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episode = 28; // 君のせいじゃない


 遊園地の敷地に入った僕らは、チケット売り場でフリーパスを購入した。腕に巻くタイプのパスで、左手首に装着する。


「じゃあ、どれから行こうか?」


 僕の質問に、白亜は迷いながら答える。


「うーん、観覧車……は最後の締めかなぁ。定番のメリーゴーランドもいいし、あの空中を回転するやつも楽しそう。ああ、どうしよう、迷う」


「あはは、フリーパスなんだから、色々試して、気に入ったのは何回でも乗ったっていいんだよ」


「そっか、すごいねフリーパス!」


 白亜が「じゃあ、あれにしよう」と上空を指さした。そこには、青い空を背景にして、レールの上をゆっくりと進んでいく変形自転車があった。


 サイクルモノレールという名で、四メートルほどの高さの空中にレールが敷かれていて、自転車が二台横に連結したような乗り物に乗って二人でペダルを漕ぎ、レールの上を進んでいくというのんびりしたアトラクションだ。受付に向かうと、空いているのもあってすぐに乗ることができた。


「じゃあ、いくよ、せーの」


 楽しさを隠し切れないような笑顔をした白亜のかけ声に合わせ、同時にペダルを踏み込む。思ったよりもペダルは重く、僕らを乗せた自転車はゆっくりと前進した。


 キョロキョロとしながら白亜がはしゃぐ。


「わあ、進んだ、すごい! 遅い! 高い! 怖い! 楽しい!」


「形容詞のお祭りだね」


 記憶が消えないように、ハンドルを握る白亜の手に、自分の手を重ねた。はたから見たら、こんな時でもベタベタする痛いカップルのように映るだろうか。それでも構うものか。一度は死んだ最愛の人がこうして隣にいてくれているんだ。ベタベタして何が悪い。


 およそ一万平方メートル程度の、決して広くはない遊園地だけれど、それでもこうして高所から見渡すと色鮮やかなアトラクションがいくつも並んでいて、どれも楽しそうな雰囲気を敷地内に溢れさせている。人々が、「楽しむ」ために訪れる遊園地という場所は、人の世の痛みや陰りなど感じさせない。そこにいる誰もが笑顔で、楽しそうに、大切な人と同じ時を過ごしている。例えそれが作り物だとしても、まるで幸福の代名詞のような場所だな、と僕は思う。


 ペダルを漕ぎながら、隣の白亜の表情を伺った。彼女もまた、ここにいる他の人々と同じように、温かな笑顔を浮かべている。


 僕の視線に気付いたのか、白亜がこちらを向いた。目が合って、彼女が笑顔をより強くする。


「ふふ、楽しいね。ゆっくりなのがまたいいよね」


「そうだね。長い時間楽しみたくなる」


「空いてるから、まだ後ろの人もいなさそうだし、のんびり行こうね」


 空は青く広い。始まったばかりの夏の風は心地よく肌を撫でていく。大切な人が隣で微笑んでいる。ああ、それだけで、なんて幸福なんだろう。


「ねえ、蒼くん」


 静かな声が言う。


「ん?」


「私、こんなに幸せで、いいのかな。今も、世界は少しずつ、壊れていってるのに」


「いいんだよ。これまで沢山つらい思いをしてきたんだ。世界の終わりの時くらい、幸せでいようよ」


「うん……。この時間が、ずっと続けばいいのにな」


 白亜に触れている手を通して、世界の消滅の感覚が次々と伝わってくる。この遊園地でも、子供向けの百円で動くバッテリーカーが、一台消えた。平日で人は少ないから、一緒に消える子供がいなくてよかったと安堵する。きっと、この想い出の遊園地で、楽しんでいる子供が目の前で消えたら、もう立ち直れないくらいに白亜は自分を責めるだろうから。


 僕が触れていなければ、バグによる消滅の実感とその重さを、白亜一人で背負うことになる。だから、僕はこの手を放さない。その重さも痛みも、僕が一緒に背負う。


 やがて自転車はレールを一周し、アトラクションの乗り場に戻ってきた。自転車から降りてすぐに白亜と手を繋ぎ直した僕を見て、スタッフの女性がにっこりと微笑んだ。白亜は恥ずかしそうにしていたけれど、僕はただ幸せだった。


 その後、遊園地の定番であるメリーゴーランド、空中を回転する「スーパースイング」「わくわく飛行船」「ふわふわサイクリング」と続き、小規模だけれどしっかりとスピードを感じるジェットコースターの「ドラゴンコースター」で白亜は悲鳴を上げた。手を繋いで迷路を散策し、メルヘンな空気の「おどぎ列車」に乗って癒された。


 この特別な一日を記録に残したくて、スマホのインカメラで僕たち二人を撮影した。白亜ははじめ写真を嫌がっていたものの、想い出に残したいと僕が頼んだら応じてくれた。撮影した写真を確認すると、僕の隣で恥ずかしそうに笑顔を作る白亜が写っている。胸の中が温かくなる。この写真は宝物だ。


