「なんだ、そんなことか。俺は前から、松尾には目をつけていたんだ。でも付き合ってるヤツがいるのを、人伝で耳にしてたから諦めていたんだが、最近別れたのを知ってさ。松尾が弱ってるところを見極めて優しく接して、やっと落としたところだった」
事前に用意していたらしいセリフを、動揺を見せることなく理路整然と語ったり、その内容に驚きを隠せなかったけど、お局グループが目の前にいる手前、必死になって平静を装う。
「佐々木くんが落としたタイミングで、四菱商事のお見合いって、松尾さんはどっちを選ぶのかしら?」
「それは――」
「君たちがそんなことを訊ねる立場じゃないだろ。まったくの無関係なのに」
私が答える前に佐々木先輩が即答してしまい、出かけた言葉を口をつぐんでやり過ごした。
「佐々木くんには聞いてない。私は松尾さんに聞いてるの!」
「今言ったばかりだろ。松尾がどちらを選ぼうが、君たちには関係ない」
「佐々木くん、松尾さんに捨てられるかもしれないって、内心焦ってるんでしょ。不安が顔に出てるわよ」
「私は佐々木先輩を捨てたりしません!」
「いいの? そんなふうに、豪語しちゃってー。四菱商事の専務の息子さん、学生時代はモデルをしていたくらいに、とても素敵な方なんですってー」
梅本さんの隣にいる池野さんが、得意げな顔をしながら、お見合い相手の様相をわかりやすく説明してくれた。
「そうなんですか……」
視線を彷徨わせて、やっとのことで返答する。なんらかの言葉を私から引き出し、口撃する機会を狙いすましているっぽい雰囲気を、目の前からひしひしと感じた。だからあえて口数少なく答えたものの、彼女たちを追い払うセリフが出そうになかった。
「君たちはそういう情報については、抜け目がないんだな」
鼻で笑いながら指摘した佐々木先輩に、梅本さんは噛みつきそうな顔つきで問いかける。
「なにがいいたいの?」
「四菱商事の専務の息子は、モデルをこなすくらいのイケメン。専務がここに来たとき、点数稼ぎするには、持ってこいのタイミングだったはず」
佐々木先輩のセリフの続きがなんとなく想像できたため、唇を引き結びながら隣を見つめる。隙のないその様子は、頼れる先輩兼彼氏だった。
「松尾だけじゃなく、君たちもお茶出しする機会はあったよな。なんてったって四菱商事は大口の取引先なんだから、仕事の関係でお互い何度も行き来しているお得意様さ」
「それがどうしたっていうの?」
訝しげに眉根を寄せて問いかけた梅本さんに、佐々木先輩は微笑みを絶やさず答える。
「専務は毎回、ここに来るたびに濃いお茶をわざわざオーダーしていた。そんなお茶を淹れた記憶のある奴は、手をあげてみてくれ」
梅本さんと隣にいる池野さん以外、3人が小さく手をあげた。
「3人もいるのに、専務からお声がかからなかったということは、なにを意味するのかわかるだろう?」
佐々木先輩が楽しげに告げた瞬間、梅本さんは右手を大きく振り上げて、テーブルを強く叩いた。苛立ちまかせに叩いた音は無駄に響き渡り、周囲が一斉に静まり返る。
元彼が物によく当たる人だったせいで、そのことを瞬間的に思い出し、嫌な汗が体から滲み出てくるのがわかった。
「松尾、大丈夫か?」
言いながら膝の上に置いている手に、佐々木先輩のあたたかい手が重ねられる。私のちょっとした変化に気づいて声をかけてくれたことに驚きつつ、無言で頷いた。
血の気が引いていたせいか、重ねられているところから、縋りつきたくなるような温もりを感じてしまい、もっと安心感を得たくて、反対の手で佐々木先輩の手を思わず掴んでしまった。
「梅本、そういうところだぞ」
佐々木先輩の目線は、梅本さんに縫いつけられていたけれど、テーブルの下では掴んだ私の手をやんわりと振り解いてから、大きな手で両手をぎゅっと掴んでくれる。そこから安心感を得たおかげで、顔をあげることができた。
目の前に座っている梅本さんは、怖い顔で私を睨みながら口を開く。
「なによ?」
短い問いかけに、佐々木先輩は呆れたように小さなため息をついて、仕方なさそうに説明をはじめる。
「自分の思いどおりにならないことがあったら、さっきのように物に八つ当たりしたり、人の悪口を言うことさ。ほかの社員が君たちにとても気を遣ってることを理解して、少しくらい空気読めよな」
