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episode = 34; // 如月蒼から如月蒼へ


 下校途中に僕に声をかけたあの大人の女性は、死んだはずの僕の母親だった。


 アルバムの写真でそれを知ったところで、混乱は深まるだけだ。あれが本当に母だとして、母が僕に見せた「白亜」という女の子のビジョンはなんなのか、真実とはどういうことなのか、僕に何を選ばせたいのか、それがまったく分からない。


 途方に暮れた僕は、家の中を探し始めた。さっきのアルバムのように、何か新たな情報に繋がるものがないかと考えたのだ。


 写真はあまり撮っていなかったのか、アルバムはあの一冊以外は見つからない。仲のいい家族なら想い出を詰め込んだ大切なアルバムが何冊もあるものなんだろうかと考えたら、少し胸が締め付けられた。きっと僕を愛してくれていたであろう母は、そんな温かく幸福な未来を夢見ていただろうに。


 書棚、押し入れ、食器棚、シンク下、普段ほとんど使っていないタンスや、触れたこともない小物入れ。勝手に入るのは躊躇われたけれど、父親の書斎にも入って手あたり次第に探し回った。けれど、死んだはずの母が現れたことや、「白亜」という少女に繋がるような発見は何も得られなかった。


 成果のない徒労に疲れを感じ、自分の部屋に入って学習机の椅子に座って大きく息をつく。この部屋にも棚や机の引き出しなんかはあるけれど、この部屋にある物は全て自分が置いたものだ。だからそこに、母が僕に伝えたかった「真実」に繋がる新しい発見なんてあるはずがない。


 そんな風に考えながら、何気なく学習机のセンター引き出しに手を伸ばした。天板の下に取り付けられているこの引き出しは浅いから、大きな物は入れられない。シャーペンの芯や消しゴムなど、筆記用具の予備を入れている。だから、ここ数日は開けていないけれど、目新しいものなんて何もない。そう思いながら引き出しを開けていく。


「あれ? なんだ、これ……」


 予想に反してそこには、見覚えのない紙が入っていた。よくあるB5サイズのルーズリーフが半分に折られたものだ。どこかで見覚えのあるような筆跡で、上の面に宛名が書かれている。


『如月蒼へ』


「……手紙?」


 こんな手紙、もらった記憶がない。自分で置いたものでないなら、誰かがここに置いたとしか思えないけれど、この部屋に他人を入れた覚えもない。


 不気味な気持ちになりながらも、その紙を摘まみ上げ、恐る恐る裏面を見た。差出人の名前があるかもしれないと思ったからだ。果たしてそこには、この謎の手紙をしたためた人物の名前があったのだけれど、それを見て僕は思わず声を上げてしまった。


『如月蒼より』


「はあ⁉」


 ますます意味が分からなくなる。自分の名前はそれなりに珍しいものだと思うから、これまで同姓同名の人間と出会ったことはない。それならこのルーズリーフは、僕が、僕宛てに書いたものだというのだろうか。そういえばこの見覚えのある筆跡は、自分が書く字の癖と一致している。


 差出人の名前の下に、さらに文字が書いてある。


『わけがわからないだろうけれど、とりあえず読んでくれ。とても大事なことだから。』


 本当にわけがわからない。下校中に突然現れた、死んだ母親。自分が自分に宛てた、覚えのない手紙。それに、宮野とのデートと中間テストの記憶の矛盾。この世界は一体どうなっているのか。


 でも、それらの答え合わせが、この手紙に書いてあるのかもしれない。鼓動が速くなっていくのを感じながら、ルーズリーフを開いた。


『突然の自分からの手紙に驚いていると思う。

 裏にもある通り、これを書いているのは、如月蒼、僕自身だ。

 紛れもない自分だと証明するために、僕にしか知り得ないことでも書こうかとも思ったけれど、これを読んでいる僕の記憶がどれだけ改竄されているか分からないから、それは諦めた。だから、お前が信じてくれるのを願うしかない。

 もし、この手紙を見つけたお前が混乱しているのなら、お前はとても大切な記憶を消されている。

 お前にとって、いや、これを書いている僕にとって、自分自身よりも世界よりも大切な、水無月白亜という幼馴染の女の子の記憶を。』


 そこまで読んで、はっと息を呑んだ。「白亜」。またその名前だ。それに、僕が記憶を消されているだって?


