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episode = 13; // この下らない世界に復讐を


 朝、布団の中で目覚めると、すぐ隣にハクアが正座していた。


「あれ、ハクア、おはよう。今日は早いんだね……。どうしてそんなところにいるの」


「ソウ、びっくりしないように、心の準備をして」


「え、なに?」


 ハクアはゆっくりと右手を伸ばし、指先で僕の額に触れた。その瞬間、電撃が走るように、脳内でいくつもの記憶が広がった。


「ああ、そうか……。ありがとう、ちゃんとお願いした通りにやってくれて」


「うん」


 ハクアと身体的接触がある状態なら、彼女が世界を少しずつ壊していく「バグ」であることや、それを作り出したMOTHERのことを認識していられる。でも離れてしまえば、すぐにそのことを忘れてしまう。


 起きている間であれば、手を繋いでいることは簡単だ。でも眠る時にはそうはいかない。二人の手が離れないようにロープなどで縛って就寝することも考えたけれど、そんな状態じゃ眠れないだろうし、寝ている間は認識を失っても問題ないと判断した。


 だから昨夜、ハクアにはこうお願いした。


「僕が起きたら、すぐに僕の体のどこかに触れてほしい。そうすれば、この世界のことや、君のことを、思い出せるから」


「わかった」と、いつものそっけない声でハクアは返事してくれた。


 何を考えているか分かりにくいけれど、お願いしたことは律儀にやってくれる。だからこの目覚ましタッチを実現することができた。


 ハクアに触れながら布団から出て、自分の中の記憶を整理する。


 昨日、ハクアが持つバグの効力を実験した。その結果を改めて頭の中で整理する。



・ハクアが直接視認できるものは、意識すれば狙って消すことができる。


・消失の対象は、空に浮かぶ雲など、かなりの距離が離れていても、大きさがあっても、消すことができる。


・僕もハクアと身体的接触(手を繋ぐ等)があれば消失を認識できる。触れていない状態では認識できない。


・テレビ等の媒体を介してのハクアの視認は、消失対象にできない。


・視認によるターゲットをしていなくとも、バグの暴走により日々何かが消えている。


・消したものは「初めからなかったこと」になり、それにより大きな矛盾が生じる場合は代替物が出現する(担任教師が消えた場合、別の人が担任になる、等)。


・ハクアと触れている間にバグやMOTHERのことを紙に書き記し、その後に手を離すと、記憶は消えるが文字は消えない。つまり、ハクアと触れている間だけ知ることができる世界の真相の知識を外部に記録することはできる(読んで記憶を取り戻せるわけではないことに注意)。



 よし、ちゃんと覚えている。


 僕はハクアに向けて言う。


「ハクア、僕は今日、また学校に行く。だから、悪いけどまた夕方まで部屋で待っていてほしい」


「うん」


「帰ったら、まず僕の手に触れてほしい。そうしたらまた色々思い出せるから。夜になったら、また散歩に出よう」


「わかった」


 と、ハクアは僕の目を見て小さくうなずいた。


 この世界が、MOTHERという巨大システムによって運営されている無数の仮想現実の一つに過ぎないと知ってしまった以上、真面目に学校に通うということに対して、これまで以上の疑問を感じる。


 けれど、既に数日連続で無断欠席し、昨日担任から釘を刺されたばかりだ。今日も欠席して、本当に家まで訪ねてこられたら面倒だ。そこに宮野もついてきたら、うるさいことになるのは目に見えている。最悪の場合、家に上がり込んで、部屋に匿っているハクアを発見されてしまう可能性もある。彼女ならやりかねない。


 僕は、この下らない世界に復讐をすると決めた。


 僕から白亜を奪った世界だ。今度は僕が、ハクアの力を使って、好きなように世界を壊してやる。


 けれどそれは、一朝一夕でできるようなものではない。


 ハクアがターゲットしたものを消す力は、この目で確かめた。でも、どれくらい連続して消せるのか、であったり、ハクアへの負荷についてはまだ分からない。僕はこの世界が嫌いだけれど、ハクアを苦しめるのは本意ではない。