佐々木先輩は握っている私の手を引っ張って、その場から強引に立ち上がらせると、座っていた椅子を私の分まで元に戻し、梅本さんたちに背を向けて歩き出した。
「ちょっと、話はまだ終わってないわよ!」
「これ以上ここにいたら、松尾の体調が悪くなるから失礼する」
ほかにも喚き散らした言葉を無視して、私たちは食堂をあとにした。
佐々木先輩は私の手を握りしめたまま、黙ってどこかに連れて行く。お昼休みも残り時間があと10分少々しかないので、社外に出ないことはわかっていたけれど――。
「佐々木先輩、あの……」
「顔色が少しだけよくなったな、良かった」
食堂から一階だけおりたところにある、自販機コーナーの椅子に座らせると、小銭でなにかを買い、私に手渡してくれる。それは温かいココアだった。
「松尾、意外と度胸あるんだな。実は俺、あのメンツに一斉に睨まれたときに、結構ビビっちゃってさ」
「そんなふうには、全然見えませんでした。むしろ、頼もしさを感じてたくらいで……」
「それ、遠慮しないで飲んでくれ。気持ちが落ち着くと思う」
大きな手が私の頭を撫でる。普段そんなことをされた記憶がないので、妙にドキマギしてしまった。
「いっ、いただきます!」
本当はもっとアルミ缶から温もりを感じ取っていたかったけど、飲むことを促されたので、慌ててリングプルを開けて一口飲み込んだ。火傷しない程度の温かさとココア独特のほのかな甘みが、じわりと体に染みていく。おかげで、全身にぬくもりが満ちていく気がした。
「美味しい……」
思わずココアをぐびぐび飲むと、佐々木先輩は隣に座って笑い声をあげた。
「佐々木先輩、なんですか?」
僅かに接触している、佐々木先輩の片腕と私の片腕。ドギマギがドキドキに変化したせいで、訊ねたセリフがキツくなってしまった。
「松尾ってさ、なんでも美味しそうに飲むなと思って。一緒にビールを飲んだときもそうだったなと、ちゃっかり思い出してた」
「だって、美味しいものは美味しいですし」
「そうだな」
見るからに嬉しそうな表情で、私の顔をを覗き込む佐々木先輩の視線から逃れるべく、俯いてココアの缶をガン見した。そしてこのタイミングで気づいてしまう。
(私ってば、まだお礼を言ってない。梅本さんたちのことについても、いただいてるココアについても!)
「松尾、変顔になってるぞ。気を遣って俺を笑わそうと、必死に頑張ったりするなよ」
ふたたび忍び笑いをし、軽く私に体当たりした佐々木先輩の行動に、困り果てるしかなかった。
「そんなんじゃないです。あの……」
「俺を好きになってくれたとか?」
そのセリフに反応して顔をあげたら、悪戯っぽいまなざしで私を見つめる、佐々木先輩の視線とかち合う。
「違います。そうじゃなくて」
(なんていうか、妙な雰囲気を漂わせていること、佐々木先輩は気づいていないんだろううな)
「そこ、全力で否定するなよ。地味に傷つく」
「あっ、すみません。本当にそういうつもりじゃなくて、あの……」
「そろそろ戻らなきゃいけない時間だな。松尾と一緒にいると、いつもの時間があっという間に過ぎていく」
ペコペコ頭を下げて謝る私を尻目に、腕時計で時間を確認した佐々木先輩。謝り倒す私を、あえて見ないようにしているみたいに感じてしまった。
「松尾、あのさ」
「はい?」
「手、貸してくれないか?」
不思議なお願いに利き手を差し出したら、「左手がほしい」と指定されてしまった。
「……佐々木先輩、私の左手でなにをする気なんですか?」
「松尾が寂しくならないように、左手首にも同じものをつけてあげようと思ったんだ」
あっけらかんと告げられた言葉に、開いた口が塞がらない。
「なななな、なに言ってるんですか。手首のキスの意味をわかってて、またする気なんですか⁉」
ぶわっと頬が熱くなる。意味を知ってしまったあとだからこそ、照れずにはいられない。
「あ~、わざわざ意味を調べてくれたんだ。だったらなおさら、左手を寄越してくれ」
余裕そうな笑みを浮かべた佐々木先輩に、私はもちろん左手を渡さず、椅子から立ち上がって後退りしながらココアを一気飲み! すかさず空き缶をゴミ箱にポイして、脱兎の如く逃げた。
結局佐々木先輩にお礼を言わずに、失礼極まりない状況をみずから作ってしまったのだった。