午前の授業が終わり、昼休みが始まるとすぐに担任に呼び出され、無断欠席を続けていた理由を問われた。
三年前に死んだ幼馴染とそっくりな女の子を廃屋で見つけ、連れ帰って自分の部屋で同棲している――なんてことは言えるはずもないし、言うつもりもない。何かうまい言い訳でも考えておけばよかったと思ったけれど、なぜか同行してきた宮野が感情のこもった力説をして、結果として僕は「生き別れの双子の妹と運命的な再会を果たして、ネグレクト気味な親から妹を守るために命がけの逃避行をしていた」……ということになっていた。
涙ぐむのを隠すようにうつむいた担任が、低い声で言う。
「……事情は分かった。がんばったな、如月……。今度からは、先生にも相談しなさい」
「……はい」
「ただ、欠席日数をごまかしてやることはできんから、これ以上無断で休まないようにな。そのせいで留年でもしたら、妹さんも悲しむだろう」
「気を付けます」
宮野と二人で頭を下げ、職員室を出る。廊下を歩きながら宮野が言った。
「いやあ、島田先生、性格悪いって思ってたけど、話してみると意外と熱い心を持ってるんだねえ。人の一面だけ見て決めつけるのはよくない。うん、勉強になったな」
「なんで宮野がついてきたんだよ」
「このタイミングで職員室に呼び出されるなんて、無断欠席を咎められるんだろうなって思って。如月くんは言い訳とかヘタそう、というか理解してもらう努力もしなさそうだから、あたしが一肌脱いでやろうってね。あたしの迫真の演技、どうだった? 演劇部でもやっていけるかもなー」
小さくため息をついて、僕は答える。
「生徒会副会長が教師に嘘をついていいの?」
「人間なんてみーんな何かしら嘘ついて生きてるのさ。さっきの島田先生だって、教え子のお母さんとイケない関係になってるみたいだし。それに比べたらJKの嘘なんてかわいいもんでしょ」
さらっととんでもない話をされた。その事実を、彼女なら、いざという時に担任に突き付ける切り札の一つとして懐に隠し持っていてもおかしくない。
「まったく、恐ろしいクラスメイトだ」
「頼もしいって言ってよね。でも、あたしがいてよかったでしょ?」
「……まあ、助かったよ」
僕の言葉に、宮野は嬉しそうに笑った。
「ふっふっふーん、お礼に何してもらおうかなー」
「え、お礼を要求するの……?」
「まあ取り合えず、教室戻ってお昼食べよ。如月くんのせいで遅くなっちゃったよ」
騒がしい教室に入り、二人で席に着く。宮野は上機嫌に鼻歌を歌いながら鞄から弁当の包みを出した。
僕も鞄に手を入れ、今朝作って入れてきたサンドイッチを――あれ、僕は今朝、何か作ったんだっけ? いや、そんな記憶はない。
鞄の中には教科書やノートや筆記用具入れしか入っていない。そうか、久しぶりの登校だからか、うっかりして昼食を用意していなかった。
僕の手元を覗き込んで、隣の宮野が言った。
「なに、如月くん、お昼用意してないの?」
「そうみたいだ。しまったな」
「この時間だと購買もほとんど残ってないだろうねぇ。しかたない、あたしのを半分分けてあげるよ」
そう言って彼女は、自分の弁当の中身をフタの上に分け始めた。さすがにそれは申し訳ない。
「いや、いいよ。お昼くらい食べなくても」
「高校生の基礎代謝を舐めちゃダメだよ? お昼抜くと午後の授業でお腹が鳴って鳴って、それはもう恥ずかしい目に遭うんだから」
「まるで実体験みたいに言うね」
「そう、一年の時にね。あたしの人生最大の汚点だよ。今でも夜中に急に思い出して悶えるもん」
「そりゃ、かわいらしい汚点だ」
「え、かわいいって言った?」
「言ってないよ……」
そんなやりとりをしている間に、宮野は弁当箱のフタの上にミニ弁当を完成させ、僕の机の上に置いた。
「ほら、ちっちゃくてかわいい! 如月くん細いから、放課後くらいまではこれで持つでしょ。箸はあたしが使ってるから貸せないけど、フォーク貸してあげるからこれでうまく食べてね」
「いや、だから……」
「遠慮しなーい。据え膳食わぬは男の恥って言うじゃない」
「それ、違う意味だと思うんだけど」
とはいえ、目の前に置かれた唐揚げやミニハンバーグなどの美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり、空っぽの胃の底が悲しげな音を立てた。
「……じゃあ、ありがたく、頂きます」
