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episode = 24; // 想い出の遊園地


 懐かしい夢を見た。


 それは小学校を卒業して、中学生になる直前の、曖昧で何者でもない春休みの記憶。五年ほどが経ち所々がセピアに色付きつつある、それでも大切で、温かく、幸福な、想い出。


 僕らの住む町から、電車を二本乗り継いで一時間半ほど行ったところに、小さなテーマパークがある。子供向けの遊園地で、敷地はそれほど広くはないけれど、メリーゴーランドや観覧車、小さなジェットコースターに、サイクルモノレールと、一通りのアトラクションは揃っていた。入園料は無料で、アトラクションごとに料金を払いチケットを購入するか、フリーパスを買うことで一日乗り放題になるような仕組みだった。


 僕は幼い頃に父親に連れられて行ったことがあった。さすがにその時の記憶はほとんどないけれど、普段どこかに子供を連れていくようなことをしない父親だったから、その日は特別で、はしゃいでいたのはよく覚えている。



 小学校の卒業式の日、体育館での式が終わり生徒が教室に戻ると、学区が分かれて友達と離れ離れになることや担任教師との別れを惜しんで泣き出す子も何人かいた。いくつかの女子グループでは卒業記念に旅行やお出かけをする約束をしていたようで、楽しそうにその計画を話し合っている。


 人見知りで引っ込み思案なうえ、いつも僕と一緒に行動していた白亜は同性の友達をうまく作れなかったようで、卒業後のお出かけについて語る彼女たちを、羨ましそうな目で眺めていた。


 学校を出た後、いつものように二人で家への道を歩き、僕の家よりも先に辿り着く白亜の家の前で、僕らはお別れを言うために立ち止まった。


 先に口を開いたのは、白亜だった。


「来月は、私たち、中学生になるんだね」


「うん、そうだね」


「クラスでは、学区が分かれて泣いてる子もいたけど、私は蒼くんと中学も一緒で良かったよ」


「まあ、家が近所だし……」


 白亜は胸の前で自分の指をもじもじといじりながら続けた。


「春休みに卒業旅行に行く子もいるみたいだったね。ディズニーランドとか言ってた。家がお金持ちなのかな、いいなぁ」


「やっぱり白亜も、そういうの、行きたいの?」


「うーん……。憧れは、あるかな。でも、うちは、お父さんがそういうの、許してくれないだろうし、お金も出してくれないだろうし……」


 白亜が父親からお小遣いをもらっていないのを知っている僕は、少し胸が苦しくなった。白亜がしたいことは叶えてあげたい。でも僕だってお金が沢山あるわけじゃない。ディズニーランドなんて、小学生でも五千円くらいすると聞いたことがある。それに、そこに行くまでだって電車代がかかるし、入園料以外にもご飯を食べるお金だって必要だ。それらが夢物語としか思えない、無力な子供である自分が、とても歯痒かった。


 その時、僕は思い出した。幼い頃に父親に連れられて行った、小さくて素朴な遊園地のことを。気付くと僕は、白亜の手を取り両手で握っていた。白亜は驚いて僕を見る。


「行こう、僕たち二人で。ディズニーランドは無理でも、僕が素敵な場所に連れてってあげるよ」


「え……」



「明日の朝八時にまた来るから、出かける用意をしてここで待ってて!」


 そう言うなり僕は駆け出した。家に帰ってから本棚の地図と路線図を取り出して、そこにいくための電車の経路と、駅を出てからの道順を頭に叩き込んだ。二人分の電車賃を計算し、遊園地のアトラクションチケットの分も含めて、貯めていたお小遣いで足りることも確認した。


 その日の夜は、緊張でなかなか寝付けなかった。


     *


 翌朝、約束通り白亜は家の前で待っていた。


「おはよう、蒼くん」


「お、おはよう」


「ふふ、どこに連れて行ってくれるの?」


 行けば分かるよ、とそっけなく言って、僕は歩き出す。いつもよりもほんの少しお洒落をしているように見える白亜がかわいくて、直視できなかった。


 最寄り駅で二人分の切符を買い、電車に乗る。子供だけで電車に乗るのは初めてのことで、僕はずっと緊張して、路線図を映した案内表示の画面ばかり見つめていた。いや、緊張の理由はそれだけじゃなくて、その原因であるポケットの中の指輪の存在を、指先で何度も確かめていた。


