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episode = 29; // MOTHERだって


 しばらくして、トイレから白亜が戻ってきた。その姿を見て、僕は一瞬混乱する。


 あれ、白亜がどうしてここに……? いや、僕たちは今日、デートしてたんだ。しっかりしろ、僕。


「……ただいま?」


 こちらの様子を伺うように、白亜がそっと言った。


「ああ、おかえり。えっと……じゃあ、次はどうしようか?」


 僕は白亜に右手を差し出す。なんだか頭がぼんやりとしている気がするけど、僕は白亜と手を繋いでいたはずだ。だからこの行動は自然なはず。


 でも白亜は僕の右手をじっと見つめた後、その手は取らずに、僕の着ているカーディガンの裾を摘まむように持った。


「……ちょっと、ゆっくりお話しがしたいな」


「疲れたの? じゃあそこのベンチに座ろうか」


 僕が歩き出すと、裾を摘まんだまま白亜もついて来る。遊園地の中央辺りにあるベンチに座ると、白亜は話し出した。


「蒼くん、これから私、ちょっと変なこと言うけど、あまり深く考えずに聞いててね」


「え? うん、分かった」


「MOTHERはね、確かに世界や人間に絶望して、終わりたいって願ったけど、それだけじゃなくて、ちゃんとこの世界や、そこに住む人たちのことを、愛してる気持ちもあるんだよ。多分、沢山の人格の複合体だからなんだろうけど」


 彼女が何を言っているのか、僕には分からなかった。何か映画や本の話だろうか。


「少し前、私が凍結される前に、お母さんから色々聞いたんだ」


 彼女の母親は、僕らが六歳の時に亡くなった。だから少し前という表現はおかしい。それに「凍結」の意味も分からない。けれど「あまり深く考えずに」と言われた手前、いちいち質問することも躊躇われた。


 白亜は僕の方を見ずに、どこか遠くを見るような表情で続ける。


「MOTHERはこの世界の神様じゃない、ただの監視者であり、管理者でしかないから、何でも好きに出来るわけじゃない。好き放題できるなら、戦争だって起こさせないはずだからね。でも、システムの隙を縫って少しくらいの改変はできる。だから、この世界の人たちのために、これまでちょっとしたズルをしてきたみたい。その話が、私、好きだった」


「ズル?」


 これくらいの質問なら許されるだろう。白亜は微笑んでうなずいた。


「例えば……心臓の病気になった男の子がいて、彼に心臓の臓器提供をした女の子がいました。その男の子は移植された心臓に宿った記憶を夢で見るようになって、レシピエントの女の子に恋をします。でも、女の子はもう死んでる。死んじゃったから心臓を提供できたんだもんね。そんな悲しい関係の二人に、時を越えて心で繋がるようにしたんだ」


「へえ、でもそれはそれで残酷じゃないかな? 心で繋がったところで、二人はどうやっても会えないんだし」


「深く考えないの」


「分かったよ」


 理解しきれない僕を置いて、白亜は続ける。


「あとね……中学生のカップルが、交通事故に遭いました。女の子は、大好きな彼が死んじゃったことを深く悲しんで、生き残った自分を責めます。別の可能性の世界――パラレルワールドでは、男の子を残して女の子が死んじゃって、同じように男の子は自分を責めました。MOTHERは、立ち直れない二人のために、並行世界を繋いで、ノートで筆談をできるようにしたんだ。それで二人は、やり残した『さよなら』をするために、ノートで沢山言葉を交わしたんだって」


「ふうん?」


「他にも、『今の自分たち』を否定したい二人が、流れ星に同時に願い事をして、それを叶えてあげようとしたけど、二つの願いがぶつかって、同じ一日を無限に繰り返すようになっちゃったこともあったみたい」


 僕はもう何となく分かっていた。さっき白亜は「この世界」と言ったけれど、現実の話ではなく、何か創作の話をしているのだろう。だから深く考えず、軽い気持ちで僕は口を挟む。