『なかなか信じられないだろうけれど、世界規模で記憶や物体や事象を消してしまうようなとんでもない存在がいる。

 神様みたいなものだけど、正確にはそうじゃない。そいつは、MOTHERという名前だ。正式名称は、確か、【Multidimensional-simulate Operatingsystem "Thought for Habitable Earth's Rebuild"】だったかな。(これを覚えている自分に少し驚いたよ)

 この世界は、そのMOTHERという、人格を持ったシステムが運用している、マルチバースシミュレーションだ。』


「人格を持ったシステム、MOTHER……。“母親”?」


 下校中に会った母が言っていた言葉を、不意に思い出した。


(人格の集合体なんてものになっても、何が正解かなんて、ずっと分からない)


 まさか、僕の母が……?


 手紙はまだ続いている。


『MOTHERは、戦争による環境汚染で絶滅に瀕した人類が、生存可能な地球を再建するための最適な選択を得るために作ったらしい。システムを恒久的に運用できるように、シミュレーション世界で亡くなった一部の「母親」の人格データを管理者AIの中に取り込んで、母性を持つように作られている。


 けれど、どれだけ並行世界のシミュレーションを繰り返しても幸福な未来を得られず、結論を報告すべき相手である現実世界の人類も滅亡して、そんな中で二万年もの間、滅んで消えていく世界を運用し続けたMOTHERは疲弊し、絶望した。終わりたい、と願ってしまった。その願いが、システムの中にバグを生み出した。運用している並行世界を少しずつ消していってしまう、システムにとって致命的なバグだ。そのバグは既に多くのものを消している。この部屋にカーテンがないのもそのせいだ。


 お前は忘れてしまっているのだろうけれど――僕の大切な人、白亜。彼女も、絶望の中で自ら命を絶った。


 世界の絶望が生んだバグは、白亜の人格データを再現する形で、僕の前に現れた。どんな経緯であっても、白亜が戻ってきてくれたのは、僕にとって幸福だった。


 それでも、優しい白亜は、世界を守るために自分を犠牲にすることを選ぶかもしれない。自分のせいで誰かが傷付くことを、何よりも嫌がる子だったから。そうなったら僕は、今度こそ本当に彼女のことを忘れてしまう可能性が高い。だからこの手紙で、お前に託す。


 白亜を忘れたお前に、この感覚を理解してもらえるか分からない。世界の全部よりも大切な人がいるということを。


 でも、どうかお願いだ。お前だけが頼りなんだ。


 僕はもう白亜を一人で苦しめたくない。


 お前の手で、ハッピーエンドを作ってくれ。』


 手紙はそこで終わっていた。


 正直こんなものを読まされても、信じられないという気持ちが強い。

 MOTHER? マルチバースシミュレーション? 現実世界の人類の滅亡? まるで拙いSF小説のプロットみたいだ。


 でも皮肉なことに、今日僕の身に降りかかった不思議なことのひとつひとつが、この手紙に信憑性を与えている。


 宮野とのデートと中間テストの記憶の混濁。突然現れた、死んだはずの母親。母は自分を「人格の集合体」と言っていた。そしてその母が僕に見せた「白亜」という少女のビジョン。


 この長い手紙の筆跡は間違いなく僕のものだけれど、これを書いた記憶はどれだけ頭の中を漁っても出てこない。本当に、僕は、忘れてしまっているのだろうか。……いや、忘れさせられてしまった・・・・・・・・・・・のか。


 手紙を机の上に置き、大きく息を吐き出した。


 まったく、やっかいな願いを背負わされてしまった。ハッピーエンドを作ってくれなんて言われても、どうすればいいのかさっぱり分からない。


 でも、母はこう言っていた。


(私も全ての権限を持っているわけじゃないけれど、できるだけのことはするから)


 この世界を運用している、MOTHERという管理者AI。僕の母親が、本当にその「人格の集合体」の一部であるなら、頼るべきはそこしかないだろう。


 少し考えてから、僕はスマホを取り出し、画面を操作して連絡先の一覧を開いた。久しく電話なんてかけていないその相手を探し出し、通話アイコンをタップする。


 呼び出しのコール音が始まり、画面には通話相手を示す簡素な一文字が表示された。「父」と。


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