昼休みも残り少なくなっていたので、二人で掻きこむように食事をした。
ミニ弁当を食べ終わった僕を見て、宮野がニマリと笑って言う。
「さて、これでお礼二倍だ。とっておきのを考えておくね」
「はめられたような気分だよ。……でも、ありがとう。ごちそうさま。助かった」
「へへへー、素直でよろしい! どういたしまして!」
宮野は楽しそうに弁当を包み、鞄にしまう。
そんな彼女は一時間後の英語の授業で盛大にお腹を鳴らし、真っ赤になった顔を教科書で隠していた。僕のせいなら、悪いことをした。今度何かお礼をしないとな、と僕は思う。
*
放課後、生徒会室に向かう宮野に別れを言って、僕は急いで家に向かう。ハクアがどうしているか、学校にいる間ずっと気になって仕方なかった。幸い今日は袴田たちに絡まれることはなかった。彼らも、いつだって僕を追い回すほどヒマではないのだろう。
家に着くと、二階に上がる階段を駆け上がって、自室のドアを開ける。
「ただいま、ハクア。ごめん、一人で待たせて」
部屋の中は、いつも通り。畳んで隅に寄せた二人分の布団と、点けっぱなしのテレビ。少し散らかっている学習机と、文庫本が並んだ本棚。
そして、部屋の中央で、ハクアがうつ伏せで倒れていた。
「ハクア!」
血の気が引き、心臓がバクバクと暴れ出す。駆け寄ってしゃがみ、彼女の肩を揺らす。呼吸に合わせて彼女の体がゆっくりと上下に動いていて、少しほっとした。眠っているのだろうか。
安心したのと同時に、僕の中に強烈な違和感が生じる。部屋の中央。ここには、何か置いてなかったか。
この部屋でハクアと二人で食事をした時、どこで食べていた? 紅茶のカップや、カップラーメン、目玉焼きトーストの皿を、どこに置いていた? ……だめだ、思い出せない。頭の中にスノーノイズのような雑音が混じっている。
「……ハクア、昼寝してるの? 固い床で寝てると、体が痛くなっちゃうよ」
念のために脈を確認しようと、彼女の細く白い手首に触れた。その時。
バチン、と電撃が走ったように脳内に情報の爆発が起こった。
文字、映像、匂い、感触、様々な感覚が頭の中に雪崩れ込んでくる。いや、この感覚は、失っていたものが急激に元の位置に戻るような――
今朝作ったサンドイッチ、ハクアにあげるものとは別に、自分の昼食用としてもラップに包んで鞄に入れた。この部屋の中央には小さなテーブルがあって、ハクアと二人でそのテーブルでこれまで食事をしていた。高校二年に進学してクラス担任になった若木先生の気弱な態度と、生徒の顔色を窺うような眼鏡の奥の瞳。
どうして忘れていたんだ。どうして消えてしまったんだ。サンドイッチ、部屋のテーブル、担任の男性教師。それらは一体どこに行ったというんだ。
「ん……」
ハクアが小さな声を出した。起き上がるつもりなのか、ゆっくりと体を動かし始める。
彼女の手首から自分の手を離すと、ついさっき気付いた「人やモノが消えた」という認識が急速に薄れていくのが分かり、それがなぜかとても恐ろしく感じて、慌ててハクアの手を掴んだ。自分の心が色を失っていくような恐怖は、彼女の手に触れると治まった。
「……ハクア」
僕は呼びかける。今起きていることが何なのか、ハクアは知っているように思えた。
「ソウ……。消失が始まっている」と彼女が言う。
「消失?」
「ソウ、早く、わたしを殺して」
うつむいている彼女は、髪に隠されて表情が見えない。
「何を言ってるんだ。ワケわからないよ。何が起きてるんだ、説明してくれよ」
「わたしのせいで、この世界が、少しずつ壊れていく」
世界が壊れる。普段なら笑ってしまうような表現だけれど、今日感じた異変は、まさにこの世界の何かが「壊れている」ようなものだった。
ずっと、ハクアの正体について目を逸らしてきた。
三年前に自殺した、大好きだった幼馴染の見た目をした、不思議な少女。
言葉は交わせるくせに、カップラーメンも目玉焼きも食パンもアイスも知らない、謎の存在。
自分と同じ人間なのかも疑わしかった。けれど、白亜を近くに感じたくて、知らないフリを続けてきた。
ああ、でも、もう、この言葉を、言わなくてはいけないんだ。
「ハクア……キミは、一体……何なんだ」
ハクアは顔を上げ、僕を見た。
まるで泣いているように、瞳が濡れていた。
そしてその薄桃色の唇が、音を紡ぐ。
「わたしは、バグだよ」