「ここで歌って、気分を発散したいところだが、それだと話の論点がズレる」
佐々木先輩はエアマイクを作っていた左手を力なくおろし、胸に溜まっている空気を吐き出すように、ふうと大きなため息をついた。
「それは残念です。佐々木先輩の美声が聞けると思ったのに」
「……歌ったら、交際続けてくれるのか?」
思いもよらぬ佐々木先輩からの提案に、唇の端がヒクッと引きつった。
「佐々木先輩、なに寝ぼけたことを言ってるんですか。続けませんよ」
「俺、一応本気なんだぞ」
「本気と言われても――」
誰かを想う気持ちは当然見えないので、本気度がイマイチ伝わってこない。しかも相手は、イケメンの佐々木先輩。相手を選ぶなら間違いなく選り取り見取りゆえに、どうにも嘘くささが拭えなかった。
「俺が誰かと付き合うのって、いつも向こうから告白されて、スタートしていたんだ」
「そうでしょうね。佐々木先輩はイケメンですし、女性がキャーキャー言いながら、群がる姿が目に浮かびます」
私が想像したことを口にしたら、佐々木先輩は眉をしかめて、ひどく憂鬱そうな顔をする。
「とりあえず相手を知るために、試しに付き合ってみるんだけど、相手がのぼせればのぼせるほどに、俺はソイツを好きになれなくてさ。結局うまくいかなかった」
「なるほど……」
「今回も松尾にアプローチされて、いつものパターンかよって内心思った。居酒屋でいろんなことを喋ってるうちに、不思議と惹きつけられるものを、俺の中で感じとることができたんだ」
「惹きつけられるもの?」
昨日かわしたふたりの会話で、そんなものがあろうとは思えない。世間話の延長みたいな、くだらない話ばかりしていた記憶がある。
「一目惚れとは違うよな。なんて言葉で表現したらいいのか。とにかく俺は松尾が好きだ」
さらに頬を染めた佐々木先輩が瞳を潤ませて、衝撃的な告白をぶちかました。そのせいでこのままだと、勢いでなにかされる恐れがあると考えつき、佐々木先輩の動きを止める言葉を、必死に考えながら語りかけてみる。
「佐々木先輩ってば、人の誘いを雑なアプローチとか言って非難してたのに、こんな色気のない場所で告白されても、はっきり言ってピンとこないですよ」
上擦った声でまくし立てるように告げたら、告白されたことを妙に意識してしまい、慌てて佐々木先輩に背を向けた。赤くなっているであろう顔を見られないするために。
すると耳に聞こえる、佐々木先輩の靴音。あっと思ったときには、後ろから抱きしめられてしまった。頭頂部に佐々木先輩の顎がのせられる。
「元彼との付き合いで疲れているであろう松尾に、どうしたら恋愛する気持ちを起こさせることができるだろう?」
「恋愛する気持ち!? それはえっとですね、過度な束縛は嫌です。苦しいですので……」
「わかった。腕の力を緩める」
「やっ、佐々木先輩にされてることじゃなくてですね、う~んと『なにしてる』っていうLINEを、数分おきに送ってきたり――」
「じゃあ松尾の存在を感じるために、思いっきり抱きしめることはOKなんだな?」
狼狽えまくりの私の言葉に、佐々木先輩は端的に答えながら腕の力を強めたことに、ぎょっとするしかない。いきなりなされた抱擁から逃れるべく、足りない知能を総動員して説得を試みる。
「私としては、刺激の強い触れ合いはちょっと……。少しずつ距離を縮めていくような感じが、いいかもしれません」
わかりにくいと言える説明で、頭にのっていた重みがふっと消える。めでたく頭部が自由になったので、首を動かして振り返ったら、顔のすぐ傍に佐々木先輩のイケメンがあって、驚きのあまりに体をビクつかせてしまった。
(なにやってくれてるんだろこの人は! 佐々木先輩の存在自体が、めちゃくちゃ刺激物だっていうのに。少しは自覚してほしい)
「佐々木先輩、近いですよ……」
「少しずつ距離を縮めていくのって、こんな感じか?」
佐々木先輩の艶のある低い声が耳に届いたときには、頬にキスをされてしまった。しかも唇のすぐ傍という微妙な場所にされてしまったため、喋ることはおろか、下手に動いて振りほどくこともできない。
「松尾の頬、すごく熱くなってる」
「しっ、刺激の強い触れ合いはNGですっ!」
静かな備品庫に、私の声が妙に響き渡った。
「頬にキスなんて、子どもでもするだろ。俺なりに、これでも譲歩してるんだけど」
「それでも私には、刺激が強すぎます!」
「俺としてはもっと刺激の強いコト、積極的にしたんだけど?」
吐息をかけながらすごいセリフを告げられた私は、これまでの刺激も相まって、頭が一瞬でオーバーヒートした。
「むっ、むむむむ無理です! 死んじゃいます!」
体を強ばらせて情けない声を発したら、佐々木先輩は私の肩口に額を押しつけて、小刻みに震えた。
「うっ……」
「佐々木先輩?」
怖々と話しかけると、抱きしめる腕の力が痛いくらいに強まった。縋りつくようなそれに、もしや泣いているのかもと思わされる。
佐々木先輩に告白されたことが衝撃的すぎて、私はずっと拒否する言葉ばかり告げてしまった。
相手に追いかけられてばかりだった人が、はじめて誰かを追いかける立場になったとき、まずは拒否されるかもしれないという、マイナスな感情があったはず。
(佐々木先輩はそれを乗り越えて、私に告白してくれたんだ――)
「ううっ、くっ……」
泣かせてみたいと言った先輩が、私のせいで泣いている姿に焦りを覚える。焦らないほうがおかしい。だけどそれよりもおかしいことは、佐々木先輩が私を好きだってことだろう。正直、趣味がいいとは思えない。
「佐々木先輩、あの……」
今まで、挨拶以上の会話をかわしたことがなかった先輩。だからこそこれから相手を知るために、付き合ってみるのはアリかもしれない。そしてこのことにより、四菱商事の見合いの話を、堂々と断る理由になる!
