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唐突にはじまったお付き合い!3

***


 カオスを極めたこの状況が凄すぎて、顔をひきつらせた私は残念なことに、ひとことも発言できなかった。私の右隣にはひどく神妙な顔つきの佐々木先輩が鎮座し、真向かいにお局グループ5人がえも言われぬオーラを漂わせている。


 社員食堂にいる面々は、保護者同伴の圧迫面接みたいな様子を垣間見て空気を察し、あえて距離をおいてチラチラ眺めているのを、肌でなんとなく感じた。


 こんな状況になる前、佐々木先輩にちゃっかり社食を奢ってもらった。食堂の隅っこの席に着いたときに、どうしてこんなことになってしまったのかを訊ねたのに――。


「アイツらが給湯室で、ムカつくことを言ってたんだ。注意したら、思ってもいない展開になってしまった」


 という抽象的な言葉で濁されてしまったせいで、どこから突っ込んでいいのか、わからなくなったのである。


「あのぅ、佐々木先輩のムカつくこととはいったい?」


「誰が聞いてもムカつくことだ」


(――いやそうじゃなくて、どんなことなのかを、詳しく説明してほしいのに!)


 社食についてる玉子焼きに箸を伸ばして、小さなため息をついた。向かい側にいる佐々木先輩は、かきこむようにご飯を平らげていく。まるでこのあとおこなわれる決戦に向けて、パワーをつけているみたいに見えてしまった。


「松尾、あのさ」


「はい……」


 玉子焼きを口に頬張り、舌の上で出汁の旨みを感じていたら、不意に話しかけられたので顔をあげると、形容しがたい表情の佐々木先輩が私を見つめた。怒っている顔や、物悲しい感じでもないその面持ちに、私までどんな顔をしていいのか困惑し、口の中にある玉子焼きを意味なく何度も咀嚼してしまった。


「ごめんな。こんな面倒なことに巻き込んで」


「大丈夫ですよ、へっちゃらですって」


 首を横に振りながら笑いかけたら、佐々木先輩はそれを見た途端に、私の視線を避ける感じで俯いてしまった。


「笑うなよ……」


 佐々木先輩はぽつりと一言呟いて、持っていた箸を置いた。


「松尾には、俺を非難する権利がある。『こんなことに巻き込んで、どうしてくれるんですか!』って、もっと罵ってもいいくらいなのに」


「もっと罵るなんてそんなこと――。もしかして佐々木先輩は、ドМなんですか」


 カラカラ笑い飛ばしたら、目の前で落ち込んだようにしょんぼりする。そのせいで私の笑いがしぼんでいった。


「おまえがそう思うなら思えばいい。だけどさ」


「はい……」


「無理して笑ってほしくない。つらいときはつらいって、イヤなことがあったら怒るとか、そういう素直な感情を、俺の前でもっと出してほしいって思うんだ」


「私は無理して、笑ってるつもりはないのに」


 佐々木先輩に突きつけられた言葉は、私に衝撃を与えた。それこそ、好きだと言われたときと同じくらいに。


「俺自身もそこまで器用じゃないから、誤解させるような言動をすることがあるかもしれない。だけどつらいことを笑って誤魔化すようなマネは、絶対にしない」


「…………」


「好きな相手には、きちんと向き合って好きって言うし、腹の立つことがあったらムカついたって言う」


 佐々木先輩が言ったことは、当たり前のことだと思う。誰もがしている素直な行動だけど、私にとってそれはできないことだった。マイナスの感情は、第三者を不快にさせる。そして雰囲気を悪くするもの。だからそうさせないために、私はいつも笑っていなければならない。


 しぼんでいた私の笑いが、口の端に表れる。ちょっとだけ引きつってるかもしれないけれど、顔をしっかり上げて、それを佐々木先輩に見せた。


「松尾……?」


「私は佐々木先輩みたいに、素直に感情を出せません。こうやって笑うことで、やり過ごすのが癖になっていまして」


(きっと、情けない笑顔になっているだろうな。それでも笑わずにはいられないという――)


「俺は別にかまわない」


 端的なきっぱりとした言葉なのに、とても優しく耳に届いた。


「えっ?」


「松尾が俺のことを好きになって、安心できるヤツだってわかってくれたときにはきっと、本当の笑顔がみられると思ってる。だからどうしたら俺を好きになってくれるのか、それが最大の問題だなぁと、現在進行形で頭を悩ませているところだ」


 ふたたび箸を手に取り、美味しそうに社食を口に運ぶ佐々木先輩に、私は言葉が出なかった。


(少しずつ距離を縮めていく感じを、佐々木先輩にお願いしたおかげなのかな。無理強いせずに、私の気持ちを慮ってくれるいい人みたい)


 社食を一緒に食べたあのときはそう思ったのに、今は私が心配する気持ちなんて露知らず、むしろなにも喋らせないという気迫が、隣からひしひしと漂っていた。


「佐々木くん悪いけど、女同士で大事な話をするから、席を外してくれない?」


 お局グループのリーダー梅本さんが、厳しさを感じさせる声色で口火を切った。


 えも言われぬとげとげしさを耳で感じた途端に、私はビビっちゃって、ひゅっと息を飲んだというのに、佐々木先輩は顔色ひとつ変えずに、ただ一言。


「ここでなにがおこなわれるのかわかっていながら、彼氏として見過ごすわけにはいかない。よって席を外す義理はない」


 いつもより低い声で、ハッキリと言い放った。梅本さんのとげのある声に対し、佐々木先輩のはそれを跳ね返すような質の固い声だった。


「女同士の話し合いに、口出ししてほしくないんだけど」


「1対5はおかしい。俺を外したければ、タイマンでの話し合いを要求する」


(私としては、5人相手だろうがタイマンだろうが、両方イヤですけどね!)


 結局、叱責される数が多いか少ないかの違いなので、どっちに転んでも避けたかった。


 お局グループは佐々木先輩の提案に、顔を寄せ合ってヒソヒソ話をしてから、意見がまとまったところで、梅本さんが仕方なさそうな様子で重たい口を開く。


「しょうがないわね。このままじゃ埒が開かないから、佐々木くんがいてもいいわよ」


 目の前にいる5人とも、苛立った雰囲気をまとって、私たちをまじまじと見つめる。チクチク突き刺さるその視線を感じたくなくて、終始私は俯いた。


「君たちには昨日も言ったが、松尾に落ち度はない。自分たちができなかったことを、松尾がやってのけたのが悔しくて、ここでコイツを貶めるようなことを言うつもりだったんだろ」


(自分たちができなかったこと? そもそも私は、なにをやらかしたんだっけ?)


 アレコレ考えながら、隣にいる佐々木先輩を横目で眺めた。


「じゃあ佐々木くんに聞くけど、いつの間に松尾さんと付き合っていたの? 四菱商事のお見合いの話がきっかけになったにしては、タイミングが良すぎるでしょ」


 梅本さんが言い終える前に、佐々木先輩は隣でニヤッと笑った。口元だけで微笑んで、目元にまったく変化がないそれは、笑ったというよりも、小馬鹿にしているような嫌な笑みだった。

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