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episode = 30; // さよなら


 寂しい空き地の中央で、白亜は僕に背中を見せて立っている。


 彼女はさっき、「変なこと言うけど、あまり深く考えずに聞いて」と前置きして、創作のような、夢物語のような、不思議な話を僕に聞かせた。僕たちのいるこの星で起こったことだとは到底思えないような内容だったけれど、白亜の口ぶりは嘘を言っているようには見えなかった。それに、彼女が流した、決意を秘めたような涙。


 終わらせない、とは、一体どういうことなのだろう。


 分からないけれど、彼女がとても遠いどこかに行ってしまうような、そんな悲しい予感で、ずっと胸が軋み続けている。


 何か言わなくては。白亜を、引き留めなくては。


 でも、考えれば考えるほど頭が働かなくなって、心の中の大切な部分に手が届かないようで、うまく言葉を紡げない。


「……じゃあ、帰ろうか。とりあえず、駅まで歩いて行かないとね。それにしても、どうしてこんな何もないところまで来たんだっけね。あはは……」


 やっと口にできた他愛もない内容に、自分が情けなくなる。


 白亜は振り向いて、僕と正面から向かい合った。涙を流した後の、少し濡れた瞳で、何かを愛おしむような優しい微笑みを浮かべている。


「私、ちょっとやり残したことがあるんだ。だからごめん、蒼くんは一人で帰って?」


「え、いや、やることがあるなら、付き合うよ」


 僕の提案を、彼女は静かに首を横に振って、拒絶した。


「これは、私一人でやらなきゃいけないことなんだ。だから蒼くんがいたら困っちゃうよ」


「じゃあ、離れた所で待ってるから」


「それもダメ」


「駅までの道、分からないだろ? ここ、割と分かりにくい場所で、来る時だって僕が時々スマホで地図を見ながら歩いたんだし。白亜一人だったら、迷子になっちゃうよ」


「大丈夫」


「えっと……」


 何かないか。他に、言葉は。白亜を繋ぎとめる、言葉は。


 口を噤みうつむく僕を見て、白亜は小さく笑った。


「蒼くん、今日は本当にありがとう」


「え?」


「デート、してくれて。こういうの初めてで、ずっとドキドキだったし、一緒に服を選んだのも、映画も、ファストフードも、そしてここも、全部、全部、すっごく楽しかった」


「うん、それなら、良かったよ。なんなら、明日も――」


「これまでも、沢山、ありがとうね。ずっと一緒にいてくれて。私を守ってくれて」


「何言ってるんだよ、これが最後みたいに……」


「私は、大丈夫だから。一人で、戻れるから」


 白亜の気持ちが変わることはないのだと、分かってしまう。悲しい予感が心を満たしていく。でも彼女は「一人で戻れる」と言った。それなら、その言葉を信じて、僕は先に帰って待っていよう。


「じゃあ……ここで」


「うん」


 それでも確信が欲しくて、僕は白亜を抱きしめるために手を伸ばした。抱きしめて、キスをしてしまおう。僕たちは恋人なのだから、別れ際のキスくらい、いいだろう。そうすれば、少しでも白亜の心を、僕のもとに引き留められる気がして――


「わっ」


 でも、白亜は驚いて、僕から一歩遠ざかった。心にヒビが入ったような気がした。


「だ、ダメだよ、そういうのは……」


「……ごめん」


 頬を赤くした白亜が、慌てたように訂正する。


「あ、えっと、蒼くんがイヤとかそういうのじゃないからね。今はちょっとダメな事情があるからで」


「うん」


 少し開いた二人の距離に、沈黙が落ちる。耐えきれなくて、僕は言う。


「じゃあ、行くよ」


 白亜は優しく笑ってうなずいた。


「うん。気を付けて帰ってね」


 そして僕は、彼女に背を向け、この不思議な閑散とした広場の出口に向かって歩き出した。


 不安も、悲しさも、胸の痛みもある。けれどなるべく心を空っぽにして、ただ足を動かした。


 家で待っていれば、白亜は帰ってきてくれる。そう信じて、歩き続けた。


 やがて広場の敷地を出たところで、声が聞こえた……気がした。



 ――さよなら! 幸せになってね!



 振り返る。


 視界には、ベンチ一つだけの、がらんどうの広場。


 声がしたはずなのに、そこには誰もいなかった。


 上を見上げると、アーチ状のゲートのようなものに、この場所の名前を示していたのであろう看板がかかっている。しかしそれは途中から切り取られたようになくなっていて、「もりの」という文字だけ読むことができた。


 僕はポケットからスマホを取り出し、写真フォルダを開く。撮影日が今日の画像ファイルが一枚だけあって、それをタップして画面に表示した。僕と、宮野咲良が、顔を近付けて二人で笑顔をカメラに向けている。宮野はとても楽しそうだ。


 そうだ、僕は今日、宮野とデートをしていたんだ。


 思い出すと胸の中が温かくなってくる。


 LINEを開いて、宮野にメッセージを送る。


『今日はありがとう。楽しかったね。』


 彼女もスマホを見ていたのか、すぐに既読が付いて、返事が返ってきた。


『めちゃくちゃ楽しかったよ! こっちこそありがとう! 大好き!』


 その文字を見て、嬉しさがこみ上げる。自然に笑顔になってしまう。恋人と心を通わせるというのは、こんなにも幸せなことなんだなと思う。


 宮野が今日のデートで撮ったという写真を次々に送ってきた。約束の時間に少し遅れて走って待ち合わせ場所に到着した時の僕。服屋で試着を終えてカーテンを開いた瞬間の僕。映画館でチケットの買い方に戸惑い慌てる僕。映画館を出た後、感動で泣いて赤くなった目を恥ずかしがる僕。ファストフード店でハンバーガーにかじりつく僕。僕の写真ばかりだ。そんなところにも、宮野からの愛情を感じて胸が熱くなる。


 キーボードをフリックして、文字を入力する。


『恥ずかしい写真を送ってくるなよw』


 送信すると、返事はすぐに送られてくる。


『だって全部が今日の幸せな記録だもん』


『僕ももっと君の写真を撮ればよかったな。仕返しに送りつけてやれたのに』


『じゃあ次のデートではいっぱい撮ってね♡』


『分かった、覚悟しといて』


『やった、次の約束ゲットだぜ!』


 思わず笑みが零れた。


 幸せだ。この世界で、君に会えてよかった。


 僕はスマホをポケットにしまい、温かな気持ちで鼻歌なんて歌いながら、家に帰るために駅までの道を歩き出した。


 もう、振り返ることもなく。


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