「…………」
鼻から息を思いっきり吸い込み、吐き出す勢いを使って喋りかける。
「佐々木先輩とお付き合いしてもいいですよ。さっき言ったように、少しずつ距離を縮めていく感じでお願いします……」
「くくっ!」
抱きしめていた私をぽいっと放り出して、佐々木先輩はお腹を抱えながら爆笑した。大笑いする理由の見当がつかない私は、ぽかんとするしかなく――。
(近寄りがたいオーラを漂わせている、大人ってイメージだったのに、こんなふうに笑ってるだけで、親近感が増していく不思議な人だな)
傍にある棚をバシバシ叩いて、大きな体を揺さぶり、なおも爆笑を続ける佐々木先輩を見つめるしかなかった。
「佐々木先輩、笑いすぎですよ。そんなふうに笑われるようなこと、私は言った覚えがないのに」
ジト目で佐々木先輩を見上げながら呟いたら、メガネを外して涙を拭い、ふたたび吹き出す。
「佐々木先輩っ!」
「悪い悪い。間近で松尾の百面相を見ているのが、面白くてつい」
「はい?」
「それを見てるだけで、なにを考えてるのか手に取るようにわかってしまうものだから。とりあえず、付き合うことを決めてくれてありがとな」
きちんとメガネをかけ直してから、目の前に右手を差し出されたので、導かれるように握手した。佐々木先輩の大きな手が、私の右手をぎゅっと握りしめる。
「松尾が不安にならないように、ちょっとずつ距離を縮めていけばいいんだよな?」
「束縛されるのは苦手なので……」
「それじゃあまずは、見える形で俺の気持ちを表してやる」
佐々木先輩は、繋いだ右手をグイッと引き寄せた。
「ちょっ?」
引っ張られた衝撃は私の体を動かすほどじゃなく、右腕のみ動かされた。黙って佐々木先輩がすることを見つめたら、手首が露にされて、脈をとるところに唇が押しつけられる。
ちゅっと強く吸われる感覚で、皮膚の上にある佐々木先輩の唇をまざまざと感じてしまい、掴まれている腕全部が熱くなってしまった。
「松尾が好きだよっていう意味だから、それ。不安になったら触れるなり舐めるなり、好きにしてくれ」
「舐めるなんてしませんよ!」
やんわり返された右手を左手で握りしめながら、視線を右往左往して、思いっきり狼狽えた。今までこんな場所にキスをされたことがないため、どんな顔をしていいのかわからない。
「私からは、なにもしませんからね……」
しっかりつけられたキスマークに戸惑いを隠すなんて芸当は、私には高等すぎてできるわけもなく、ただただ佐々木先輩を見上げて文句を言うのが精一杯だった。
「先に戻ってる。顔の赤みが落ち着いたと思ったら戻ってこい」
踵を返して右手を力なく振って出て行く大きな背中を、複雑な心境で見送った。
なんていうか、あっさりしすぎてるなって思ったから。それまで後ろから抱きしめられたり、結構ベタベタしていた名残もあって、ちょっとだけ寂しさを感じてしまう。
「これが好きのしるし……」
佐々木先輩につけられた横長のキスマークを、ドキドキしながら眺めてみる。
こんな特殊な場所につけるなんて、ほかにも意味がありそうだと思い、スカートのポケットに忍ばせていたスマホで『手首にキスの意味』で検索してみた。
【「手首」にキスする意味は「欲望」の表れを示すと言われてます。手首へのキスは満たされない欲望を意味するキスであるからこそ、女性は彼が自分に何を求めているのかを考えさせられるキスでもあると言えるでしょう】
「ちょっと待って。満たされない欲望って、いったい! 佐々木先輩ってば、あんな顔して結構エロ……」
好き以上に求められる佐々木先輩からの感情を知ってしまい、体の隅々まで熱を持った。
ちなみに頬のキスは、彼女を愛する気持ちと親しみだけではなく、相手の気持ちにも配慮して向き合っている男性心理を示す、本気度の高いキスなんだって。
「佐々木先輩の本気、いろんな意味でおそるべし……」