僕たちはまず駅前の繁華街に行き、ショッピングモールの服屋でお互いの服を選び合った。せっかくのデートならオシャレしたい、という白亜の提案から話し合ってこうなったのだ。
白亜が僕に選んだのは、細身のジーンズにシンプルな白いTシャツ、それに黒い半袖カーディガンだった。試着室から出た僕と指先を触れ合わせてから、白亜が言う。
「うん、爽やかでかっこいいよ。蒼くんには黒が似合うと思ってたんだよね」
「あ、ありがとう、照れるね。でもなんか、普段とそんなに変わらないような」
「まあ、確かに……」
僕は白亜に、夏の海辺を思わせる、白地に青いラインの入ったワンピースを選んだ。試着室から出た彼女の姿を見て、やはり間違いないと確信する。白亜には白のワンピースがとても似合う。
「……すごくいい」
「うへえ、想像以上に照れるね、これ。でも、似たような服、私持ってたような?」
「うん、確かに……」
白亜は恥ずかしそうに試着室のカーテンで顔を半分隠して言う。
「結局、いつも通りのお互いが好き……ってことでいいのかな?」
「そういうことだね」と、僕は力強くうなずく。
「うう、遠慮しない蒼くんは強いなぁ」
そう言って照れる白亜が、とても愛しく感じた。
二人ともこのまま着ていくことを店員に伝え、会計してもらう。店を出たところで白亜が僕の手を取りながら言った。
「蒼くん、試着してる間手を繋いでなかったけど、混乱しなかったね」
「ああ、確かに」
思い返してみると、僕が試着している間も、白亜の試着を待っている時も、接触はなかったはずだけど、「今白亜とデートしている」という意識が消えることはなかった。
「白亜と一緒にいる時間が長くなってきたから、それがデフォルトの記憶になったのかな。今思えば、君が今の君になる前――カタカナのハクアの時も、MOTHERのことやこのシミュレーション世界の真相についての知識は忘れても、ハクア自身のことは忘れてなかったから」
「ふうん?」
でも、接触していない時間が長くなれば、また白亜のことも忘れてしまうかもしれない。それは気を付けた方がよさそうだ。
「……そういえば、カタカナのハクアの時、白亜である君の意識は、あったの?」
「うーん、よく分からないや。ずっと曖昧な夢を見てるような、深くて暗い海の底にいるような、そんな感じだった気がする」
その回答に、僕は少しだけ安堵した。ハクアのバグの力を使って人間を消して回ったことを、白亜には知られたくないと思ったから。
表情が硬くなってしまっていたのか、白亜が気分を変えるように僕の手を強く握った。
「さあ、オシャレもしたし、次はどこに行く?」
「あ、ああ、そうだね、次は映画を観よう。実はちょっと気になってた映画があって……」
幸せな恋人のように、僕たちは手を繋いだまま歩きだした。こうしている間にもバグは様々な物や人を消していく。サイダーの泡が弾けるように、脳内でパチパチと世界のパーツが消えていくのを、繋いだ手を通して感じる。
当然白亜も僕と同じように、いや、僕よりももっと鮮明に、詳細に、それを感じ取っているのだろう。自分の存在のせいで世界が消えていく、きっとそのことに、優しい白亜は胸を痛めているのだろう。それでも今、君はこうして楽しそうな表情で、僕の隣を歩いてくれている。
それなら、今日だけでも、今だけでも、普通の恋人のように、幸せに過ごそう。
映画館で二人分のチケットを買い、ポップコーンとソフトドリンクを持って、シートに座る。ひじ掛けの上で、どちらからともなく自然に手を繋いだ。平日だからか、僕らの他に客はほとんどいない。
「私、映画館で映画観るの初めてだから、ドキドキしてるよ。ポップコーンのカップってこんなに大きいんだねえ」
物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回していた白亜がそう言った。
「僕も初めてだ」
「あ、そうなんだ? チケット買う時とかもなんか慣れてるように見えたから、常連なのかと」
