「どうして宮野がこんな時間にここに。学校はどうしたんだよ?」
駅前で偶然鉢合わせしたクラスメイトの宮野に、僕はそう言う。
宮野は、驚いたような表情のまま、僕の顔を見て、白亜と繋いだままの僕の手を見て、そしてまた視線を僕の顔に戻した。
「どうしたって……こっちのセリフっていうか……。中間テストだから早上がりだって、LINEも送ったのに、ずっと未読で……」
いつもの溌溂とした様子がない。どこか調子でも悪いのだろうか。
「ああ、ごめん。またスマホの電源入れてなかったみたいだ。というか、ちょっと声震えてないか? テストが難しかった?」
「ちょっと、蒼くん」
白亜が小声で僕の名を呼び、繋いでいる手を放した。
「蒼くんの……お友達?」
「ああ、いや、友達というか、ただの高校のクラスメイトだよ」
僕の言葉を聞いた宮野は、呆然とした表情で「ただの……」と小さく呟いた後、急に笑顔になった。でもどこか無理をしているような、不自然な笑顔だ。
「なんで中間テストを無断欠席してるのかとか、スマホの件とかはいったん置いといて……そう、ただのクラスメイトの、宮野咲良です。えーっと、そっちの女の子は、如月くんの妹さん? それとも、親戚の子とか?」
「あ、私は、ただの、幼馴染というか――」
「僕の彼女だよ」
白亜の声に重ねるように、僕は言った。事実なのだから、遠慮も躊躇もすることはない。
なぜか宮野はよろけるように一歩後ずさった。
「か、カノジョ……。カノジョというのは、人称代名詞のシーじゃなくて、恋人って意味の……?」
「そうだけど。どうしたんだよさっきから」
「そ、そっかぁ。如月くん、恋人さん、いたんだね。へええ、それはそれは……」
不自然な笑顔を張り付けたまま、宮野は一度目元を手で覆って、深呼吸をした。その手を下ろすと、今度はこちらに歩み寄って、白亜の前に立つ。
「あの、如月くんのカノジョさん!」
「あ、は、はい」
人見知りな白亜は突然の宮野の接近に驚き、身構えるように両手を胸の前にやった。
「カノジョさんにこんなこと言うの失礼かもって思うんですが……如月くん、ちょっとフワっとしてて、危なっかしいところあるので、よく見てあげててください!」
「はい」
「この前なんてお弁当忘れちゃった日があって、しょうがなくあたしのを半分分けてあげたこともあったんですから」
「そ、そうだったんですね」
「あと、定期試験の日くらいは学校に来ないと留年の可能性も出てきちゃうので、その辺よく言って聞かせてあげてください。高校留年しちゃうと、その後の人生にも色々響いちゃうと思うんで」
「……はい」
「あと、絡んでくる男子のあしらい方も教えてあげてください。如月くんってば、すぐつっけんどんな態度を取って目を付けられちゃうので、もっと上手い立ち回りができるようになった方がいいと思うんですよ」
「はい」
「あと……あと……」
笑顔を続けていた宮野の口元が震え、その頬を透明な雫が伝った。それを隠すように両腕で顔を覆って、宮野は言う。
「あの……末永く、お幸せに!」
そして僕らとは反対方向に駆け出して行った。その姿はすぐに人混みに紛れて見えなくなる。
「……なんだったんだ、あいつ」
そう言った僕を、白亜はどこか不満げな表情で見上げる。
「蒼くんって、鈍感なんだね」
「え?」
「ミヤノさん、だっけ。あの子、すごく、いい子だね」
「まあ、生徒会の副会長もやってるみたいだし、基本的に人の世話を焼くのが好きなんだろうな」
「やっぱり、鈍感」
そう言う白亜の顔は、先ほどよりもさらに不満げだ。
「えっと……どういうこと?」
「ううん。なんでもないよ。行こっか」
改札の方に歩き出した白亜を、僕は慌てて追って、その手を掴んだ。
二人分の切符を買い、電車に乗る。シートに座る白亜は静かで、声をかけていいものか迷ってしまう。これまで楽しく良い雰囲気でやれていたのに、宮野のせいで変な空気になってしまった。
