書くんですか?」
おそる恐る握手をしたら、手を握りしめたまま訊ねられた。
「笑顔の笑に美しいです……」
漢字を聞かれると困惑して、いつもぎこちなく笑っていた。名が体を表していないので、申し訳なさを痛感してしまう。
「いいお名前ですね。笑顔がとてもチャーミングです」
「あ、ありがとうございます……」
握手から解放されずに、ぎゅっと右手を握りしめたままの状態は、非常につらかった。しかも迫力満点のイケメンに、まじまじと見つめられる覚えもない。
対応に困る私を目の当たりにして、千田課長はソファを指し示した。
「綾瀬川さん、専務の隣にどうぞ。松尾は向かい側に座って」
(挨拶も終わったし、もう早くここから出たい! できることなら、家に帰りたいくらいだよ……)
千田課長に促されてお互い着席したタイミングで、専務が美味しそうにお茶を口にする。
「松尾さん、今日のお茶も実に美味しい。いつもより美味しく感じるのは、もしかして気合いを入れたからかな?」
「気合い……なんて入れてません。いつもどおりお出ししたまでです」
キラキラ眩しい綾瀬川さんを見ないように、専務の脂ぎった顔を見つめることに集中した。普段見慣れている分だけ、落ち着きを取り戻すことができそうだった。
「ホントだ、すごく美味しい!」
感嘆の声をあげた綾瀬川さんに、専務が「そうだろう、おまえにもわかるか」なんて、親子らしい会話を展開していく。そんな微笑ましい様子を千田課長はニコニコしながら眺め、私は恐縮しながらお礼を告げた。
「笑美さんよろしければ、お茶の淹れ方を教えていただけませんか?」
「ええっ! 普通に淹れてるだけですけど……」
「松尾、教えてさしあげなさい」
有無を言わさず千田課長に命令されたので、仕方なく腰をあげる。廊下に出る扉を開ける私とは対象的に、千田課長はフロアに続く扉を開けて、加藤先輩を呼び寄せた。
(いつもなら一緒に、佐々木先輩も呼ぶのに……)