「緊張や戸惑いを必死に隠してるんだよ。せっかくのデートだから、カッコイイ彼氏でいたいと思って」
白亜は手で口元を隠して「ふふふ」と笑った。
「それ、言っちゃったら意味なくない? でも、高校生ならみんな映画館くらい平気で行ってるのかと思ったよ」
「他の人のことは知らないけど、僕は、君がいなくなってから、生きる気力を失ってたから。娯楽どころじゃなかったんだ」
「あ……」
白亜が表情を硬くしてうつむいた。言ってしまったことを後悔したけれど、ずっと伝えたいことでもあった。どうしてそんな終わり方を選んでしまったんだと、怒りたいことだった。
「あの時君が、深く傷ついていたのは分かる。何もかもに追い詰められて絶望していたのも分かるよ。でも、なんの相談もなく僕を置いていったのは、最悪だ」
「うん……ごめんなさい」
「もう、勝手にいなくなるのは、許さないからな?」
「……うん」
彼女が離れていってしまわないように、強くその手を握った。
「分かってくれたなら、この話は終わり。こうして帰ってきてくれたんだから、MOTHERにも、君にも、すごく感謝してるんだ。あ、ほら、そろそろ始まるよ」
「う、うん!」
照明が落とされ、上映時の注意事項が映し出された。ちらりと白亜の横顔を伺うと、初めての映画館に緊張気味な表情で、真剣に注意事項を聞いている。隣に白亜がいるという事実に、改めて胸が熱くなった。
映画は、ライオンが主人公の有名な映画の、過去の世界の話だった。幼い頃にテレビで元の映画を観て好きだったから気になっていた。白亜は、笑うシーンでは声を抑えて笑い、緊迫したシーンでは表情を引き締めて僕の手を強く握り、感動のシーンでは静かに涙を流す、という映画の製作者からしたら理想的な観客だった。要するに僕は、映画よりも白亜の方ばかり見ていたということだ。
物語は無事にエンディングを迎え、スタッフロールが流れる中、バグの影響でスクリーンが消滅した。あ、と白亜が小さな声を漏らす。スタッフロールは、スクリーンが消えた後の壁面に投影されている。壁面が綺麗なので、スクリーンには劣るが、問題なく文字も視認できる。
きっと僕たち以外の観客は、スクリーンが消えたことにも気付かず、初めからこういうものだという認識で映像を観ているんだろう。この部屋だけスクリーンがないことを、映画館の運営側はどう考えるのか気になったけれど、僕がそれを考えても仕方ない。
世界の消失は、僕のせいじゃないし、白亜のせいでも、MOTHERのせいでもない。誰のせいでもないんだ。
上映が終わった後、白亜が興奮気味に言った。
「映画、すっごくよかった! 私感動して何度か泣いちゃったよ」
「うん、泣いてたね」
「やっぱり大きいスクリーンで観ると迫力が違うね。スクリーン、消えちゃったけど……」
「気にしない、気にしない」
映画の後は、ランチだ。ファストフード店に入り、ハンバーガーのセットを頼んだ。食べた後、映画館で買ったパンフレットを目を輝かせて宝物のように見つめる白亜と、感想を言い合った。
オシャレして、映画を観て、ファストフード店のハンバーガーでランチして、映画の感想を交換する。まるで理想的な「普通の恋人」みたいだ。白亜とこんな幸福な時間を過ごせるなんて、夢を見ているようだ。
白亜も満足げにため息を吐いて、夢見心地な表情で言う。
「映画は素敵だったし、ハンバーガーも美味しかったし、私、こんなに幸せでいいのかな」
「いいんだよ。これまで得られなかった幸せを、これから僕が全部あげるから」
照れたようにはにかんで微笑む白亜が、今幸せを感じてくれているのなら、それが僕にとっても最上の幸福なんだ。
「じゃあ、次はどこに連れて行ってくれるの?」
「次は今日のメインイベントだよ。まずは電車に乗るために駅に行こう」
ファストフード店を出て、手を繋いで歩く。
駅の改札が見えてきたところで、聞き慣れた声に名前を呼ばれた。
「あれ? 如月くん?」
声の方を向く。僕の名を呼んだその人は、高校でのクラスメイト、世話焼きの生徒会副会長、宮野だった。