 まだ遊んでいないアトラクションはいくつか残っているけれど、少し疲れたので園内のベンチに座って休憩した。僕が自販機で買ったスポーツドリンクを飲んでいる時、隣に座る白亜が言った。


「蒼くんは、ショートケーキのイチゴは最初に食べる? 最後に取っておく?」


「うーん、あまり気にしたことないけど、先端から食べていくから、回答としては『途中で食べる』になるかな」


「そっか」


「どうしたの、急に」


「私は、楽しみは最後に取っておく方だから、イチゴは最後かな。といっても、家でショートケーキなんて出たことないから、想像なんだけど」


 白亜が父親からまともな扱いを受けていないのを知っている僕は、密やかに胸を痛めた。そして遊園地を出たらショートケーキを食べに行こうと決意する。


「私にとって、遊園地の観覧車が、ショートケーキのイチゴなんだ」


 彼女が言いたいことをようやく理解した。


「ああ、だから観覧車は最後に乗りたいってことね?」


「うん。でも今日はフリーパスだから、それってつまりイチゴ食べ放題みたいなものでしょ?」


 彼女の面白い例えに僕は笑ってしまう。白亜は続けた。


「だから、途中でも乗っちゃうか、迷ってるんだ。でもイチゴもきっと何個も食べてたら感動は薄れちゃうだろうし、飽きちゃうよね。だから、乗るタイミングが難しいなって……あ――」


 そんな会話をしている最中、白亜と繋いだ手を介して、また世界のピースが消える感覚が伝わった。しかしそれは遠いどこかの、僕らには直接は無関係な何かではなく――直前までこの遊園地のシンボルのように目の前でゆっくりと回っていた、観覧車だった。


「そんな……」


 愕然とした声で白亜が言う。


 正確な人数は数えていないが、観覧車には何人か人が乗っていたはずだ。全てのゴンドラも含めて観覧車が消失して、乗っていた人が落下してこないということは、乗客ごと巻き込んで消えたということだろう。身近で起きた大規模な消失に、否応なく心臓の鼓動が速くなっていく。


 周りの客も、遊園地のスタッフも、観覧車が乗客ごと一瞬にして消滅したことなど気付きもせず、何事もないかのように笑い合っている。当たり前だ、これがMOTHERの世界の仕組みだからだ。


 僕は、白亜の震える手を強く握り、なるべく落ち着いた声になるように意識して、言う。


「白亜、何度でも言うけど、これは君のせいじゃない。絶対に君のせいじゃない。遅かれ早かれみんな消える運命なんだよ。だから、気にしちゃいけない」


「……うん」


 うつむいていて表情は見えないが、白亜は小さくうなずいてくれた。


「観覧車はこの遊園地以外にもいっぱいあるよ。世界が全部消えるまで、まだ時間はあるはずだから、明日、別の遊園地に行こう」


「……うん」


「ショートケーキのイチゴは時間が経てば痛んで食べられなくなるけど、観覧車は腐らないし賞味期限もない。だから大丈夫」


「ふふっ、私、観覧車を食べるわけじゃないよ?」


 白亜が少しでも笑ってくれたことに、僕は心の底からほっとした。このまま気分を切り変えて、楽しいデートを継続したい。


「さあ、次はどれに乗ろうか? まだ行ってないのもあるし、同じやつに乗ったっていいんだよ」


「えっと……」


 なぜかもじもじと体をひねってから、白亜は遠慮がちに続ける。


「ちょっと、お花を摘んできてもいいかな?」


「え? 遊園地に摘んでいい花なんてあるかな?」


 僕は辺りを見渡したがそういったものは見当たらないし、園内のマップにも書いてなかったはずだ。


「うー、違うよ。……トイレに行きたいってこと」


「あ、ああ、そうか、ごめん。じゃあ、行こう」


 ベンチから立ち上がり、手を繋いだままトイレの前まで歩くと、白亜は不満げに僕を見上げた。


「手、離さないと、行けないんだけど?」


「でも、手を離すと……」


「試着の時も大丈夫だったでしょ? すぐ戻るから」


「……分かったよ」


 さすがにトイレの個室まで同行はできない。渋々手を離すと、白亜は少しだけ寂しそうな笑顔を見せて、女子トイレの中へ走って行った。


 一人取り残された僕は、微かな不安や焦燥を抱えたまま、遊園地の風景を眺める。


 白亜。MOTHER。世界の希死念慮が生んだバグ。バグによって消えた観覧車。


 うん、まだ分かる。覚えてる。忘れるな。忘れるな。


 楽しそうに走り回っていた小さな女の子が、何かにつまづいて転び、泣き出した。その子の両親が駆け寄って抱き上げる。


 白亜。白亜。……あれ。


 何か大事なことを考えていたような気がしたけど――忘れてしまった。


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