 焦らず、日常に溶け込みつつ、ハクアの力の調査を進めながら、少しずつ世界を崩壊させていく。


 そのためには、変に目立たない方がいい。



 二人で朝食を済ませ、昼食の準備もして、ハクアのためにテレビを点けてから、僕は学校に向かった。


 教室はいつも通りの騒がしさで、先に席についていた宮野が僕を見てニマリと笑った。


「おはよー如月くん」


「おはよう。なに、その悪いことを企んでるような笑顔は」


「ええ? そんな風に見えた? 朝から女子の爽やかな微笑みを向けられて、幸せに思ってほしいものだけどな」


 バッグを机にかけ、椅子に座りながら僕は言う。


「……幸せなんて、そんな簡単には手に入らないよ」


「むう。それは考え方次第だと思うけどな。例えば朝起きてカーテン開けて、空が綺麗だなーって時とか、あたしは幸せを感じられるよ」


「へえ」


「登校中に綺麗な花を見つけた時とか、涼しい風が気持ちいいとか、今日は金曜日で明日はお休みだ! とか」


「安い幸福だね」


「隣の席の不愛想な男子が、今日も学校に来てくれたこととかね」


「ふうん」


 バッグから文庫本を出して読み始めた僕に、宮野は頬を膨らませた顔を近付ける。


「ちょっとちょっと、女の子との会話中に本を読みだすとか、信じられないんですけど?」


「じゃあ信じなくていいよ」


「またすぐそうやって会話を終わらせようとするー。せっかく昨日のお礼に何してもらおうか決めてきたのになー」


 昨日……。ああ、そうか。勝手に職員室までついてきて、僕の連続無断欠席に物語めいた理由をでっちあげて担任を丸め込んでいた。それと、昼食を用意していなかった僕に彼女の弁当を半分分けてくれた件だ。


「嫌な予感しかしないんだけど」


「キミにとってもいい話だと思うよ? ときに如月くん、明日の土曜日はあいてるかな?」


 一応頭の中で予定を思い浮かべてみるが、何もなかったはずだ。ハクアと何か約束をしたような気がするけれど、彼女を日中に外に連れ出せないから、何かするとしても夜だろう。


「……あいてないね」


「いや今の間は絶対ウソでしょ! どうせ家で一日中本読んでるとかじゃないの? そんな寂しい如月くんには、あたしのお買い物に付き合ってもらおうと思ってね」


「貴重な休日に荷物持ちってこと? 担任の説得とミニ弁当の代償が重すぎるんだけど」


「えっ、本気で言ってるの? かわいい女子とデートだーってドキドキするところでしょ!」


「自己肯定が高くて羨ましいよ。……まあ、分かった。お礼はしようと思ってたから」


「やったぁ! じゃあ詳細決めてまた後で話すね」


 そこでちょうどチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。隣に聞こえないように、僕は小さくため息を吐く。



 放課後、帰宅のために校門を通ると、突然足を引っかけられて転ばされた。仰向けになった僕の背中に袴田が座ってくる。


「如月ぃ、ちょっと遊ぼうぜぇ」


 周りには袴田の取り巻きがいて、皆一様にニヤニヤと笑っている。


「……遊び相手がほしいんなら、近くの公園に行けば小学生とかいるんじゃない。仲間に入れてもらいなよ」


「ふん、相変わらずナマイキなやつだな。でも今日は用があるのはオレじゃねえんだわ」


「どういうこと?」


「まあ行けば分かるさ」


 そう言って袴田たちは僕を囲い、ひとけのない路地裏に連れ込んだ。袴田に指示された取り巻きが、僕を後ろから羽交い絞めにした。


「おい、連れてきたぞ、生徒会長」


 暗がりに向けて袴田が言うと、そこから眼鏡をかけた細身で長身の男が現れる。


「校外でその呼び方をするなと言っただろう。……お前が二年の如月蒼か」


 眼鏡の奥の冷たい目が、僕を見る。全校集会などでも見覚えがある、確か那須川なすかわという名の生徒会長だ。


「そうですが、こんなところで僕に何か用ですか、那須川生徒会長」


 皮肉を込めて言った直後、腹部に強烈な衝撃と痛みが走った。那須川に殴られた。


「校外でそう呼ぶなと言ったばかりだろうが。これだから馬鹿の相手は疲れる。まあいい。お前、宮野副会長との関係について話せ」


 ああ、そういうことか、と僕は嘆息する。下らない。本当に馬鹿馬鹿しい。


「別に、ただのクラスメイトですよ。生徒会長が嫉妬なさるような間柄ではありません」


 再度腹を殴られた。


「訊かれたことにだけ答えればいいんだよ、バカが!」


 さらに何度も腹部を殴打される。胃液が口から溢れ、地面に落ちた。うわ、きたねえ、と袴田が笑う。


「俺がどうとかではなく、副会長がお前のような低俗な男と関係を持つのは生徒会の沽券に関わる。今後、宮野との不必要な接触を慎みたまえ」


 那須川は袴田たちに「後は好きにしろ。痛めつけるなら服で隠れる場所にしておけ」と言いつけて、歩き去って行った。


 その後、袴田たちが疲れ、飽きるまで、僕は蹴られ続けた。


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