 カッコよく遊園地をエスコートして、そして、夏祭りで買ったまま渡せずにいるこの指輪を、今日こそ白亜にあげよう。そう思っていた。


「蒼くん、本当に私、お金出さなくていいの?」


「何度も言ってるだろ。出せないものはしょうがないんだから、今日は気にしないでいろって」


「うん……ありがとう」


 一度電車を乗り換えて、目的の駅に到着した。そこから二十分ほど歩く。はぐれないように白亜の手を握るのはいつものことだけど、今日は彼女の手の小ささや柔らかさが、何だか特別なもののように思えた。


 そして――


「ほら、着いたよ」


「わあ!」


 白亜が嬉しそうな歓声を上げる。


 敷地の入り口にはゲートがあり、「もりの遊園地」とポップな書体の看板がかけられている。奥にはカラフルな観覧車も見えた。


「すごい、こんなところに遊園地があったなんて!」


「ここは入園無料なんだよ。ほら、行こう」


「うん!」


 よほど楽しいのか、スキップでもしそうな勢いの白亜を連れ、チケット売り場の前に立った。チケットは、フリーパスが二千五百円、十一回の回数券が千円で、単券が百円。乗り物によって値段は違って、三百円から六百円まである。今財布の中には六百円ほどがあるから、二人でどれか一つはアトラクションに乗れるはず……


「……あ!」


 そこであることに思い至った僕は、生まれて初めて「血の気が引いていく」という言葉の意味を身をもって思い知った。


「蒼くん、どうしたの……?」


 心配そうに僕を見る白亜。カッコよく遊園地をエスコートして――なんて考えていた自分が猛烈に恥ずかしくなった。でも隠していてもしょうがないので、素直に白状する。


「……ごめん。帰りの電車代を残しておくと、アトラクションに乗るお金がないや」


 父親に頼み込んで、来月のお小遣いを前借りしておくべきだったと心の底から後悔した。


 白亜は、僕の言葉の意味を考えるようにしばらく呆然とした後、我慢できなくなったように噴き出して、そして大声で笑いだした。


「わ、笑うなよぉ」


「あははは……ごめん、でも、おかしくって……あははは!」


 それは大人しい彼女が普段なかなか見せないような、照れや遠慮もない笑い声だった。


「うう……」


「いいじゃん、色んなアトラクションがあって、ここにいる人みんな幸せそうで、見てるだけでも、私、楽しいよ?」


 いつもは僕が彼女の手を引いて歩くけれど、この日は逆で、白亜が僕の手を引いて、遊園地の敷地を隅から隅まで練り歩いた。一つ一つのアトラクションの前に立ち止まり、開始から終了までの乗り物の動きや、それに乗る人たちを眺める。こんなことで楽しいのだろうかと思ったけれど、白亜は終始嬉しそうにニコニコとしていた。


 一通りのアトラクションを見た後、敷地内のベンチに二人で座る。僕たちの頭上を、サイクルモノレールに乗ったカップルが二人でペダルを漕ぎながら通り過ぎていった。春の透き通った青空の下で、白亜が満足げに微笑んで言う。


「ああ、楽しいなぁ」


「ホントに? 一つも乗れなくて、見てるだけなのに?」


「うん、すっごく楽しいし、幸せだよ。夢を見てるみたい。あのアトラクションは乗ったらどんな感じなのかな、とか、観覧車から見える景色はどうだろう、とか、私こういうところ来るの初めてだから、もう想像だけでこの先もずっと楽しめるよ。蒼くん、連れてきてくれてありがとう」


「まあ、白亜がいいんなら、いいけど……」


 白亜は一度僕に笑顔を見せ、そして少し寂しそうな表情になって、遠くを見つめた。


「私たぶん、この日のこと、ずっと忘れないと思う。死ぬまで忘れないし、死んでも忘れないよ」


「自分のミスが恥ずかしいから忘れていいよ……。僕がもっとお金を使えるようになったらまた来て、その時は色々乗ろう」


「うん、ありがとう。でも、それでも、今日のこの日は、すっごく特別だよ」


 どこか未来への憂いも帯びたような彼女の微笑みがとても綺麗で、僕はその横顔を、黙って見つめることしかできなかった。


 その日は、空腹や喉の渇きを園内の水道で誤魔化しつつ、夕方五時の閉園時間ギリギリまで一円も使うことなく居座った。帰りの電車でも白亜は終始ご機嫌で、そのことは僕の心も温めてくれた。



 この日僕が何気なく言った「もっとお金を使えるようになったらまた来て、その時は色々乗ろう」という約束は、結局その後果たされることはなかったし、白亜が死んだことで、永遠に果たされない約束となった。


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