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(佐々木先輩ってば、どうして私に声をかけたんだろう? 昨日の居酒屋での、口撃の延長線だったりするのかな?)
午前中にこなさなければならない仕事を抱えているのに、佐々木先輩とのさっきのやり取りが、どうしても頭から離れない。混乱と戸惑いが胸の中を渦巻く。
モヤモヤを吐き出すようにため息をついたら、私のデスクに誰かの手がなにかを素早く置いた。慌てて振り返ったときには、その人はすでに私の背後を通り過ぎていて、大きな背中がフロアの扉から出て行くところだった。
「佐々木先輩?」
佐々木先輩がわざわざメモ帳から引きちぎって置いていった紙片を、なんの気なしに読んでみる。
『珈琲美味かった!
昨日は一緒に呑むことができただけじゃなく、
楽しい時間を過ごせたのが
とても嬉しかった。
松尾、ありがとう。
また行こうな。
俊哉』
万年筆で書かれたと思しき、読みやすい綺麗な文字――コーヒーを漢字で書いてるところといい、今朝のコーヒーの評価から昨日のお礼まで、完璧にこなしているだけじゃなく。
『また行こうな』と私を誘っているのは、なにかの罠だったりする? しかも俊哉という名前まで残すなんて、まるで彼氏のようだと錯覚してしまう。
昨日の彼女になりたいアピールだって、冗談だと言ったハズなのに。
「そういえば、LINEの交換してなかったっけ……」
メモ用紙を見ていて、ふとそのことに気がつく。こんなふうに手書きのやり取りなんて、いつぶりだろうか。
(ちょっと待って! 佐々木先輩からのコレに、返事をしなければいけないのかな。LINEのやり取りだと、スタンプなんかで気軽に返信できるけど、手書きで返事なんてそんなこと――)
「うわぁ、なんてことをしてくれたんだ、あの先輩は!」
現在進行形で抱えてる急ぎの仕事よりも、ミッションの高い返事に、めちゃくちゃ頭を悩ませながら、企業名がプリントされているメモ用紙に、ありきたりな文面を丁寧に書き込む。
それを二つ折りにして、佐々木先輩が戻る前にデスクに置き、ふたたび自分の席に戻った。今日使うであろう集中力の半分を削る原因になった、佐々木先輩からのメモ用紙を、容赦なくシュレッダーにかける。
誰かに見られて、変にウワサをされたくなかったから。佐々木先輩の相手が私なんて、誰が見ても月とスッポン。似合わないことくらい、わかっているつもりだった。それに――。
「恋愛はもうしばらく、したくないんだよね……」
おふざけで彼女に立候補した手前、そんなことを佐々木先輩に言えるわけがない。