「……あの、白亜」
「うん」
「何か、怒ってる?」
「怒ってないよ。ただ、色々考えてるだけ」
「そうか」
彼女の落ち着いた声の感じから、本当に怒ってはいないようで、少しほっとする。でも、色々考えてるとは、どういうことだろうか。何を考えているのだろう。
電車は僕らを乗せて目的地へ向かっている。その間にも、バグの影響で様々なものが消えていく。これまでデートの空気を悪くしないようにか、なるべく気にしないようにしていたであろう白亜も、通路を挟んで向かいのシートに座っていたお爺さんが消えた時は、悲しげな顔でうつむいた。
僕は繋いでいる彼女の手を強く握り、言う。
「大丈夫だよ。さっきのお爺さんも、MOTHERの世界で動いてるただのAIなんだろ?」
周りの乗客は、目の前で人が一人消えたことに驚くこともなければ、気付いてすらもいない。なぜなら、MOTHERが運営している仮想世界の中の、
でも、白亜は、顔を上げてくれない。
「うん……。でも、それって、人間とどう違うんだろう」
「え?」
「実体のない、データの世界の中のAIなんだとしても、蒼くんだって、私だって、ミヤノさんだって、自分で考えて、息をして、生きてるよ。それって、本当の世界で生きている人間と、どう違うの?」
「それは……」
答えられない。僕だって、以前ハクアからMOTHERの世界について教えられた時、自分がAIなんだと聞かされても到底信じられなかった。この体には、心があって、感情があって、記憶もある。傷付けば血が流れるし、お腹もすくし、つらいことも幸福なことも覚えている。それは僕だけじゃなく、さっき消えたお爺さんだって同じなのだろう。それって、人間とどう違うんだ。
でも、バグのせいで消えていく存在が、人間ではないと思わなければ――データだけの存在だと思わなければ――
白亜の痛みは、どうすればいい。
幼馴染の優しい女の子たった一人に背負わされる世界の歪みは、どうしてあげればいいんだ。教えてくれよ、MOTHER。
白亜は小さな声で言葉を続ける。
「さっきのお爺さんも、家族や、友達がいて、お孫さんとかもいるかもしれなくて、もしかしたら今からその人たちに会いに行くところだったのかもしれない。でも、その人たちは、お爺さんのことをもう知らないし、思い出しもしない。優しい記憶も、歩んできた歴史も、一瞬で、全部消えちゃった。それって、人を殺すよりも、よっぽど残酷なことなんじゃないかって」
「……白亜が責任を感じることはないよ。君が望んでやってることじゃないんだ。世界の消滅は、世界が選んだことなんだ。そこに住む人間全員の行動が引き起こした結末だよ。だから、絶対に、君一人のせいじゃない」
「……うん、ありがとう」
やがて僕らの乗った電車は目的の駅に辿り着き、手を繋いだままホームに降りた。
駅名を見た白亜が、何かに気付いたように言った。
「あ、この駅」
「うん」
「懐かしいな」
これから行く場所に、白亜も気付いたのだろう。彼女の表情が優しいものになり、ほっとする。
目的地まで、徒歩二十分ほど。白亜の小さく温かな手を握り、ゆっくり歩いた。以前来た時の思い出話をして、二人で笑う。
「あの時は、すっごく幸せだったな」
「僕がお金持ってなかったから、アトラクションに一つも乗れなかったけどね」
「ふふ、だから良い想い出になってるんじゃん」
「今日はあの日のリベンジだ。もう全部乗り尽くそう」
「蒼くん、やる気だね」
住宅街を抜けると駐車場が見える。平日なのもあり車はほとんど停まっていない。その横をさらに歩くと、やっと入り口が見えてくる。ゲートには、四年半前と変わらず、ポップなカラーの看板で「もりの遊園地」と書かれている。
「さあ、到着だ」
「わあ、やっぱりここに来るとドキドキしちゃうな」
白亜が表情を輝かせる。君が嬉しいと、僕も嬉しい。
世界の終わりも、絶望が生み出したバグも、全部忘れて、今は遊ぼう。