「なんだそれ、すごいな。そんなことができるなんて、もう神様みたいなものでしょ」


「うん。でもあくまでも、世界をシミュレートしてるシステムの隙を突いてるだけ、なんだって。私はよく分からなかったけど」


「そうなんだ」


 こっちこそよく分からないけれど、そう言うしかない。さらに白亜が続ける。


「小さいのだと、お互いを想い合ってたのに過去に家の事情で遠く離れた男女がいて、引っ越し先で偶然同じ昼夜間定時制高校に通うんだけど、日中と夜間それぞれで、二人が同じ教室の、同じ席を使うように操作したって話もあった」


「これまでのと規模が全然違うね」


「ね。でもそんな細かなところまで気を遣うって、一人一人をちゃんと見て、愛してないとできないなって思ったよ」


 色んな設定があるみたいだ。白亜自身が考えたのか、誰かから聞いた話なのか分からないけど、彼女にこんな趣味があることを知らなかった。


「あとね、こっちは壮大だよ。ある並行世界では、巨大な隕石が地球に落ちて人類は滅亡しちゃうんだけど、隕石の接近を事前に察知してた人間たちが一部の地域をシステムの中に再現して、地中深くに埋めて運用してたんだって。MOTHERもその展開にはびっくりしたみたいだし、自分が運用する世界の中で発生した、自分と似た存在に、共感してたみたい。結局、その世界は終わっちゃったんだけど……」


「そのちょいちょい出てくる『マザー』ってのは何なの? 君の母親ってわけじゃなさそうだし、マザーコンピューター的な存在?」


「だから、深く考えちゃダメなんだってば」


「うーん、了解」


 納得はできないけれど、飲み込むしかなさそうだ。


「他にも、人間が星になってその瞬間に願いが叶うとか、天使みたいに羽が生えるとか、桜の樹になるとか、いろーんな世界があるんだよ。MOTHERは絶望しながらも、そんないくつもの世界や、そこに住んで傷付きながらもがんばって生きてる人たちを、愛してる。だから、なんとか世界を続けようとしてる。そんな話を聞いたら、私……」


 微笑んでいた白亜の目から突然、一粒の涙が溢れた。それは彼女の頬の傷痕を伝って流れ、服に落ちる。その傷は過去に、彼女の父親からつけられたものらしい。


 手で涙を拭い、ひとつ深呼吸をして、彼女は続けた。


「MOTHERだって、人間と変わらないな、って思ったんだ。苦しんだり、喜んだり、傷ついたり驚いたりしながら、誰かを大切に想って、がんばって生きてる。それって、私たちと何も変わらないな、って」


 白亜の声が震える。彼女が言いたいことをちゃんと理解してあげられない自分が苦しかった。


「だから、私も、やっぱりこの世界は、続いてほしいよ。終わってほしくないよ。だってここには――ここだけじゃない、いくつもの並行世界で、誰かの大切な人や、想いや、願いや、希望や、命が、数えきれないくらいに、いっぱいあるんだ。もちろんそこには、大好きな蒼くんも含まれてる。だから、終わらせないよ」


「終わらせない、って……」


 まるでその未来が、白亜に託されているかのような言い方だった。


 これまでの話は、創作じゃないのか? だって全部が、あまりにも現実離れしたファンタジーみたいな内容だ。でも今僕の目の前で白亜は涙を流し、悲しい決意を秘めたような言葉を告げた。その涙や口調まで、創作の話によるものだとは思えない。彼女は昔から、嘘や演技が下手なんだ。


 それなら、白亜は一体、何の話をしているんだ。


「えへへ、ごめん、長く話しちゃったね。わけわかんない話で混乱してるでしょ」


「そりゃ、まあ……」


「そろそろ、帰ろっか。ここももう、ほとんどが消えちゃったし」


 白亜がベンチから立ち上がった。僕も立ち上がり、辺りを見渡す。僕たちがいるのは、がらんとした広場だ。アスファルトの地面が一面に広がっていて、さっきまで座っていたベンチが中央にぽつんと設定されているだけ。それ以外には……何もない。


 せっかくのデートだっていうのに、どうしてこんな寂しいところにいるんだっけ。思い出せない。


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