それは本当に偶然だった。仕事のない週末を満喫すべく、午前中は惰眠を思いっきり貪り、お昼過ぎに起床。ブランチをだらだら済ませるように時間を過ごしてから、自宅を出発した。
どこでウインドウショッピングしようかと考えつつ、弾んだ足取りで歩く。ちょうど繁華街を差し掛かったタイミングで、私の目がその人に自然と惹きつけられた。
職場では、いつもビシッと整えられている髪型が、今はナチュラルな感じでまとめられているだけで、銀縁眼鏡の奥にある目元の印象まで様変わりしていた。柔らかい雰囲気がそこにあるおかげで、普段漂っている近寄り難いオーラがなかったこともあり、思いきって声をかけてみる。
「佐々木先輩!」
「あ、えっと……松尾?」
「ぉ、お疲れ様です」
言いながら、小さく頭を下げた。職場で憧れている先輩との対峙に、頭がまったく回らない。
(――うわぁ、突然すぎて会話が全然続かない! お疲れ様ですという言葉も、正直おかしかったんじゃないかな)
「松尾悪い。私服だとなんかいつもと感じが違って見えて、一瞬誰かわからなかった」
「それは佐々木先輩も一緒です。待ち合わせですか?」
時刻は夕方の5時過ぎ。場所が地元では待ち合わせの目印になっている銅像の前だったので、会話のキャッチボールを成立させるべく訊ねてみた。
「ああ。待ち合わせしてたんだけど、時間になっても現れないところをみると、どうやら振られたみたいだ。LINEしても既読がつかない」
佐々木先輩は、手に持っていたスマホを見ながら答えてくれた。
「……それって、彼女さんですか?」
上目遣いで一番訊ねたかったことを、ずばっと告げた。会社ではそういう類の存在を示すような匂いが、佐々木先輩からまったくしないため、女子社員の間で彼女の有無がよく話題にあがっている。
そつなく仕事をこなす先輩ゆえに、彼女の存在を悟られないように、うまくカモフラージュしているのかもしれない。
「松尾ってば、下世話な質問するのな」
「だって佐々木先輩のプライベートって、謎に包まれていますし。気になるのは、当然のことだと思います」
「そういうおまえは、どうなんだよ?」
「へっ?」
「彼氏と待ち合わせしてるのか?」
佐々木先輩は私の質問に答えずに、いきなり変な切り返しをした。
(私に質問して、彼女の存在を誤魔化す気でいるのかもしれない。その手には乗らないもんね!)
「3ヶ月前に彼氏と別れた私に、そのセリフはめっちゃ酷ですよ!」
胸を張りながら、腰に手を当てて流暢に説明した私を見る佐々木先輩の口元が、一瞬だけ引きつった。会社で見ることのできないその顔は、ちょっとだけ面白いと思ってしまった。
「知らなかったこととはいえ悪かった。ここで逢ったものだから、てっきり彼氏と待ち合わせしているのかと思ったんだ……」
「いーえ、おかまいなく! それで佐々木先輩はどうなんですか?」
たじろぐ佐々木先輩に、口撃の手を緩めずに問いかける。悲しい事実を先に暴露した私が、どう考えても有利だろう。
目の前から視線を外さずに、今か今かと返答を待っていると、佐々木先輩は小さなため息をついてから、やっとといった感じで口を開く。
「……仕事が恋人の俺に、そういう質問をする時点でどうかと思う」
「仕事が恋人?」
(――きっと毎日、責任の重い仕事に忙殺されて、出逢う機会を逃した結果が、その言葉になっちゃったんだろうなぁ)
「なんだよ、その目は。可哀想なヤツを憐みる感じで見られると、対処に困ってしょうがない」
「意外だなと思って見つめたんですよ、これでも」
「意外?」
眼鏡の奥にある、形の綺麗な二重まぶたを瞬かせながら呟いた佐々木先輩相手に、世紀のすごい話を吹っかけるべく、右手人差し指を立てて語りかける。
「スーツをビシッと決めるように、着ているワイシャツの皺がひとつもなく、ネクタイのセンスもいい、イケメンな佐々木先輩に彼女がいないのが不思議だなぁと思っただけですよ。ほかの男性社員と比べて隙がないのは、変な噂話をされないようにした、佐々木先輩の気遣いなのかなぁって」
「実際俺には彼女はいない。だからそんな気遣いする余裕はないし、仕事のことで頭がいっぱいだ」
肩を竦めて返答されたセリフを聞き、私はニッコリ微笑む。佐々木先輩は意味深な笑みを、どんな意味に捉えるだろうか。
「佐々木先輩は、仕事が恋人ですもんね。ちょっとくらい、浮気をする余裕はないんですかぁ?」
上目遣いをそのままに、ちょっと小馬鹿にする感じで挑発してみた。
「浮気か。松尾がいい女を紹介してくれるのか?」
私は浮かべていた笑みを消し去り、無言で自分を指をさす。正直なところダメ元だからこそ、会社の高嶺の花に当たって砕けろ作戦を展開できた。見た目と中身がありふれているであろう私を、相手にするような人じゃないことくらい、頭で理解できている。
「松尾は、アプローチの仕方が雑だな。もう少しくらい、俺と駆け引きするなりしてみろ」
一瞬だけ驚いた表情を見せた佐々木先輩から、呆れたまなざしが注がれたけれど、そんなことには屈しない。
「仕事のことで頭がいっぱいな佐々木先輩に、無駄な負担をかけないようにした、私なりの気遣いなんです」
元カレとの愛憎劇を乗り越えた経緯が、私を打たれ強くした。どんなに白い目で見られても平気だったりする。
「松尾なりの気遣いか、ふぅん。それで松尾と付き合うとして、俺になにかメリットはあるんだろうか?」
「へっ?」
「男受けしそうにないその恰好に、薄化粧を施しているところを見ると、このあとどうせ暇なんだろ。そこのところも含めて話を聞くぞ。ついてこい!」
大きなスライドで歩き出した佐々木先輩の背中を、口を開けっ放しにしたまま見つめてしまった。
「松尾、来るのか来ないのかハッキリしろ」
数歩先で立ち止まった佐々木先輩目線は、顔だけで振り返りながら私に声をかけた。
今後の私の予定を聞かずに、強引に同伴させようとするところは好みじゃないけれど、佐々木先輩に振り回されるのかと考えた瞬間、それが許せてしまうから不思議だ。
「ついて行きますので、置いていかないでください。喜んでお供します!」
一緒に食事できる喜びを感じさせないように、きゅっと唇をかみしめながら、佐々木先輩の隣に並んで歩いたのだった。